流川冬馬〜心霊ファイル2〜


ススム | モクジ

1

 彼はもう失う物など無いと思っていた・・・。

満月を隠す程の雪雲が、輪郭を残して天空を覆っていた。
青年はそこからチラチラと落ちてくる白い結晶を、屋上の手摺りに頬杖を付いて、見るとも無しに見ていた。
学内にはまだ所々明かりが付いていて、学生達が勉学に励んでいるのが見て取れた。
 遠くには街のネオンが煌めいていて、かけ離れた世間の喧噪はここまで届かない。

 翼をもがれて飛び立つ事が出来ずにいる、鳥籠《とりかご》の中の僕・・・。
 腕を伸ばすと、手の平の中で雪が溶けていった。 

次の瞬間、不意に彼の身体は宙に浮き、何かを掴もうとした指先は空を切り、後頭部から真っ逆さまに下に落ちて行った。
敷き詰められた煉瓦に身体が打ち付けられ、軈《やが》て頭からどす黒い血が流れ出した。
 ”失う物など無い”なんて思っていたが、今になって気がついた。
僕の命・・・、最後の砦・・・。


 頭上で、ひらひらと舞い散る桜の花びらが、青の空と綺麗なコントラストを成しているのを、流川冬馬《るかわとうま》は感慨深気にぼんやりと眺めていた。三年前は自分の未来も将来も、何も思い描くことも出来ず、俯《うつむ》いて足下を見ることしか出来ないような絶望感に苛《さいな》まれていたからである。
冬馬はこの春、大学生になった。
この一年と半年、必死に勉強をして高認を合格、そして大学受験をしたのだった。
風に吹かれてゆらゆらと花びらが落ちて来る。
誰かの視線に導かれる様に、ふと校舎の屋上に目をやった。
誰かが下を見降ろしている。
誰だろう・・・。目が合った気がした。

