流川冬馬〜心霊ファイル2〜

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6


その日も、いつも通り冬馬は研究室にいた。
教授の部屋の小さなパソコンではレポート作成がし難かったので、ゲーム開発用の大きなモニター画面を使用していた。
そこへ向井がやって来た。
「あ、すみません、こちらのパソコン使っていいですか?」
「いいよ、どうせ今日も全員は集まらないだろうし、空いてたら使うと良い」
「ありがとうございます。隅のパソコン使いますから」
眼鏡の奥で向井は微笑んだ。そらから誰も集まらない部屋で静かにモニターとふたりは格闘していたが、やがて向井の方が口を開いた。
「君はアルバイトなんかしなくても、お金には困ってないんじゃないのかい?」
「みんなそう言いますけど、僕ひとり暮らしなんですよ。親もいないし生活費稼がないと」
「あれ?でも高野海羅とは姉弟なんだろう?母親の援助は無いのかい?」
「援助は断りました。離婚して僕は父親に付いて行ったんだし、それより何と言っても、教授のレポート作成の手伝いなんて、勉強になるでしょう?論文を見せて貰えるんですよ、すごいことではないですか?」
冬馬は心底そう思っていた。人物像はどうあれ、日本の情報科学の世界を背負って立つ最先端の人物だ。
「ま、確かにね。俺はお前が少し羨ましいよ」
「すみません、」
「どうして謝るんだ」
向井は笑った。充の日記が脳裏を掠めて、冬馬は複雑だった。
「だからって、身体壊すまでやるなよ、去年の子は・・」
と言いかけて向井は止めた。
「自殺したんでしょ?」
「ああ、君は優秀だからカンニングなんかしないだろうけど、それがネットで流れてね。それを苦に自殺したんだ。」
「誰がネットに書き込みを?」
「それは・・・君が知ってるんじゃないか?」
「どうしてですか?」
「君は何か調べているんだろう?」
「まさか、どうしてですか?僕は間宮充なんて人物知らないんですよ」
惚けるしかなかった。
「そうだよね、もう、一年も前の話になるしね・・・その席だよ、君の座っている席のパソコンから、カンニングの件は入力されたんだよ」
流石、情報課の達人。
「誰なんですか?勿論部員ですよね」
「多分ね、だけどここは結構出入りも多いし、特定は出来なかったよ。第一、俺だって警察に徹底的にアリバイを調べられたしね、でも、無理なんだ、パソコンは着けっぱなしなんだし、三十秒もあれば入力なんてあっと言う間だしね。でも、要するに彼は自殺だったんだから、その犯人を捜したとしても意味もない」
「でも、もしかして自殺じゃ無かったら?」
「おいおい、君の小説じゃ無いんだよ、警察が自殺と断定しているんだよ、ありえないでしょ」
向井は笑った。
「でも、ほんとうにあれが自殺でないとしたら?」
笑みを凍り付かせた向井は、じっと冬馬を見た。
「あまり探りを入れない方が身のためだと思うよ」
「どういう意味ですか?」
向井は奇妙な笑いを残してモニターへと視線を戻した。




 珍しく冬馬と連は、ふたりで買い物に来ていた。
数週間前に海羅と来た店だった。パソコンがずらりと並び、音楽が賑やかに流れる広いフロアを歩いていた。
「あのファイルで復元出来なかったとなると、かなり強力な削除機能か、セキュリティを掛けていたんだね」
「おまえでも不可能はあるんだな」
「止めてよ煽《あお》るのは」
連は笑った。
「オレがいじっていたら出来てたと思うよ、実際そのパソコンを触れたらいいんだけどね、どういう状態か分からないから。でも、そんな公共の場に置いてあるパソコンにそんな重要なファイルなり、メールなり置いとかないんじゃないの?いつでも、誰かに覗かれる危険性があるからね、復元出来たとしてもたいした物は出てこなかったかもね」
「確かに」
「負け惜しみ言ってるんじゃないからね」
連はさばさばと言った。その表情は自信に満ちていたので、更に勉強すれば末恐ろしい少年となるのは目に見えていた。
