流川冬馬〜心霊ファイル2〜

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5


 すっかり帰りが遅くなった冬馬がレストランに顔を出すと、連は派手なドレスを着たマリコママと一緒に食事を取っていた。
冬馬に気が付いたマリコママが手を振った。
「お帰り遅かったのね、」
フリルの付いた薄紫のドレスは胸元が広く開いていて、圧巻のマリコママは微笑んだ。
舞台がはねた後の劇団員のようだった。
「ごめん待たせちゃって、」
「いいよ、マリコママが面白い話を沢山してくれたから、退屈しなかったよ」
以前からふたりは仲良かったが、その微笑みに少なからず良からぬ空気を感じ取る冬馬だった。
「また、余計な事を喋ってんじゃないだろうね?」
「何言ってんのよ、あたしが愛する冬馬クンの悪口なんか言う筈無いじゃないの、」
そう言って、マリコママはリップペンシルで綺麗に整えられた、唇の口角を上げて笑い、冬馬は眉毛を訝しげに上げながらママの横に腰掛けた。
「大学生になると、少し見ない間にますます格好良くなっちゃうんだから、」
眩しいものを見るかのように、目を細めて冬馬を愛でている。
「昨日、会いましたけど?」
「あら、そうだっけ?」
ママは豪快に笑った。だいたい、毎日、珈琲飲みに来てるでしょうが?冬馬は心で呟いた。
「ほんの噂話だよ、昔、冬馬は店が引けても部屋には帰らず、お姉ちゃん達と街に消えて行ったけど、どこへ行ったんだろうねって、話していたんだ」
「ママ!」
ほほほほと笑って席を立つと、マリコママは扇子を翳しながら店から出て行った。
まったく、油断も隙もありゃしないとはこのことだ、ひとの過去をベラベラ喋りやがって。
「ところで、何か分かった?」
「いろいろ面白いものを見付けたよ」
「ここじゃ何だから続きは部屋でな、僕もなんか食べようかな?おまえ、時間大丈夫?」
「全然大丈夫、海羅が迎えに来てくれるってさ、どっかで医者と遊んでるらしいよ」
ふーんと呟いて、冬馬は魚介類のトマトソースパスタを注文した。
父親が得意な料理で、それは多分、ここのマスターに伝授された味らしいと言うことは舌が確信をしていた。
偶然なのか連も同じ物を食べていた。
「覚えている?親父の得意だった料理、このペスカトーレ」
「うん、一緒に作ったことも覚えてるよ、多分、ここのと同じ味だと思う」
思い出したのか連はしんみりとパスタを食べている。
別れたのが八歳の時だったから、思い出は朧気で、更に薄れつつある記憶を辿り寄せなければならないのだろう、そう思うと冬馬は胸が痛んだ。
「ウイルスは駆除できた?」
「誰に聞いてるのさ?」
連はニヤリと不適に笑った。
「二度の逮捕歴も伊達では無いって事か、」
「でもあの強力なウイルスは、サイバー班でもお手上げなはず、」
「そんなに?」
「あれを作った奴は、普通の脳みそじゃないね」
研究室の誰かに間違いないだろうが、一体誰なんだろう。
あそこに出入りしている連中は、テクノロジーの強者揃いだから、調べるとなると大変だろうなと冬馬は思った。
「でもね、どうしても警察はパソコンを調べるべきだったと、思うよ・・・、」
「勿論、調べようとしたのだろうけど、おまえが言った通り壊れていて、直せなかったらしいよ、それに自殺と断定したから、そんなに重要だとも思っていなかったんじゃないかな?真剣に扱って無かったのかもね」
ミルク多めのカフェオレをぐるぐるかき回しながら、連は何かを考えているようだった。
その様子から冬馬は早く食事を切り上げて、部屋に行った方が良いと判断し、慌ててパスタを食べるのだった。


「これ見て、」
ふたりは部屋に戻ると、早速、机の前に座ってパソコンを開いた。
復元した日記をクリックし、パスワードを記入すると、間宮充が自殺したとされる、前日の日記が出てきた。
『明日、教授にさよならを告げよう。僕は何時までも彼の奴隷で居ることが耐えられない。今まで懸命に育ててくれた母には悪いが一生掛けて償って行くつもりだ、その穏やかな笑顔が戻るまで。』
「まったく警察はどうして、この日記を復元しなかったのか理解に苦しむよ。死ぬつもりなんてどこにも無いじゃん」
本当だ。確かに確信を持って言える。
彼はやり直すつもりだったのだ。
「前の日の日記はね、『夜遅く、教授からマンションに来るよう呼び出された。彼の手が背中に触る度に虫唾が走る、いつまで我慢しなければならないのだろう。将来なんてもう、何も見えない・・・。』・・・どうよ」
ギョッとした。
あの後ろから抱きしめられた感触は教授だったのか?