「流川《るかわ》、流川!」
後ろから呼び止められて、冬馬は振り向いた。
「あーっ、やっぱり!流川君だ!」
今時の格好をした髪の長い女の子と、人懐こそうな男の子が、手を振りながらにこにこ笑って近づいて来る。
 その、見た事の有るふたりより、屋上の人物が気になって、再び上を見上げた時には、誰の姿も見当たら無かった。
「覚えてるでしょう?高一の時同じクラスだった。戸田茉莉果《とだまりか》よ、こっちは内田光《うちだひかる》、忘れたなんて言わないでね、ゴルフ部も一緒だったでしょ?」
二人は相変わらずにこにこしながら期待を込めて、冬馬の反応をじっと伺っていた。
冬馬は思い出してはいたが、子犬のようにじゃれてくる雰囲気が煩《わずら》わしかったので、無視を決め込もうとした。
「知らない」
平然と言う。
「嘘よ!さっきの微妙な間に思い出していたんでしょう?」
突っ込むなぁ・・・。
「入学式の時にも一度見かけたんだけど、その時は見失っちゃって。今、私達後ろの席に居たのよ、流川君じゃないかって話していた所なの、同じ情報科学なんて嬉しい偶然だわ。クラスは別々だけど中には同じ授業もあるからお昼とかは会えるわ」
助かった。と、冬馬は思った。
同じクラスだなんてとんでもない話だ。
「ねぇねぇ、あれからどうしていた?」
でも想像通り、それからふたりはカフェテラスまで、冬馬の後を追って付いて来てしまった。
昼時のカフェテラスは学生で溢れていて、ようやく見つけた窓際のテーブルに座ると、前にはふたりが率先して陣取った。
しかも、自分たちの食事には殆ど手を付けずに、冬馬が食べるのをただじっと見ている。
「あのさぁ、鬱陶《うっとう》しいんだけど?」
「ああ、懐かしい!そのぶっきらぼうな言い方!」
「いいからいいから、昔の話しでもしようよ。」
茉莉果も光も、冬馬の冷たい反応には怯まない鈍さがあった。
「高認受けて合格したんだって?やっぱ頭の良い人は違うわ、高校の受験だってトップクラスだったものね、退学したときは先生も勿体ないって嘆いていたけど」
「ま、友人としてこの二年の間に、君に何があったかなんて無粋なことは聞かないことにするよ、」
そう言う言い方こそが無粋なんじゃないの?って冬馬は思ったが、口に出しては言わなかった。
確かにこの三年間は人生の激変した年だった。
高校は中退、知り合いのクラブで働き、父が亡くなり、家族との再会、猛勉強、・・・。
ストップしていた僕の時間が、急激に加速し始めた。
「流川君が学校辞めてから、毎日がつまんなかったわ」
茉莉果がしんみりと言う。
「でも、ここでまた再開出来て楽しい大学生活送れそうじゃないか!僕は嬉しいよ流川」
彼らが平々凡々と暮らしていた日々の中で、冬馬は人生の激動の時期を迎えていた。
あんなに辛く寂しく孤独だった時間は、二度と在って欲しく無いけど、予言者では無いから生きて行く限り、未来に何が待ち受けているかなんて、誰にも分かりはしない。
君らは自分の環境がとても幸せに満ちているって事を知っているのだろうかと、冬馬は思った。
「あ、カオル先輩だ」
茉莉果の嬉しそうな反応とは対照的に、暗い表情で目線を游がし始めたのは光だった。
服からして高級そうな身なりで、いかにも金持ちの集団ぽい連中が三、四人連れだってやって来た。
女の子からはため息とも、歓喜とも言えぬ声がもれ、男の子達は嫌な者でも見たかのように目線を反らした。
それは彼らとて同じで、自分たち以外総べての者達は劣るとでも言いたげな高慢な態度で周りを威圧した。
どちらにしろ、達の悪い連中であることに変わりないだろうと冬馬は思った。
 そんな彼らが、気が付くと何故か冬馬達のテーブルにやって来た。
「あ、こんにちは、カオル先輩」
おどおどしながら光が挨拶しても、カオルは彼には目もくれず、黙れと言わんばかりに手を振り上げて制しするなり、冬馬を見たまま、その隣にいきなり腰掛けた。
「君が流川冬馬クン?」
「はい?」
「今、話題の探偵小説を書いた人?」
勉強の暇を見て、気分転換に書いた小説が、去年の暮れに大賞を貰ってしまい、出版社が総力上げて宣伝するものだから、冬馬は今や時の人になりつつあった。
しかも、何気なく本名で出したものだから、逃げ隠れ出来ない。
一生後悔することになるだろう予感はあった。
「・・・・」
「面白かったよ。とても」
「ありがとうございます」
カオルの、卒のない笑顔が返って冬馬を不穏にさせる。
「君、高校の時ゴルフやっていたんだって?」
「中退です」
ハハハっと、声をたててカオルは笑った。
「それは関係ないよ、別に、中退でも」
「あの、僕そろそろ講義があるんで・・・」と、立ち上がろうとした所で腕を捕まれた。
「まだ、話しが終わってないよ」
冷ややかな笑顔と、比例するような冷静な口調だった。
「何ですか?」
苛々した冬馬の、彼の物怖じしない強気、或《ある》いは冷淡な態度が災いしないかと、光と茉莉果が心配そうにおろおろしている。
「君をゴルフサークルに入らないかと誘ってるんだよ」
「興味ないです」
即答で、あっさりと真っ直ぐカオルを見て言った。
カオルは顔色ひとつ変えない。
「じゃ」
食器を手に再び立ち去ろうとしたとき、カオルの取り巻きのひとりが、そのプレートを態と手で引っかけた。
「あ、悪りぃ、」
辺りに食器と食べ残してあったペスカトーレのパスタが脳みそのように散乱した。
賑やかなカフェテラスが一変して湿を打ったように静まり返る。
「駄目だよ、そんな悪さしちゃ」
カオルは仲間に、気のない注意を促した。
「ちっ」
冬馬の舌打ちが、周囲に響く。
そして、しゃがんで食器を拾おうとした時、その仲間の一人に胸ぐらを捕まれて向き合わされた。
何が可笑しいのか横でカオルが笑っていたので、むかついた冬馬は素早くその仲間の腕を振り払うと、その彼の腹部に膝蹴《ひざけ》りを食らわした。それを見ていた別のふたりが、慌てて両脇から冬馬を押さえ込む。
「パソコンにばかり向かっているオタクかと思っていた君が、こんなに運動神経良いなんて、油断していたよ、それに、口はともかく、君の態度は災いの元だよ」
そう言って、カオルが冬馬の胸ぐらを掴んだ時、フォークがカオルのこめかみに突き刺さった。
「痛っ、」
「私の弟に何するの?」
聞き覚えのある声に、カオルも冬馬も直ぐさま振り返った。
「海羅《かいら》!」
ウェーブした前髪を上げ、シルバーラメのアイシャドウはキラキラ光り、ファーが付いた膝丈の真っ白なロングカーディガンに、ロングブーツ姿で、超ど迫力の高野海羅《こうのかいら》が立っていた。
 その横には、お約束のようにいつも一緒にいる従姉妹の青木シナが、金髪に染めたショートヘアに黒く長いストールを靡かせる、と言う様な独特のキャラを放ち、腕組みをして笑いながら仁王立ちしていた。
このふたりは・・・まったく。
目立つことの嫌いな冬馬は、できれば彼女らに極力関わりたく無いと、いつも思っていた。
「弟って?」
カオルがこめかみをさすりながら、疑い深げに聞く。
「冬馬よ、忘れたのカオルちゃん」
 そして、小学校から一緒だった幼なじみに、ふたり弟がいたことを思い出した。
「流川冬馬は弟なの、ついでに説明すると、五年前に両親が離婚したから名字が違うだけ、二歳しか違わないから、学校であなたも会ったことある筈よ、」
そう言えば何年か前に、海羅が滅茶苦茶落ち込んでいた時期があった。
それが両親の離婚だったと言うことにカオルは思い当たった。
確かに昔会ったことがある。
その時はおとなしい少年と言うイメージだった。
考えて見れば十三歳の下の弟、連《れん》、くそ生意気なハッカー少年とそっくりだ。
「ああ、思いだした。早く言えよ、」
「僕が海羅の弟じゃ無かったら、殴るつもりだったんでしょ?最低、」
カオルは肩をすかして笑う。
鷹揚《おうよう》に見ていたのは冬馬の方だった。
「久し振りね冬馬、受験良く頑張ったわね」
相変わらず不思議のシナは、ここが禁煙だと言うのに、平気で煙草を吸いながら冬馬に微笑んだ。
「こんにちは」
「チビはますますあんたに似てきたわね」
外見うんぬんはさておき、連の捻《ひね》くれた性格は、周りの環境を見れば一目瞭然なんじゃないかと冬馬は思った。
「海羅、それにしてもフォークで突き刺すなんて、痛いじゃないか、オレはモデルやってんだぞ、キズでもついたらどうしてくれる?」
「だから遠慮して頭狙うつもりだったのに、目標を誤っちゃった」
悪びれずに海羅は答えた。
絶対、ちっとも反省などしてはいないと冬馬は思っていた。
それから海羅は冬馬に向き直ると、持っていたバッグでいきなり頭を殴った。
「痛ってー」
あまりにも不意を突かれたので、冬馬は側面にもろに打撃を受けてしまった。
「何度電話したと思ってんのよ、態《わざ》とでしょ。ちゃんと出なさいよ」
「うっとうしい」
海羅がもう一度殴ろうとしたところ、今度はひょいっと簡単に避けた。
それから、しゃがみ込むと冬馬は食器を片付け始めた。
そして、およそ似つかわしくない格好で海羅も拾い始めるので、それまで呆然と突っ立っていた光や、茉莉果までもが我に返ったように、一緒になって辺りを掃除するのだった。
「カオルちゃん、モップ借りてきて頂戴」
素直に行こうとするカオルに変わって、光がそそくさ取りに行く。
 当然、奇妙な展開に周りはざわめいていた。