「それより、海羅には絶対内緒だよ」
巨大な電気量販店の出口まで来たとき、連は買い物に満足をして微笑みながら冬馬に釘を射した。
「当たり前じゃないか、向こう三年お前はパソコン使用禁止なんだぞ、見つかったら僕まで捕まるんだからな、」
何処吹く風で、連は笑っている。
「まあ、そんな心配は無いか、今の海羅は僕と一生口をきかない覚悟だと思うし」
「あ、やっぱり可笑しいと思った。わざとらしく冬馬の話しは全くしないもの、怒らすの止めてくれる?こっちが当たられてたまんないよ」
「おまえこそ、海羅に見つかったら没収だぞ、それと絶対ハッカーしないこと」
「分かってるって、ありがとう」
「パソコン直してくれたからね、お礼だよ。事件が解明したら間宮充の母親に返すよ」
「日記どうするの?母親が見たらショックかもよ」
「うん、でも真実は知った方が良いんじゃないか?そのまま返そうかと思ってる」
「そうだね・・・、」
「それからあの日記は、内藤刑事に渡したよ。もう一度調べてくれるってさ、」
「遅いかもね、」
「だよな」
ふたりは同じ顔して笑った。
連が選んだノートパソコンは最新型のフルスペックだったが、こやつはさらにメモリを最大限増幅させた。
三度目の逮捕が目の前でちらついた。
 ふたりは近くのコーヒーショップに立ち寄った。箱とか余分な物は店に置いて来たし、ある程度の設定は店でしてきたので、連のパソコンはバッグかから取り出すと直ぐに起動した。
「で、どうなの?何か分かった?」
「さっぱり、昨日はひとつ上の先輩にあまり探りを入れない方が身のためだと釘を刺されたよ、彼はきっと何か知っているんだよ。ヤバイかな・・・」
「じゃ、オレは家に帰ったらずっとパソコンの電源入れておくよ、何かあったらメッセンジャーにメッセージでも送ってよ、仕事してる振りして出来るでしょ」
確かに、それは良いかも。
「教授の方は?」
「土曜の夜、終電に乗り遅れて仕方なく、教授に車で送って貰うことになったんだけどさ、どういうつもりだったのか、話の途中でいきなりドアにロックを掛けられたんだよ。ギョッとした次の瞬間、、海羅がべろべろに酔っぱらっているから迎えに来いって、シナから電話が掛かってきてさ、セーフ。恐怖で目眩がしそうだったよ、」
「それってマズイよ、教授は何か薬物で間宮充を眠らせたりしたかも知れないから、気を付けないといけないよ、どっちにしろ怖いなぁ、」
「海羅が行けって言うからさ・・・って、嘘だよ。海羅に言われなくても行ってたけどね」
「あの女は無謀だからね。でも、優しいにも程がある。赤の他人のために、”しかも生きていない”他人の為に、自分の命掛けてよくやるよ」
「最近、時々そう思うよ」
ガラス窓の外に目をやってため息を付いた。運ばれてきたコーヒーは芳醇な芳香を漂わせ、
一時、冬馬の心を和ませた。


「おや、どうしてそっちのパソコンに移ったんだい?」
「あ、すみません。画面が広くて見やすいものですから、目が疲れちゃって・・」
「いいよ、いいよ、どこでも君の気に入るところでやりなさい、」
そう言って教授は奧のガラス張りの部屋に入っていった。
今日はまた誰も来ていない。
そう言えば近々試験があるので、みんな勉強しているに違いない。
何かやばくないか?冬馬はメッセンジャーを開いて連を呼び出した。
『何かあった?』
『いや、何も無いけど今日に限って誰も居ないんだ。教授とふたりきりヤバくねぇ?』
『冬馬の貞操も今日までか』
『バカやろう!』
それから、二時間ほど論文の入力をしていた。
気が付くとすでに九時を回っていた。
肩ががちがちで少し背伸びをしてみる。
「お疲れさん、今日はもういいから帰りなさい。試験前だって言うのにほんと済まないね。コーヒーを入れたから飲んでから帰ると良いよ」
「あ、すみません。ありがとうございます。キリのの良いところで終わりますね」
喉が渇いていたので、嬉しかった。