『二月四日
向井先輩が言った。”お前が来るまではオレがその席で教授の手助けをしていたんだ。あの方は気が多い人だから、その内君に飽きたら又、僕にその椅子が返ってくるだろう”アルバイトの事を言っているのか、それとも二人の関係の事を言っているのか、どっちにしても反吐が出る。』
『一月二十五日
クスリだろうか?教授のベッドでいつの間にか眠っていた。そして、裸の写真を撮られていた。”インターネットに流されたくないのなら、私の言う事を聞け”と、それを見せられ脅された。あいつは優しい仮面を被った悪魔だ。』
「カンニング事件どころじゃないね」
妙に冷静に連は言った。
「お前どこまで見たんだ?」
「全部、当然だろ?大学って所はゲイの温床か?ま、面白かったけどね」
しょうがない奴だと言わんばかりに、冬馬は連を睨み付けて頭を振った。
奴は小癪に笑っている。
『一月十五日
イニシャルだが、カンニングの件が掲示板に載った。勿論、シラを通すつもりなのだが、誰が載せたのだろう。知っているのはカオルと教授だけのはず、いや、もしかして向井先輩か?疑いだすと誰も怪しいが、カオルだけはないと信じている。』
 日記をずっと過去に戻して見る。
『十月二十五日
最近、遊びすぎて成績がガクンと落ち、教授に注意を受けた。”このままでは単位落とす”と、焦った僕はついカンニングをしてしまったが、それを吉原教授に見つかってしまった。しかし、教授は書類整理を手伝ってくれたら今回のことは不問にしようと言ってくれた。しかも、アルバイト料も払ってくれると言う、何ていい人だ。涙が出そうになった』
「これが事の始まりか・・・、」
「もっと、すげぇのがあるよ『十一月三日、教授が後ろから抱きついて来た、僕は蛇に睨まれた蛙のように、何も出来ずにただ、身体を彷徨う教授の指先・・・・』」
「おおい!ガキのくせに面白がってんじゃないよ、お前もう帰れ、」
「何だよ、いいところなのに」
連は笑っている。
 その時、チャイムが鳴って、次いでドアをどんどん叩く音がした。
こんなにしつこいのは、あいつしか居ないことを冬馬は知っていた。
「うるさい海羅、酔っぱらってんのか?」
そう言いながらドアを開けると、薄いパープルブルーのシャツにグレーのカシミアカーディガンを着、前髪を上げて後ろで一つに束ねた、変に地味な海羅がテイクアウトの食料を手に一杯抱えて入ってきた。
「差し入れよ、何か分かった?」
「すっげぇよ、教授と間宮充は出来てたんだ」
「連、いい加減にしろよ」
冬馬が連の頭を小突いた。
「どういう意味?」
「ま、そう言う意味だけど・・・」
”ほらね〜”と、連が後ろで声を掛ける。
「え〜〜〜、うそぉ。カオルちゃんそれ知ってたのかなぁ」
「あいつもゲイか?」
今度は海羅に頭を殴られた連は、頭を抱えて蹲った。
「間宮充はカンニングの件から、教授に脅迫され関係を強要されたんだと思う、日記見てみなよ、一度の過ちで総てを失った彼の気持ちが痛いほど綴られているよ」
冬馬は海羅に席を譲り、連と並んで後ろのソファに腰掛けると、海羅が持ってきたコーヒーを口にした。そしてフレーバーコーヒーは嫌いだと文句を言う冬馬と、バーガーにオニオンが入っていると、不満を零す連の二人を振り向いて睨み付けた海羅は、兄弟の容姿は勿論、不平不満までもが、あまりににもそっくりなことに気が付いて笑ってしまった。
「あんた達、気づいてる?何から何までそっくりよ。違うのは年くらい」
兄が好きな連はまんざらでも無さそうな顔をしてバーガーを頬張っていたが、冬馬は”ふん”と言ってそっぽを向いた。
その時、冬馬の携帯が鳴った。
「茉莉果?何?」
「さっき田中君から電話があってさ、是非ともあなたに入部を勧めてくれって、結構良いチャンスと思うけどな、どうする?」
間宮充の日記を読んだ今、はい、そうですかと、悪の巣窟のような研究室にはおいそれと入って行けない。
