sky

モドル | モクジ

  8.An angel flaps  

何かがシューシューと、音を立てていた。

俯いた頭を少しずらしたら、フロントガラスの欠片がぱらぱらと崩れ落ちた。
「千寿!」
朦朧《もうろう》とする頭に、遠くから憐の呼び声が聞こえた。
 そして、懸命に窓ガラスを叩く鈍い音が木霊する・・・。
「大丈夫か?千寿、」
ドアが抉《こ》じ開けられて、憐の声がより鮮明になった。
「うん・・・」
シートベルトのバックルを外そうとしたら手に痛みが走り、見ると血が出ていた。
 反対側に周り込んで来た鉄ちゃんが、助手席のドアを難なく開けて、シートベルトを外してくれた。
私はゆっくりと足を動かしてみる、すると打撲の痛みはあったが他はなんとも無いようだ。 身体が自由になったところで、憐に抱きかかえられて歩道に降ろされた。
「痛みは?」
「大丈夫みたい・・・」
そう答えたものの、憐にしがみ付く手も、声も震えていてた。
 見上げると私達の周りには蒼白なリナ、まりあと鉄ちゃんが立っていいた。
「リナ、まさかさっき言ってたのは本当じゃないだろうな、」
憐が凄む前から、既にリナはもう泣いていて、頭を振って即座に否定した。
「してない、本当よ、千寿に腹を立ててウソを言ったの、」
私は脅えきっているリナが可哀相になってきた。
 遠くでサイレンの音がしている。
「リナじゃないわ、携帯を落としたの・・・それがブレーキに挟まったんじゃないかと思うわ・・・踏んでも何かに支えていたもの、」
「千寿ごめん、その電話私が掛けたの、仲直りしようと思って・・・こんな事になるなんて・・・」
まりあも泣いていた。
「まりあが悪いんじゃないから気にしないで、」
「ごめんね、千寿、頭が混乱しちゃって・・・」
「全てオレが悪いのさ、最初からちゃんと説明しときゃこんな事にはならなかったのに・・・」
鉄ちゃんは頭を抱えて項垂れていて、その横にまりあが寄り添っている。
「鉄ちゃんのせいでも、まりあのせいでも無いのよ、気にしないで・・・ふたりは私の親友なんだから・・・」
私はそう言って、笑顔を作った。
その時、私の頬に雨粒のようにぽつりと、一滴の涙が落ちてきた。
「憐・・・?」
「死んだかと思った・・・又、オレを置いて行っちゃうんじゃないかと・・・」
 真剣な眼差しを受けて、初めて憐の心の闇を支配していた言葉を、聞いたような気がした。
「もう、行かないから・・・、憐をひとりにしてなんて・・・、行かないから・・・」
 優しく抱きしめて、頬を寄せる憐の温もりが、どんな言葉より勇気と希望を私に与えてくれた。

私達、前に進もう。
一緒に・・・。

憐の肩越に見上げた天には幾千の星が瞬いていて、一筋の流れ星がすっと流れた。
 そして、鎌のような三日月が湿度の高い夜空に滲んで、ぼんやりと浮かんでいた。
 


 事故処理車は数分でやって来た。
単独事故だったので検分は比較的簡単、かつ素速く行われ、リナが呼んだのか、伯父がおろおろと慌てふためき現われた頃には、全て終わっていたが、父親のように心配をしてくれて、警察の人にも丁寧に対処してくれる、どうしてこんなにも優しい人が、リナの父親なのか理解できないと思った。
それから私は救急病院に搬送されて、取り合えず検査はしたが、足の打撲にエアーバックが開いた際の火薬での火傷、それとフロントガラスが割れた時に飛び散ったガラスでの切り傷という、診断は比較的軽い軽症で済み、家に帰ることが出来るというので、待合室で憐と伯父が支払いを済ませるのを待っていた。
「ほんとに、私は細工なんかしてないから、」
リナは泣きはらした顔で、無愛想にそう言った。
「分ってる、携帯がブレーキに挟まったのよ」
私は正直にそう告げると、二人の間に数秒間の沈黙があった。
 化粧が滲んで目の下にクマを作っていたリナだったが、そんなことには構いもせず話を続けた。
「細工したいほど、あなたの事も・・・、あの女の事も憎んではいたけどね・・・」
「え?」
唐突なリナの言葉に耳を疑った。
「あなただって知ってたんでしょう?憐とあの女のこと、」
さっきまでの酔っぱらって虚ろな瞳は正気を取り戻したようで、真剣な目をして私を見つめるリナに対して、もう、それを認めて黙って頷くしか無かった。
「憐はいつか言ってたわ、『あの女が居る限りオレに自由は無いだろう』って・・・、あなたが居なくなってからと言うもの、何かある度に呼び出され、用事を言いつけられ、ふたりは何処へ行くにも一緒だった・・・。だからあの人の車が事故に遭ったって聞いたとき、もしかして憐がやったのかと思ったのよ、」
「まさか・・・違うんでしょ?」
「本人に聞いてみたら?」
リナは言葉を切って、動揺を隠せない私を腫れた目で睨んでいる。
「あなたが居たら・・憐はもう少し救われてたのかも、」
私は自分が苦しいばかりに逃げ出した。
「だから私はあなたが嫌いだし、今でも許してなんかいないんだから・・・」
 彼女の憐を思う真剣な眼差しに竦められ、私は返す言葉が無かった。
リナのすすり泣く嗚咽が、誰も居ない深夜の薄暗い待合室で響いていた。