教授の入れたコーヒーはいつも美味しい。そして彼は部屋に入って行った。
冬馬はそれから暫く入力を続けていたが、何だか身体の異変に気が付いた。マウスをクリックする手が適わなく成ってきたのだ、うゎマズイ!慌ててメッセンジャーを起動した。
『はやくけいさつをよんで』
教授が近づいて来るので、適わぬ指に全神経を集中し、変換をする間もなく、送信してメッセンジャーを閉じた。
教授が背後に立っていた。
冬馬は全身が痺れて、最早、腕も頭も身体も言うことを効かなくなっていた。
教授が冬馬の両肩に手を掛けて椅子の背にゆっくり凭せ掛けた。
「君がいけないんだよ。過去を蒸し返しに来るから」
『え?』
「私が知らないとでも思っていたのかい?あそこの棚の上にあるパネルの奧には隠しカメラを置いてあるんだ、こんな時の為にね」
迂闊だった、教授の用心深さを疑うべきだった。
それに最近大学では盗難が相次いでいたので、他の研究室でも防犯の為、カメラを設置し始めていたのだった。
「向井から聞いたよ、君が小説の主人公さながらの能力を持ってるって、彼もね君の友人が話していたのを聞きつけたみたいなんだがね。私だってそれを信じている訳ではないが、君が私のパソコンや机の中を探して、何か証拠を見付けようとしていたのは事実だし、何か嗅ぎつけたんだろう?君は危険だよ」
椅子をくるりと回転させて、教授は冬馬を自分と向い合わせた。
そして彼の前に跪くと、だらんと垂れていた両腕を膝の上に載せた。
そして、人形のように微動だしない、冬馬の顔を覗き込んで言った。
「間宮の件、犯人分かっちゃったんだろう?」
それから教授は、自分の部屋からキャスターを出して来た。
そして以外にも身軽に冬馬をキャスターの上に軽々載せると、用意してあった、封のしていない段ボール箱を上から被せた。
そして上から覗いて言った。
「勿体ないなぁ、君ほどの才能と美貌、殺すには忍びないよ」
それは嘘偽りのない本心で、大きくため息をついた。
そして冬馬の顎を持ち上げると頬を優しく撫でた。
冬馬は意識はあるものの、目を開けておくことしかできなかったのでいったいこれからどうなるのだろうかと不安と恐怖と戦っていた。




 一方、メッセンジャーがメールのお知らせを点灯しているにも関わらず、連は鼻歌交じり呑気に冷蔵庫を漁っていた。
「何よそのへたくそな鼻歌、何か良いことでもあったのね」
するどいクソ女。
冬馬にパソコンを買って貰ったなんて、死んでも言わないぞ。
海羅は居間の大画面でDVDを見ていたらしかった。
で、無視してストロベリーアイスを取り出し、皿に盛りつけていると、海羅が側へ自分用の皿を持ってやって来た。
「私にも入れて」
嫌がらせに、連は舐めたスプーンで掬って海羅の皿に盛りつけた。
ごつんと音がして、海羅のげんこつが連の後頭部に直撃する。
「痛てーっ」
「汚いことするからよ」
「殴ることないじゃないか、冬馬と喧嘩したからってストレスは余所で解消してくれよ」
「誰に聞いたの?」
「冬馬が言ってた。海羅が怒ってるって、何かあったの?」
「うるさい、子供はもう寝なさい!」
連は肩を竦め”はいはい”と言って部屋へと帰って行った。
そして、一分もたたない内に悲鳴を上げて、部屋から飛び出して来た。
「大変だ海羅!冬馬が危ない!早く車を出して!」
上着を着ながら、手には携帯を持ってる。
呆然と立ち竦む海羅の目を覚ます為大声を上げる。
「海羅!」
我に返った海羅は車のキーを握りしめ、ふたりして猛スピードでガレージに向かう。
「大学だよ、大学に行って!」
エンジンが唸《うね》りながらガレージを発車する。
連は携帯で高橋刑事を呼び出した。
「連です、兄が危ないんです、大学にパトカー急行させて貰えませんか?」
「一体何事かい?」
「例の殺人事件で、犯人が分かったみたいなんですが、連絡取れなくなってしまって」
「分かった。直ぐに向かおう」
携帯を切ると連は大きく息をした。
「どういうこと?」