「電話じゃ何だから、明日また会って話ししよう」
「ええいいわ。田中君が言うには、流川くんを紹介してくれたから私も特別に入部許可してくれるって、私も何か手助け出来るよう頑張るわね」
「駄目だよ、もし、君の身に何かあったら大変だからそれは止めてくれ」
何言ってんだか?って感じで、眉毛を吊り上げ、バカにしたような海羅が、振り向いて冬馬を見た。
「ありがとう心配してくれて、でも私は流川君が一緒だと安心できるから、ふたりで事件解明しましょうよ」
「ごめん・・・」
「いいのよ。じゃ、明日会いましょう」
「じゃ・・・」
電話は切れた。
「あんたあの娘と付き合ってるの?」
「なんで?」
「私の時と態度が違う。何かあの娘には優しくない?」
「そんなの当たり前じゃん、」
「どうしてよ、」
「彼女は海羅ではないからね」
「どういう意味よ」
「そう言う意味。海羅は僕の彼女では無いし」
一瞬、みんなが口を噤むような、それぞれの思惑が交差した。
「あーそんな事言っていいのかなぁ?姉だろうが彼女だろうが、海羅は何でも一番じゃないと気が済まない性格だからね、」
場を取り繕うように連は茶々を入れたが、海羅は目を細めたまま無言で背を向けた。
「怒る方が可笑しいだろう?」
「海羅は可笑しいからね」
連がそう言うと、海羅からフライドポテトが飛んで来た。
パソコンのモニターを見ながらポテトを食べていた海羅は、いつの間にか黙って真剣に日記を読み耽っていた。
「メールは?」
「復元したんだけどさ、一通だけ教授宛に送られたメールがあって、きっとそれが最後のメールで、遺書なんだと思う」
「ああ、でもそれは誰でも打てるような短い文なんだよな」
「うん、一行だけ、時間は十一時前に送信されている」
「自殺する寸前か・・・」
考えを巡らせていたとき、海羅が口を挟んだ。
「これ見て、『教授は言った。私の電話は無視するな、私に逆らえば痛い目に合うのは自分だって事に、君はまだ気が付いてないようだから今夜分からせてやろう、君が私に従順になれば欲しい物は何でも買ってあげると言った・・・・』確かにキモイわね。教授にそんな嗜好があったなんて幻滅だわ・・・充君、可愛そう・・・」
「海羅も仲良かった?」
冬馬が聞いた。
「カオルちゃんと仲良かったから自然とね、大人しいけど真っ直ぐな性格の男の子だったわ、いけない事はいけないって、カオルちゃんにちゃんと言える子だった・・・、充君が自殺したって聞いたとき、カオルちゃんはショックで大学に来れなくなっちゃったの・・・辛かったのよねきっと、だからアメリカに暫く留学していたって訳、うちの大学は向こうで取った単位も考慮してくれるから留年にはならなかったの」
遺書だと言っても、入力は誰でも出来るはず。この日記だけじゃ何も証拠は無い。
「この日記、カオルちゃんには秘密にしよう、きっと何も出来なかった自分を卑下して悩むに違いないから・・・私だってかなりショックだわ」
海羅は立ち上がるとコーヒーを手にした。
「これが事実としても、証拠にはならないんじゃないの?どうする?」
連が聞いた。確かに、逸話だと鼻で笑われてお終いかも。
「今日さ、教授の研究室に行って来たんだよ。例のパソコンを探してさ、まずはあそこが一番怪しいだろう?で、パソコンはそこにあったんだ。そこで茉莉果の同級生がゲーム開発をしていてさ、興味のある振りして行ってみたら、そこの先輩に妙に歓迎されてしまって、入らないかって誘われたんだ。勿論、教授からも・・・」
嫌そうな顔をして、冬馬は海羅を見た。
「入るべきよ!」
人差し指を冬馬に向けて、海羅はきっぱりと言った。
「あんた何言ってんの?」
「真相を探りたいんでしょう?」
「ほらね、そう来ると思った。海羅は幼気な弟を平気で、ゲイ男爵の元へと送り出すんだよ、そこが本気で心配してくれる茉莉果と、高見の見物を決め込む海羅との違いだよ」
「分かりやすい例えだ、」
妙に冷静に連が言う。