 真夜中、私と憐は伯父に家まで送って貰い、菊や思柚を起こさないよう、そっとそれぞれの部屋へ引き払った。
車内では湿を打ったようにみんな無口で、何故か伯父だけが”大丈夫だから、心配しないで”と、機嫌良く慰めてくれるのだった。
 それが返って痛かったし、私達はそれぞれの思惑を胸に秘めていて、この暗闇を支配する重い空気を紡ぐ言葉も見つからず、私はと言うと、さっきのリナの言葉に項垂れていた。
カーテンの外が白々明けてきた朝方になって、喉が渇いた私がキッチンに降りて行くと、テーブルの上には、コーヒーが入った飲みかけのマグカップが置いてあり、南の窓が少し開いていて、潮風が優しく吹き込んで来ていた。
きっとサーフィンに行ったのだろう・・・時計は五時を回ったところだ。
私は、憐にどうしても聞かねばならない事がある。


ロコサーファーが三人ほど、海月《クラゲ》のように水面をのらりくらりと漂っている。
時折、良い波が来ていたが、ループまでには至らず途中で崩れた。
私は浜に座り込んで、煙草に火を付けた。
そんな私を見つけたホープが、尻尾を振りなが擦り寄ってくる。
 浜の番犬は、鼻先で白い砂が固まっているのもお構いなしに、私の顔を舐めに掛かる。
「わかったからホープ、」
無邪気なホープには、みんなお手上げだろう。
思わず笑みが零れる。
「何、どうしたんだよ」
ふと横を見ると憐がボードを抱えて、海から上がってきた所だった。
子犬のように頭を震わせ雫を払う。
「海を見に来たのよ」
「こんな時間に?あんたは寝てな、」
憐はボードを砂に下ろして私の横に腰掛け、私の吸っていた煙草を取り上げた。
 その精悍な横顔は、完璧なループを探してるかのように、遠くを見つめている。
私は喉に閊《つか》えている言葉を、意を決するようにして絞り出した。
「ねえ、義母さんはほんとうに自殺だったの?」
私が率直に疑問を尋ねたら、憐はそれが聞きたかったのか、とでも言いたそうに、訝かし気な顔をして私を見た。
「そうさ・・・」
「ウソよ絶対、あの人が自殺なんて・・・」
「オレが嘘をついているとでも?」
「ごめん・・・、そんなつもりは・・・」
再び海へ向けた顔から、ゆっくりと吐き出された煙草の煙は、潮風に乗って後方へ流されて行った。
「土砂降りの雨が降っていたあの日、運転していたあの人に言ったんだ『オレは家を出て、学校も辞めて、思柚の面倒を見る為に働く』って・・・」
 そう言って、一旦言葉を切った。

 そして、その日の出来事を静かに語り始めた。



『どうしてそんなこと言うの、今までどうり一緒に暮らしたらいいじゃないの』
 丑三つ時《ウシミツドキ》だと言うのに、外はまだ梅雨で蒸せていて、開け放された車の窓から入ってくる、湿度を含んだ不快な風に肌を覆われた。
 群青の空には、猫爪のような鋭い三日月が浮かんでいて、飛ぶように流れる雲に時折姿を遮《さえぎ》られていた。
彼女の赤いRV車のエンジンが低く唸っている。
『オレはあんたの奴隷でも、恋人でもない、』
彼女は黙って前を向いていたが、暫くして微笑んだ。
『何時か、あなたがそう言いだすんじゃないかと思ってたわ・・・・』
夜風が、彼女のウェーブした髪の毛を揺らしていた。
『それを私は恐れていた・・・』
微かな月光が、夜の大海原を照らしていて、穏やかで凪いだ海面は、人間のエゴを受け入れるかのように、その下に深い闇を作っていた。
『このままじゃ、誰も幸せになれないよ・・・』
『そうね・・・』
彼女は力なく微笑んだ。 
『じゃあ、一緒に死のうか・・・』
『何ばかなこと言ってんだよ、』
まさか本気だと思って無かった憐は、鼻でせせら笑う。
『そしたらずっと一緒に居られる』
その時になって、憐は始めて彼女の狂気に気が着いた。 
『冗談・・・?』
 加速するアクセル、微笑んだままの義母、狂ったように飛び去る景色、・・・・。
『うわ〜〜〜』
物凄い勢いで激突するガードレール、宙に浮く車・・・、オレは死ぬんだ・・・と、思った瞬間、現在、過去の残像がスローモーションのようにフラッシュバックして、走馬灯のように脳裏をぐるぐると駆け巡った・・・。