「そう言うこと」
海羅の目から涙が溢れた。
「こんな時泣くなよ」
「そうね」
そう言うが、涙は止めどなく溢れていた。
「しっかりしろよ海羅、多分、警察より俺たちの方が着くのは早いと思うから、いつものようにスピード出して走りな」
海羅がちらっと連を見て笑った。
「それジョークのつもり?」
「早く、早く、早く」
夜のバイパスを、猛スピードで海羅の車は突っ走った。


 エレベーターのドアが閉まる瞬間、向井俊は教授がキャスターと共に中に居るのを見たような気がした。
この時間に、教授に呼び出され今まで図書館で暇つぶしに勉強していたのだが、今すれ違いで上に行ったとなると、ここで待っていようと向井はパソコンのスイッチを入れてゲームをし始めた。
教授は屋上まで軽々と冬馬を抱いて上がってきた。
いちど東屋の椅子に、自由の効かなくなったマリオネットのような冬馬を腰掛けさせた。
「あの夜もこんな満月の日だった。ただ、肌を切るような寒い夜でね。時折雪が舞い散っていたな」
教授は思い出すかのように目を細めて、空を見やった。
「『終わりにして下さい。あなたが僕を解放して下さらなければ、僕は大学を止めて働くつもりです』彼はそう言ったよ。『嫌だと言ったら?』そう尋ねると、『あなたが嫌がらせのように送りつけてきた破廉恥な写真を公表して、あなたが教壇に立てなくしてやる』そう言ったんだ。あの小僧、いつの間にか私を脅迫する立場になっていた・・・」
教授は冬馬の前に立ち、再び頬を撫でてうっとりしていた。
「ほんとうに勿体ないよ・・・」
その時、講堂の下、玄関辺りでタイヤの軋む音がした。
何気なく覗いた教授だったが、車から降りて何となく上を見上げた海羅に見つかってしまった。
「誰かいる!」
「ちっ」
素早く身を引いたつもりだったが、見つかったようだった。教授はこめかみの辺りに嫌な汗が滲むのを感じていた。

「車のライトはそのままで連はここにいて、私は屋上に行くから」
「もし犯人がいたら危ないよ」
「大丈夫、高橋刑事が来たら上がってくるよう言ってね」
そう言い終わると、海羅は一目散に講堂に入って行った。
「マズイよ海羅・・・」
連は歯痒《はがゆ》い思いでその後ろ姿を見ていた。そして携帯を取り出すと、もう一度刑事に電話するのだった。
屋上へと続く階段か、エレベーターか悩む思考に、研究室の明かりが廊下に漏れているのが目に入った。
かけより中を覗くと、ギョットして驚いている向井と目が合った。
「びっくりした、驚かさないでくれよ」
彼は振り向いてそう言った。
「冬馬と教授知りません?」
「冬馬は知らないけれど、教授ならエレベーターで上に上がるのを見たような気がする」
海羅は息を呑んだ。
やはり屋上に居るのは教授だったのだ。
そして突き当たりのエレベーターに駆け寄り昇降ボタンを押す。一秒、二秒、三秒、その遅さに叫びそうになる。
漸く扉が開いて飛び乗る。
 エレベーターは屋上まで通じている分けではなく、一階手前から階段を使って上がるようになっていた。
踊り場にキャスターが置いてあった。素人の海羅でさえそれを使って、冬馬を運んだのかも知れないと言う予感はあった。
余りにも不自然にそこに在りすぎたからだ。
冷たく凍り付くような階段だった。
恐怖と正義感が入り交じるが、竦みそうになる足を勇気で振るい立たせて海羅は前に進んだ。
再び冬馬を失うなんて考えられない。
屋上に続くドアを開くと、暗闇を劈くようにドアが軋んだ。
月光を浴びて庭園が光っている。
さっきの人影が見えた辺りに目をやると、その横の東屋の椅子に座って誰かが煙草を吹かしていた。
ぼんやりとした輪郭と、煙草の赤い火が蛍のように点灯している。
「誰か居るんですか?」
「君は誰かな?私は少し休憩しているんだが」
そう言いながら吉原がゆっくり東屋から出てきた。
後ろにも、この周囲にも冬馬らしき人影は見あたらない。
月光で教授の目鼻立ちまでくっきりと浮かび上がった。