「冬馬がゲイの道に走ったらどうしよう連、ま、そんな弟が一人くらいいた方が面白いかもね」
冬馬の言葉など聞いていない海羅は、夢見るように笑ってる。どこまでが本気で、どこまでが遊びで冗談なのか、いつも掴めない海羅に、冬馬は最近本気で疲れていた。



 次の日、冬馬は茉莉果と共に訪れた研究室で、全員に紹介された後にゲームの説明、趣旨、C言語C++言語からVisualC++、DirectXまでの初心者向けに細かい簡単な説明をして貰った。
興味が無いとかなり頭が痛くなる内容から、開発チーム入りを断念した光は、その日から、講義が終わると手を振って二人を研究室に見送った。
 今日も部屋に入って行くと、田中裕二が難しい顔をしてモニターを睨んでいた。
「また、バグの報告があったんだよ、何度もやり直してはいるんだけどね」
「今日はまだ、誰も来ていなんんですね」
茉莉果と冬馬は、隣の椅子に腰掛けた。
「みんな忙しいからね、ところで数値のオーバーフロー等が起きたんだけど、君らここんとこ分かる?」
画面を射して田中裕二が回答を求めた。
三人はそれからあーだ、こうだと話し会いながら暫く時間が経っていった。
 そして、一時間ほど経っただろうか、茉莉果がコーヒーを入れて来た。
「ありがとう。やっぱ女の子がひとりでも居てくれると助かるや、」
嬉しそうに田中が言った。
「今まで女の子は居なかったの?」
「野郎ばっかで、しかも下っ端の僕が雑用担当で、こういう時に気の利く女の子がいると良いよね」
美味しそうにコーヒーを飲んでいる。
「去年、ああいう事故があっただろう?」
「間宮充さんの自殺ね・・・」
「あれから、間宮君の幽霊が出るなんて噂がたっちゃってるみたいでさ、向井さんは少数先鋭なんて言ってるけど、本当は、誰もこの研究室には寄りつかなくなってしまったんだって」
悲しい事実だ、と冬馬は思った。
「あなたは、その・・・幽霊は見たことあるの?」
「僕?まさか」
彼はあり得ないと言う風に、首を振りながら笑った。
「そういったものに、全く興味ないからか僕は見たことないけど、前からここにいる先輩達は誰も居ないはずなのに音がしたとか、気配を感じるとか言って、最近出て来ないんだ、勿論、教授自体はとても人気あるんだけど、幽霊話とかになるとね。みんな怖いから少し敬遠するよね。僕は例外だけど、ゲームが好きだから、でも、君らもでしょう?」冬馬と茉莉果は、顔を見合わせてぎこちなく微笑んだ。
「噂は聞いたけど、ほんとうに自殺だったのかい?」
都合良く、田中の方から間宮充の話が出たので、冬馬は話題に乗っかった。
「どういう意味?」
「カンニングがばれた位で自殺するかい?」
「まあね、彼が自殺したことでカンニングの件は、あやむやに処理されたみたいだし、大学としてもこれ以上騒がれて、名誉に傷がつくのを避けたかったんだろう。あの時は研究室全員が事情聴取させられて大変だったみたいだよ、自分の部屋から自殺者を出したなんて教授も気の毒だよね、間宮君のことはかなり可愛がっていたみたいだし・・・」
田中の、声のトーンが少し落ちたのが気になった。
「お気に入り?」
「そりゃもう、彼が亡くなる前は、いつもふたりが一緒に帰宅していたんで、その可愛がりようは半端じゃないって、良からぬ輩は酷い噂をしていたんだって・・・。おっと、いけない、向井先輩からに聞かれたら、こっ酷く叱られそうだ、今喋った事は内緒にしといてくれよ、何しろ先輩は教授をかなり崇拝しているからね、余計なことを喋ると機嫌が悪くなるんだ」
徐に田中祐二は椅子から立ち上がると、飲み終わったコップを手に流しに向かった。
冬馬は田中祐二が思ったより雄弁に、語ってくれた内容に少なからず満足をしていた。
しかし、廊下へと続くドアが少しだけ開いたことや、その扉の向こう側で、中の話を聞いていた人物が居たことには、まったく気づいていなかった。