 一年が講義へと去った後、カフェテラスではカオルとシナ、そして海羅が食事を取っていた。
「あいつについての噂話は山ほど聞いてるぜ、」
カオルがそう言った。
「多分、全部当たってるんじゃない?」
海羅は、さほど気に留めてない様子で言う。
「ほんとかよ?」
「言ってみて」
シナが面白そうに催促した。
「高校中退したが、猛勉強して高認受けた秀才」
「ホント」
シナが笑って答えた。
「たとえば、ホストクラブで働いていたとか、」
「ホント」
「まじかよっ」
カオルは驚いてコーヒーカップを落としそうになった。
「客を取っていた」
「ホント」
「まじっ?」
「カオルちゃんは丁度、アメリカに留学していた頃だから知らないでしょうけど、亜美が冬馬に入れあげちゃって、独占していたのは事実よ。他にもいたらしいけど」
冬馬は今でこそ、しおらしい大学生を演じているけど、少し前までは街の擦れたチンピラ風で、世間を斜めから見ていたガキであった。
性格は今よりもっと暗く屈折していて複雑だったが、根本的には大人しく、必死になって父親の入院費を稼ぐような真面目な所があったので、元々、好きで入った世界でも無く、生活の為に働いているだけで、あまり他人にも興味なかったし、誰にも媚びを売らない分、総ての人に平等でいられたので、女たちから金品を巻き上げなくても、冬馬の前には差し出された品物が溢れていたが、必要以上には受け取らなかった事が返って好感を、或いは人気を呼び、そんな一風変わった彼の為に、挙《こぞ》ってロマネコンティのボトルをおろす事態を引き起こした。
そして、綺麗な顔も双を成して、若干十七歳にして、あっと言う間にホストNO1の座に着いた程だった。
 冬馬の周りだけは90年代のバブル期のように、ミラーボールがくるくる回転していた。 
しかし、浮かれすぎた後の末期に、海羅の友人だった亜美が不幸な事件に巻き込まれ、亡くなったのだった。
「亜美が死んだと聞いた時は驚いたよな」
急にしんみりとカオルが言った。
「その話は止めよう、私も悲しくなるから」
「冬馬はね、過去に恥じてはないから、カオルちゃんがそんな噂を流しても、耳に入ったって動じない強さを持ってると思うわ」
珍しくシナが冬馬を庇《かば》った。
「失敬な、誰が噂を広めるだって?奴は小説が売れて有名人だから、既に面白可笑しく話は流れているのさ、」
「仲良くしてね。冬馬はあまり友達作らないし、生い立ちからあまり笑わなくなったの、ぶっきらぼうに見えるけど根は良い子だから」
「目にいれても痛くないってか?」
「弟だもの、それに美形でしょ?でも時々、妙に苛《いじ》めたくなるけどね、ならない?連と同じ顔してるけど又違うのよ・・・」
「ふたりは怖い物知らずな所は似てるけど、連が太陽なら冬馬は月、明と暗。連は放っておいても大丈夫なところがあるけど、冬馬は何となく放っておけないんでしょ?」
シナが言う。
「そうなのよね、それが私の性格上裏目に出て、ちょっかい出したくなるの」
海羅は笑った。
そして、みんなも納得したように笑って頷いた。




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