「教授・・・あの、弟を・・・流川冬馬を見ませんでしたか?」
「彼は確か三十分前に帰ったよ」
そんな筈は無かった。
連が冬馬の携帯に何度も電話したが出なかったし、最後のメールから三十分も経っていないはずだ。
いったいどこにいるんだろう。
「じゃ、失礼するよ」
教授が海羅の側を通り掛かったとき、白衣の裾が濡れているのに気が付いた。
そして、その通り過ぎて行った彼の靴底から、ぴしゃりと水を踏む音がした。
足下を見ると雨も降っていないのにどこからか水が溢れていた。
勿論、こんな夜更けに植物に水をあげる人などいないだろう。
海羅はその元を辿るように、あふれ出た先を探した。
すると不自然に植木を動かし、隠したような貯水タンクが奧に見えた。
海羅は駆け寄ると蓋を開けて中を覗いた。
「冬馬!」
何と中には冬馬が水の中に浮かんでいたのだ、海羅は息が止りそうになったが、救出するのが先だと思い手を入れて冬馬を抱えようとするのだが、意識が無いのか冬馬は為すがまま、重くてままならない。
冬馬の暖かい体温だけが海羅を勇気づけ、泣きながら必死でタンクから上半身を抱え上げると、一緒になって地面に倒れ込んだ。
人形のような冬馬は意識も、反応も無く、人工呼吸をしようとしたとき、苦しそうにごぼごぼと水を吐いた。
「冬馬、」
顔に掛かった髪の毛を払ってあげると、漸く目が開いて海羅を見た。
「まったく、余計なことをする小娘だ」
振り向くと後ろに教授が立っていた。
そして、海羅の後頭部目掛けて植木鉢が降ろされた。がつんと当たって海羅が倒れた。
「教授、もう止めてください」
吉原がその声に振り向くと、後ろには向井俊が立っていた。
「何の真似ですか?以前のように僕を研究室に呼び出しておいて、危なくなったらのアリバイ工作ですか?」
「何を言ってるんだね」
「僕はすべて知っていますよ、間宮充を殺したのはあなたでしょう?ここから突き落としたんだ、・・・遺書なんて嘘だ。あなたが彼のパソコンから送ったんだ」
「焼きもちはいい加減にしなさい、君は間宮充の時と同じく、流川に嫉妬して彼をここから突き落とす手筈だったんだろう?私は彼を助けに来たんだ」
「何を言ってるんですか?教授、」
流石に向井は動揺した。
「間宮のカンニングの件だって、君はこっそり私達の話を聞いていたんだろう?ま、私は君が物陰に隠れて聞いていることには気づいていたんだが、君は私の思惑どうりチェスの駒のように動いてくれたよ。掲示板に載せたのは君じゃないか、十分な動機だと思うよ」
それについて、反論できない向井だった。人間の心理を突かれてまんまと乗ってしまった自分が悔しかった。
「間宮の件は無能な警察のお陰で、自殺と断定されたが、今度はそうは行くまい、テトロドトキシンを呑ませてあるからね、それを購入したのは君なんだよ、研究室のパソコンからネットで購入したんだ、」
「最初から僕を犯人に仕立て上げるつもりだったんですね」
「自己防衛のためにはなんでもやるさ、殺人者君」
それを苦々しく、静かに聞いていた向井は、ポケットから携帯を取り出して吉原に見せた。
「僕は去年、あなたがここで間宮を突き落とす瞬間の証拠を携帯で録画してあるんだ、正直、あなたに心酔していた自分が愚かで情けないです・・・誰にも見せるつもりは無かったんですが、警察に持って行きます」
パトカーのサイレンの音が近くで止った。
吉原の表情が変わり、向井の手から携帯を奪おうと、掴みかかって行った。
「あなたがいけないんだ、僕を蔑《ないがしろ》ろにするから」
「身の程知らずめ、」
教授は向井の手から携帯を奪おうと揉合《もみあ》う途中で、彼を突き飛ばした。
その拍子にベンチの角に頭をぶつけた向井は気絶した。
それから、まだ息のあった海羅の方にやって来ると、逃げようとする海羅の髪の毛を掴み胸元へ引き寄せ、素手で彼女の首を絞め始めた。
冬馬は一部始終を見ていたが、何も出来ずにいる自分を恨んでいた。