研究室の一員となったふたりは、ほぼ毎日、遅くまで彼らオタクの仲間入りとなって、あーだこーだと議論を重ねていった。
茉莉果は門限を理由にそそくさと帰宅し、冬馬はバイトを理由に退出を決め込むのだった。
そんなある日、帰ろうとする冬馬の前に教授が現れた。
「もう、帰るのかい?」
「すみません、バイトがあるんです。」
「君は小説も売れてるらしいじゃないか?今更バイトの必要なんてないんじゃないのかい?」
「何言ってんですか、微々たる金額ですよあんなの、僕父親亡くして、学費と生活費稼がなきゃいけないんです」
「そうなんだ、大変だね」
「じゃ、失礼します」
通り過ぎようとした時、教授に止められた。
「そうだ、君さえ良ければ私の書類整理頼めないかな?勿論バイト料は払うよ。論文のレポート作成、資料集めとか、正直私も忙しすぎて手が回らない状態なんだよ。どうかな?」
冬馬はドキッとした。悔しいけど海羅の喜ぶ顔が浮かんだ。
「僕で良いんですか?」
「勿論、優秀な生徒だから頼んでいるんだよ、君のレポートは毎回、非常に良くできているからね」
「こちらも助かります」
「ひとつ正直に言って置かないといけないことがあるんだ。去年、手伝って貰っていた子が自殺したのは知ってるかな?」
「ええ」
「カンニングの件は不問にしたつもりだったんだが、どこからか洩れてね、それが原因で自殺してしまったらしい、気の毒なことをしたと思ってるよ。殆ど毎日ここでレポートやら書類整理を手伝ってもらっていたからね、繊細な子だったからみんなの中傷に耐えられなかったんだろうと思う。その後釜って言うことになるんだが・・・良いかな?」
「全然問題ないです、僕は助かります。慌てて帰らなくていいから」
「よし、じゃ明日からお願いできるかな?」
「はい」
話が上手く行きすぎて、何故か心がざわめく冬馬だった。


 いつものように講義が終わり、茉莉果と出向いた研究室には、珍しく誰も来て居なかった。
「珍しいわね」
「丁度いいや、教授のメールを調べられる」
「ええ?大丈夫?危険よ、いつ誰が入って来るかわからないし」
「じゃ、悪いけどそこで見張っててくれる?こんなチャンス滅多にないからね」
入り口の所へ茉莉果を見張りに立て、冬馬は自由に出入り出来るようにと、預かっていた奥の部屋の鍵を開けて、教授のパソコンの電源を入れた。
後は連に借りてきたUSB メモリーを差し込み、通常より強力なファイルで、メールボックスの復元を試みてみたが、残念ながら、それらしきメールは一通も見当たらなかった。
「”遺書”は、このパソコンに送られたはずなのに、それさえも見つからない、削除しても復元出来ると思ったんだけどな」
「かなり前のことだから?」
「携帯の場合はあり得るけどね、流石教授だね、セキュリティ掛けているのかな?でも、返ってこの潔癖さが怪しいや」
小癪な連の、悔しがる顔が浮かぶのだった。
「他に怪しいファイルも無さそうだし、がっかりだな」
冬馬は慎重に電源をオフにして、パソコンを閉じた。

 それからふたりはみんなが来るまで、それぞれパソコンの前に並んで、茉莉果はゲームを冬馬は教授のレポートを作成していた。
「冬馬君さあ、三年前は私何もできなかったけれど、今なら少しは役に立てると思うから、何でも言ってね」
ぽつりと茉莉果がそう言った。
「引っ越して行ったとき、どうして連絡先聞かなかったんだろうって、凄く後悔したの。でも、聞いちゃいけないような気もして・・・、でも、今は冬馬君とこうして一緒に居られることだけで嬉しいわ」
その純粋さが、真っ直ぐ冬馬の心に響いてくる。
「ありがとう」
言葉は簡潔だったが、返す言葉が見つからないほど冬馬は感動していた。

 それから間もなく奇妙な事があった。
いつものように研究室に行き、教授に頼まれていた資料を纏めようとパソコンを立ち上げたところ、壁紙に『無くした物は戻って来ないんだよ、なぜ君が執拗に探すのか理解に苦しむ、自分の寿命を縮めるだけなのに・・・』と、メモ書きが張ってあった。