『 誰か・・、誰か、助けてくれ、海羅を助けてくれ・・・』冬馬は心で叫んでいた。
すると、その時、教授の背後に青白い光が現れたかと思うと、その光に引っ張られるように後ろへと海羅もろとも倒れ、一瞬、教授の手が緩《ゆる》み海羅は解放されて横に転がり、喉を押さえながら咽せ込んで咳をした。
そして光の粒子は、静かに集結し始めて、あっと言う間に姿を映し出した。
 間宮充だった・・・。
「大丈夫か流川、」
屋上の入り口に、高橋刑事と警察官が数名現れた。
その後に、連が続いて出てきたが、倒れている兄姉を見て駆け寄った。
「冬馬、海羅!」
近くにいた海羅の側に行こうとすると、海羅は上半身を起こして言った。
「私は大丈夫だから、速く冬馬を病院へ連れてって、息はあるんだけど・・・、様子がおかしいの、身体が動かないみたい、毒でも飲まされたのかも・・・」
「救急車は呼んだ。しっかりしろ冬馬!」
高橋刑事が側にしゃがみ込んで顔を覗き込んでいた。
連も泣きそうな顔をしている。
しかし、冬馬は二人の背後で微笑みながら自分を見下ろしている間宮充を見ていた。
ぼんやりとした光の粒子はやがてゆっくりと暗闇に消えて行く寸前、冬馬を守るかのように見下ろしながら微かに頷いた。



 カーテンの隙間から、薄紫色の一日が始まろうとしていた。
ふと、横を見て冬馬は右隣でベッドに突っ伏したまま眠っている海羅に気が付いた。
呼吸器を外しその手で海羅の頭を撫でた。
「気が付いた?」
直ぐに海羅が顔を上げて、冬馬を思案下に見た。
その顔は夜通し泣き腫らしたかのように、目蓋が晴れて目は充血していた。
「具合どう?」
「元気だよ、」
「そう、良かった」
そう言うなり、海羅はぼろぼろ涙を零して泣いている。
「海羅・・・」
「何?」
「どうして泣いているんだ?」
「冬馬が死んじゃったかと思った・・・私、冬馬が死んじゃったりしたら生きて行けない・・・」
海羅は病院の服を着ており、その袖で涙を拭った。
「私のせいでこんな目に合わせて、本当にごめんね・・・ごめんね冬馬・・・」
そして肩の辺りに顔を埋めて噎び泣いた。
「海羅のせいじゃ無いよ、僕の好奇心のせいさ、誰かが止めたって僕はきっと最後まで真相を突き止めていたよ、例え今回のような危険な目にあったとしてもね・・・だから、泣くなよ海羅・・・」
「貯水タンクの中に、あなたを見付けた時、恐怖で気絶しそうだったわ・・・」
海羅は顔を上げて冬馬を見たが、涙が涸れてしまうんじゃないかと思う程、止めどなく溢れていた。
教授が慌ててタンクに押し込んだものだから、かなりの量の水は溢れたが麻痺が残っている冬馬には顔を上げて息をする事が出来なかったのだ、気が遠くなる限界で海羅に見付けて貰ったのだった。
「”ひとりで生きてきた”なんて、偉そうなこと言ってごめん。こうやっていつも結局は海羅に助けられてるのにね」
冬馬は海羅の首に付いた痣を見て、眉間に皺を寄せながら指でそっと撫でた。
「僕だって海羅が教授に首を絞められているのを、見ている事しか出来なかった時は卒倒しそうだった・・・海羅を巻き込んであんな怖い目に合わせて、謝るのは僕の方だよ」
「あの時ね、なんだか急に後ろに引っ張られたような感じだったの、ふわって身体が浮くような感じ・・・」
「あれはね、間宮充が助けてくれたんだよ。ふたりの後で光が集まり始めたかと思うと、その光が教授を押さえ込むようにして背後に倒したんだ」
「そうだったの・・・」
「彼はお礼を言うように、一度頷くと再び細かい粒子となって天に昇って行ったよ、きっと今度こそ成仏出来るはずだ」
「よかった」
その時始めて海羅は笑顔を見せた。
「ママと連が待合室で仮眠取ってるの、気が付いたこと知らせて来るわね」
立ち上がろうとする海羅の手を冬馬は掴んだ。
「ごめんね、僕が守ってあげられなくて・・・、」
「冬馬が生きていてくれるだけでいいから」
「僕に取って海羅は、とても大切な人なんだからね」
「ありがとう・・・」
声を詰まらせながら海羅は微笑んだ。