明らかに犯人からの警告だ。
犯人の核心にはほど遠く、しかも自分の動機を知られてしまっている事で、冬馬は少なからず動揺し、気分が滅入ってしまった。
それでも、そのメモを剥がして、気分を取り直し小一時間ほど作業をした所で、一息入れようと、カフェテラスでひとり食事を取っていた冬馬の横に、いきなり海羅が現れた。
「君の潜入捜査、順調そうじゃない」
笑っている。
今日、一番会いたく無かった人物だ。あの『メモ』で、どんなに落ち込んでいるのか説明することさえ、面倒だった。
「うるさい、」
いきなり海羅の指が、冬馬のシャツのボタンを外そうとするので、その手を払った。
「何やってんだよ、」
「キスマークでも出来てるんじゃないかと思って、確かめたかったの」
「海羅!」
ケラケラ笑ってる。
「ほんとうに何も無いの?女達の誘いにはすぐ乗ったくせに、」
「あんた、まじムカツク、」
海羅が絶好調な時は、今日のような派手メイクと服装を見れば分かる。
こんな時は、特に近づきたくない。
長い睫の下で、悪戯な瞳が猫のように光っているからだ。
 そして、とても意地悪だ。
「美味しいフレンチのお店見付けたんだけどな、今夜連れてってあげようかと思ってたのに」
「別に食べたくない」
「なに怒ってんの?」
いつもの事だが、冬馬の怒りに気づいて無いのかいるのか、相手の気分など完璧無視して海羅は会話を続ける。
「可愛くないなぁ、じゃ和食は?」
「何だって同じだよ、海羅とはどこにも行かないから」
「どうしてよ、」
「鬱陶しいから、それに海羅と一緒にいたら疲れるし、」
「それ、本気?」
「ああ、僕の事は放っといてくれ」
一瞬、海羅が怯んだように見えたのは気のせいだろうか、黙ったので、冬馬は少し言い過ぎたかと後悔し始めていた。
案の定、席から立ち上がると海羅は無言で去って行く。
 怒ってる。
しかも、超特大級に怒ってるに違いない。
急に食欲を無くした冬馬は、その後ろ姿が見えなくなるまで目が離せなかった。




それからほぼ一週間が過ぎて、土曜の週末まで教授の手伝いに翻弄していた。
何時の間にか後ろに来ていた教授の手が、肩に触れて気が付いた。
「こんなに遅くまですまない流川君、ご飯でもおごるよ、終わりにしよう」
時計を見る零時を回っていた。うっかりしていた、終電にもう間に合わない。
「大丈夫だよ、私が家まで送って行こう。ついでに途中で食事を付き合ってくれないかい?忙しすぎて、夕飯食べ損ねてね」
どう返答したものか、思案しながらパソコンの電源を落とした冬馬は、教授の誘いを断り切れずに、荷物を持って部屋に鍵を掛けている、その後ろ姿を見るとも無しに見ていた。
 職員専用の駐車場までふたりはゆっくりと歩いていた。
「君はひとり暮らしなんだってね、寂しくないかい?」
「もう慣れました」
「私は単身赴任でこちらに来ているから、寂しくてね」
教授は笑った。え?
「結婚されているんですか?」
「そんなに驚くかなぁ?五歳と三歳の娘がいるんだ」
正直驚いた。
どうりで、家庭の匂いがしない筈だ。
それから教授はどんなに娘が可愛いか、妻が学部長の娘であって美人であるとか、何かを隠蔽《いんぺい》するかのような話題を延々と喋り続けた。
 車はセダンの高級外車で、エンジン音が底から、低くうねってくる。
「もうそろそろ色々な噂が耳に入ってくる頃だと思うけど、」
教授はここで言葉を切った。少し髭の伸びてきた横顔に、笑顔は無かった。
「幽霊のことですか?」
的外れの言葉だったのか、教授はいきなり笑い出した。
行き過ぎる街頭が、時折教授の顔を照らしては消えて行った。
そして、瞬時に真顔になったかと思うと、運転しながらチラリと冬馬を見たかと思うと、総てのドアにロックを掛けた。
『え?』冬馬は狼狽えた。
拙く無いか?
その時である。
天の助けのように、携帯電話が鳴った。
「冬馬?しなよ。今どこ?」
「教授の車で自宅まで送って貰っている所、」
「海羅がさあ、べろべろに酔っぱらってるの、私これから用事があるし、海羅を迎えに来てくれない?車も運転して帰るって聞かないのよね」
「うん、分かった場所は?」
「地球三番地の角のお店、出て待ってるわ」
心臓の鼓動が速くなる。
手の平に汗が滲むのがわかった。
「教授、すみません。姉が酔っぱらって迎えに来てって言ってるんです。今日はこれで、」
「どこだい?送って行こう」
「三番地までお願いします」
それからふたりは急に無口になり、冬馬はほんの五分の時間が長く、果てしなく、夜が明けることがあるのだろうかと思えるほどに、蛇行するアスファルトの先の闇を見ていた。
そして、あまりの緊張に気分が悪くなりそうだった。
 適当な場所で、降ろして貰ったときにはホッとして、深く息を吸い込むと新鮮な空気が肺に満たされた。
あのロックは、どういうつもりだったのだろう・・・。


 店の前、でしなが手を振っていた。
「聞いてるわよ、教授の所でアルバイトしているんだって?」
相変わらずしなは完璧でいて派手なメークをしていて、その到底学生には見えない出で立ちは、モデルと言っても通用しそうだ。
高いピンヒールのブーツで僕と並ぶと目線は同等になっていた。
道行く人々が振り向く程に異質な存在は際だっている。
「海羅の言いつけでね、」
しなはクスリと笑って、車のキーを渡してくれた。
「車を運転して帰るって聞かないから取り上げたの、中でまだ飲んでるからヨロシクね」
手を振って、シナは土曜の夜の雑踏の中に消えて行った。
冬馬が店に入って行くと、カウンターでビールを注文する海羅を見付けた。
「帰るぞ、」
海羅がゆっくりと振り向いた。
たっぷりの間を開けて、冬馬を確認した海羅だったが、無視して再び注文を繰り替えした。
「マスター、ビール」
「いいえ、もう帰りますから」
困り顔のマスターは苦笑いをする。
「迎えがきたんだからもう帰りな、」
マスターはカウンターから出てきて、海羅の上着とバッグを冬馬に寄越した。
強引に海羅の腕を取って店の外に連れ出した時には、カンカンに怒っていたのは言うまでもない。
「バッグ返して、」
あっさりバッグを返すと、海羅は運転席に乗り込んだがエンジンが掛からない。
「キーを返して」
「そんなにへべれけで返せると思うのか?助手席に移りな、僕が運転するから」
ドアを開けて催促するが、海羅は冬馬を睨んで道を歩き出した。
「海羅、」
肩を掴んで制止しようとしても、払ってそのまま歩いて行く。でも、酔っているので足下が覚束ない。
「待てよ、海羅」
再び冬馬が肩に手を掛けようとしたとき、海羅は街路樹元にいきなり蹲るとゲロを吐出した。
冬馬は天を見上げて悪態を付く。
それから近くの自動販売機で水の入ったペットボトルを買ってきて海羅に差し出した。
海羅は余程気持ち悪かったのか、それは素直に貰って口を何度も濯いでいた。
 春のまだ肌寒い風がそよそよと吹いていた。
「海羅・・・」
「どうして来たの?」
気分が少し良くなったのか、海羅の目線も、言葉もしっかりしていた。そしてゆっくり立ち上がった。
「心配だからさ、」
「嘘つきね、シナに言われたから、しょうがなくやって来たんでしょうに、」
海羅は冬馬を真っ直ぐに見たまま、再びボトルの蓋を緩めて水を口に含んだ。
「放っといていいのよ、冬馬にはもう付きまとわないから」
「どういう意味だよ」
「間違いだった。去年あなたを見付けて本当に嬉しかったけど、そんなにあなたが私のこと嫌ってると思わなかった・・・」
「嫌いだなんて何時言ったさ、」
「同じことよ・・・、私はこれから先もこの性格は変わらないし、変えるつもりもない。あなたのことはもう構わないから、私の事を心配する振りも止めて」」
歩いて行こうとする海羅の手を冬馬は掴んだ。
「心配しているのは嘘ではないし、嫌いだなんて一度も言ったことはないし、時々ムカツクほど腹も立つけど、呼ばれればいつでも真っ先に来るよ。海羅は特別だから、」
自販機の明かりで、冬馬の瞳に映る自分を海羅は見ていた。
「聞こえた?」
「聞こえた」
「じゃぁどうして機嫌直してくれないの?」
「元、ホストの言うことなんか信用してないもの、」