 冬馬の体調もすっかり良くなっていたので、午後から事情聴取が病室で行われた。
内藤刑事とその上司でもある河合警部補が、昨夜の一連の出来事を聞いていた所に海羅が現れた。
すっかり元の海羅に戻った彼女は完璧なメークに、ラメの入った白く長いストールを首に巻き、雑誌から抜け出たように息を呑むほど綺麗だった。
「久し振りですね海羅さん、今回は又とんだ災難で・・・丁度良かった。あなたにもお話伺いたかったんです」
以前の事件で、世話になった河合警部補がにこやかに招き入れた。
海羅《かいら》は一通り、昨日の出来事を話した。
「観念したんでしょうね、教授はあっさり白状しましたよ。間宮充の件は、ほぼ日記どおりの自供と、今回の冬馬君の殺害は屋上から間宮充の時と同じく突き落として、それを向井俊に擦り付けようと考えていたらしいですな。昨夜は微量のテトロドトキシン摂取と、たまたま、君を隠すために水に浸けたたのが幸いしたんですよ、あなたは大量の水を飲んで吐出したでしょう。あれが胃洗浄の役割になったんです。これから調べれば分かることなんでしょうけど、教授は向井俊が自分に傾倒している事を良いことに、彼がいつも使用しているパソコンで、彼の名を使ってテトロドトキシンを購入したそうです。しかし、掲示板にカンニングの件を書いたのは嫉妬にかられた向井本人でした。まあ、向井も吉原の毒牙に掛かったひとりだそうで、いつか自分の元へ帰ってきてくれると待っていた所、今度は君に教授が入れ込んでしまうんじゃないかと、やきもきしながら、様子を伺っていたと言う事ですな。それからも向井俊の動機の説明は付くし、愛憎を利用するつもりだったのですよ、とんだ自惚れ屋です」
警部補はため息をついた。
そして、引き継ぐように内藤刑事が話を始めた。
「昨夜も、吉原に十一時頃来るよう呼び出されたそうです。向井はそう言った電話を時々受けていて、食事に付き合わされていた事も何度かあり、そう深く考えてはいなかったようです。彼は教授に傾倒しているからね。でも冬馬君を屋上へ運んでいる間に、研究室へやって来た向井は、海羅さんが血相を変えてやって来たのを見て、何かあるんじゃないかと悟ったそうで、後を追う様に屋上へ上がったと言ってました」
「ええ、教授が屋上にキャスターを押して、上がって行くのを見たような気がするって教えてくれたのは彼でしたから・・・」
「教授はどうしても間宮充を手元に置いて置きたかったんですな・・・、その彼がふたりの関係を、世間に公表してまでも別れると言い張ったんで、カッとなって殺したと自供しています。可愛さ余って憎さ百倍ってところでしょう」
どうりで向井俊の言葉の端々が引っ掛かったはずだ、そういう対象で僕を見ていたのだ。
彼もとんだ被害者だったのかと思うと、冬馬は彼が少し気の毒に思えた。




 ベッドの縁に腰掛けて、持ってきたジュースにストローを差し込みながら海羅は言った。
「洋なしとリンゴのジュース。コーヒーは暫く飲みたくないかなと思って」
「そんな事ないけど・・・、これって手作り?」
「店のね。私の手作りが欲しいなんて百年早いわ」
海羅は笑いながらジュースを冬馬に手渡した。
他愛無い会話が、何だか懐かしい。
「朝からずっと起きてるでしょう?暫く眠ったら?」
「退院するつもりだったんだけど・・・」
「慌てることもないじゃない?」
「そうだね・・・」
冬馬は微笑みながら目蓋を閉じた。
こんなに穏やかに、ゆっくり眠れるのは何週間ぶりだろう、なんて考え事をしていたら、悪戯な海羅の唇が降りてきて、驚いて目を開けた。
しばし、ふたりは見つめ合う。
「何いまの?」
「今日は怒らないのね」
そう言って、微笑む海羅の髪の毛が頬を撫でた。
「驚きすぎて・・・思考が回らなかったよ、」
海羅は三秒先の予測ができない。
「良い兆候よ、慣れてきたわね」
「違うだろう、近親相姦だぞ!」
ケラケラと屈託無く、笑っている。
いったい何を考えているんだ?