「傷つくなぁ・・・最近すっかり自分の過去のこと忘れていたのに」
「私は騙されないし過去も消せないの、自分の言った言葉にも注意しなさい、」
「やっぱこの前のこと怒っていたんだ」
海羅は黙って冬馬を見ていた。
「ごめん。あれは少し言い過ぎたよ、後悔してる」
「私は許さないわよ」
氷のように冷ややかな視線で、冬馬をしっかり捉《とら》えて言った。
「あなたは自分の言った言葉に責任持ちなさい。離して」
ゆっくりと冬馬は手を解いた。
「じゃあ、どうしたら許してくれる?」
「やめて。結局、あなたは私達と再会してから一度も実家に戻っては来ないし、連絡するのはいつも私の方、一定の距離を保って私達に近づいて来ようとしない、家族とも思って無いんでしょう?」
反論したい言葉は沢山あるが、今はその時期では無い。言葉に出すと壊れる家族もあるんだと、心の中で冬馬は叫びたかった。
 その沈黙を海羅は承諾と取ってしまった。
「もういい、あなたには会わなかったことにするし、関わらないし、心配なんてしないから自由に生きればいい。弟は連だけだと思うことにする」
「海羅・・・」
 丁度通りを走り掛かった、代行の車を海羅は止めた。
そして、運転手にキーを渡すよう冬馬に命令した。冬馬はポケットから取り出したキーを渋々渡して、自分の車の助手席に乗り込んだ海羅は、ドアを乱暴にバタリと閉めた。土足で僕の人生に入り込んで来たくせに、傷つきやすくて結構頑固、プライドが高いくせに時々平気で自分をさらけ出す。
矛盾ばかりの海羅だったが、冬馬は仲直り出来なかった事を心底悔やんでいた。
そして何故あんな酷いことを言ってしまったのだろうかと後悔した。



 
「流川君さあ、海羅さんと喧嘩でもしたの?」
「え?」
毎度お馴染みになったカフェテラスで、ふたりはランチを取っていた。
「だって最近、ここで会っても寄って来ないじゃない?前は流川君を見付けたら必ず寄って来てたのに」
「ちょっと酷いことを言っちゃって、怒らせちゃったんだ」
「どんなこと?」
「”一緒にいたら疲れる””鬱陶しい”って」
「それはヒドイんじゃない?どうしたの、あんなに仲良かったのに」
「海羅は、時々ほんとうにムカツクことを言うんだよ。茶化すし、からかうし」
「それでも、一人っ子の私から見れば羨ましいけどな、喧嘩する相手がいて。ひとりじゃ何も出来ないんだよ」
確かにそうだ。
泥沼のような孤独な人生に、明るい光を差し込んでくれたのは海羅だったのに、僕はもう忘れてあんな酷いことを言ってしまった。
そんな鬱々とした気持ちで食事をしていたら、カオルがやって来た。
その後ろを、海羅が冬馬を無視して素通りして行く。
その横にいるシナは、微笑みながら手を振って一緒に出て行った。
「探偵君、捜査は進んでるかな?」
「先輩、声大きいです!」
茉莉果が辺りを気にしながら、小声で嗜めた。
「小説の主人公みたく、同じ能力で、ばしっと決めてくれるかと思ったら、あれから何週間経ったんだよ。ゴルフの練習もサボりやがって」
「だれが入ったのさ」
「お前、もうしっかり部員の一人だからな、さっさと事件片付けな」
そう言って、冬馬のアイスティーを無断で一口飲んだ。
「で、何か分かったのか?」
「秘密です」
「なんだよ、頼りない探偵だな」
人の気も知らないで、ほんとにこの人は・・・、でも、憎めない性格なのは彼の人徳だろうかと、冬馬は思った。
「そういや、お前、海羅と喧嘩したんだって?」
全く放っておいて欲しい、誰がそんなこと触れ回るんだ?
「はいはい、そうですよ」
「海羅を怒らせたら怖いぞ」
「身にしみて分かってます、家族の縁を切られましたから。もう、心配なんかしないから自由に生きろって言われました」
カオルはケラケラ笑った。
「そんなこと出来ないだろうに、あいつはお前が研究室に入ってからずっと、お前の心配していたんだから、ま、放っとけばその内機嫌も直るだろうよ」
そう言って、カオルは出て行った。
口では”ゲイの弟がひとりくらい居てもいい”なんて嫌口叩いていたのに・・・。
ぼんやりとそんなことを考えていたので、柱を背にして後ろの席で食事を取っていた向井がいることなど全く気づかなかった冬馬だった。





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