「冬馬をからかうと、ほんとうに面白い、」
「あんたの頭の中を覗いて見たいよ、きっと万華鏡みたいに、摩訶不思議な世界が広がっているに違いない」
「いいよ、嫌いになって。もっと嫌がらせしてやるから」
「嫌がらせかよ、」
冬馬は笑った。海羅らしい・・・。
「僕はあの時、海羅が見付けてくれなかったら死んでいたんだ・・・。だからせめて今日だけでも怒らないよ、そう思う事にした」
鼻先が触れそうな近くで、クスクス笑っている。
「その言葉、後悔するわよ」
「もしかして・・・海羅は知ってい・・・」
その時、ドアがいきなり開いて、カオル、シナ、光、茉莉果まで、一同勢揃いで入ってきた。
「おお、今何してた?ラブシーンみたいだったぞ、」
腕に抱えきれない程の花束を、ベッドの上に無造作に置いてカオルが言った。
「良いところだったのに、カオルちゃんたら邪魔しに来たのね、」
海羅は本気とも嘘とも付かぬ曖昧《あいまい》な返答をして、微笑みながら上体を起こした。
「お前ら、前から怪しいと思っていたんだ、兄姉なのに・・・」
「仲が良いと言って、」
「いや、喧嘩も山ほどしてるけど、なんか不思議な空気が漂ってるんだよな」
単純な人かと思えば意外と鋭い。
「まあ、いいじゃない。お見舞いに来たんでしょ。冬馬の容態を聞く方が先だと思うんだけどな」
シナが笑いながらそう言ったので、カオルは苦笑して外人のように大きくお手上げポーズを作り、冬馬を見下ろしながら言った。
「元気そうだし」
「心配したよ流川、今朝のニュースを見て驚いたの何のって、水くさいなぁ何か手伝わせてくれても良かったのに、大変だったね」
光は心底心配したようで、人の良さそうな顔を曇らせている。海羅はベッドから降りて、みんなが冬馬の顔がよく見えるよう、後ろに下がった。
「おまえ良くやったよ、間宮のお袋さんが感謝していた。よろしく言っておいてくれって、これで充も浮かばれるだろう」
急にしんみりとカオルが言った。冬馬も黙って頷いた。
「具合はどう?外で看護婦さんに毒はもう体内から排出されたって聞いてほっとしたけど、」
茉莉果は目を潤ませながら、枕元にやって来て冬馬の手を握りしめた。
「心配掛けてごめん、もう大丈夫だから」
穏やかに微笑み会うふたりを見て、面白くない海羅は眉を吊り上げた。
「今日退院しようかと思ってたくらいだから」
「明日よ」
海羅が口を挟む。
「だってさ、」
「海羅さん、その首の痣はもしかして・・」
ストールがずれて痣が見えていた事に気が付いた海羅は、巻直して見えないようにした。
「教授が海羅の首を絞めたんだ」
冬馬がそう言うと、一同”おおー”とため息を付いた。
「大したことないわ、」
無表情でそう言って、海羅はそっぽを向いた。
心配を掛けたくないのは分かっているが、死ぬほど怖かったくせに強がりを言う。今朝方の、泣きはらした顔の欠片も見せずに振る舞う海羅が、冬馬は可笑しくて、そして愛おしかった。
「何笑ってんのよ」
目を細めて海羅が、冬馬を睨んだ。
「いや、べつに・・」
そう言いながらも、冬馬は笑いが止らなかった。海羅は素早く枕を抜き取ると、冬馬の顔を目掛けて振り下ろした。
「なに笑ってんのよ、」
何発目かでカオルや、その他大勢に止められる。
「あのさ、元気そうなんだけどさ、一応は病人なんだぜ?」
カオルが笑って言う。
冬馬は海羅に背を向けてはいたが、肩が震えていたのでまだ笑っているに違いなかった。
「冬馬も何が可笑しいのか知らないけれど、海羅を怒らせたいのなら成功ね」
シナが冷静に言う。
「ほんと不思議な兄姉だろう?今仲良くしてたかと思うと一分も経たないうちに喧嘩してる」
「お腹すいた。さ、病人なんか放っておいて、みんなでご飯食べに行きましょうよ」
海羅がみんなの背中を突っついて、ドアの外へ誘導する。急に寂しくなった冬馬は自分も一緒に行くと言う。
「駄目、病人は安静にしなくちゃ、」
「病院の食事はまずいんだ、待てよ」
しかし、あっさりドアを閉められ、急に閑散とした室内で息が詰まりそうな冬馬は、ベッドから抜け出し、素早く着替えるとみんなの後を追った。



「海羅、待てよ」
長い廊下の途中で、最後を歩いていた海羅に追いついた。
「私が何を知っているって?」
「え?」
「言ったでしょ?みんなが来る前に」
どうしてこのタイミングなんだ?
「さあ、そんなこと言ったっけ?」
と、冬馬はすっ惚けた。
 海羅は、並んで横を歩く冬馬の横顔を見た。
「ま、いいか」
「うん」
そしてふたりは前を向き、微笑みながら歩くのだった。




                      END



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