「そこからは覚えていない、気がついたら病院のベットだった」
憐は大きな溜息を付きながら、海を見ていた。
そしてゆっくり煙草を噴かした。
「それがすべてさ」
憐が、傷ついたような瞳で私の顔を見た。
 義母は憐を愛していたのだ・・・。
 そんなにも・・・。
単に生意気な小娘から、奪い取った優越感に浸りたいだけではなく、本気で彼を愛していたのだ。
「もう、嫌だったんだあんな生活・・・、」
 幾千、幾億の閃光で世界を照らさんと、水平の彼方で朝日が今昇らんとしていた。
「目が覚めて現実に戻っても、千寿にも思柚にも軽蔑されて、オレはあの時、あの女《ひと》と一緒に死んだ方が良かったのかと、時々思ったよ・・・」
傷ついた瞳を隠すように、憐は下を向く。
「そんなこと絶対無い、そんな悲しいこと言わないで」
私は憐に抱きついた。
 海の雫が私の頬を伝う。
 直ぐ側で弾ける波の粒は、砂の上をさわさわと音を立てて引いて行く。
モーブ色の朝焼けの、雲の隙間で聖母マリアのように、崇高でいて謙虚、そして神聖な太陽が、私達に光を差し伸べ始めていた。
「ずっと、千寿に会いたかった・・・」
「私もよ・・・」
憐の腕がきつく私の肩に回され、息を詰めていたかのように、彼は大きく深呼吸をした。
 荒波に揉《も》まれ苦しんだ脆《もろ》く小さな子船は、漸く入り江に辿り着いたのだ・・・。





「なんであんたが、これから何千万のプロ契約する、鉄ちゃんの入園料を払わなきゃいけないわけ?」
 遊園地の入り口で、憐が私に文句を言った。
遠くの方から聞こえて来る叫び声と、ジェットコースターの轟音がここまで届いていた。
園内では着ぐるみの犬が、早く入っておいでと手招きをしていたし、横を通り過ぎて行く人々の言葉は、韓国語だったり、英語だったり国際色豊かだった。
鉄ちゃんとまりあは、訳知りが顔で嬉しそうに無邪気に笑っている。
「しょうがないの、千寿は賭けに負けたんだから」
 う〜ん、あの時はまさか、こんな風に賭けが成立するとは思いもしなかった。
 嬉しい誤算には違いないが・・・。
「鉄ちゃん、ナイス!私の感は当たったでしょう?」
まりあは鉄ちゃんと空中でハイタッチをして、得意気に言った。
「おう!」
「・・・ったく、いたいけな高校生を虐めやがって、」
結局、ぶつぶつ言いながらも、憐が自分の財布から四人分の入場料を支払った。
「勝負の世界は甘くないんだよ憐、」
鉄ちゃんは笑いながら憐の肩をポンと軽く叩いて、まりあと先にゲートを潜て行った。
「ちっ、」
「ごめんね、まさか鉄ちゃんがまだ覚えていたなんて思いもしなかったの」
「何を賭けたのさ」
不服そうな憐に、私は笑って誤魔化して、腕を取りながらゲートへ進んだ。
 今まで辛かった分の、神様のご褒美だろうか、こんな日が来るなんて、
想像すらしていなかった。
 夏空に揺れる梢の先の、入道雲が眩しかった。



私達は終日遊び切り、夕刻になって観覧車に乗ることにした。
鉄ちゃんとまりあは一足先にふたりで乗り込み、私と憐は後に続いた。
 陽が沈みかけた水平線に浮かぶ雲は、燃えるように輝いていた。
数羽のカモメが飛んでゆく。
エトランゼを乗せた上空の飛行機は、高度を落として飛行場へと下降を続けていたし、
その翼はミエル色に輝いている。
「地球が燃えているみたいね、すごく綺麗!」
「どうするよ、今日が地球最後の日だったら、」
「憐と一緒だったら怖くないよ」
私がそう言うと、彼は少し照れたように、そして嬉しそうに微笑んだ。
その景色を良く見ようと、憐は私の側にやって来た。
その横顔の瞳も長い睫も、オレンジ色に染まっている。
じっと見つめているだけで、胸がときめいて果てしない幸福に私は包まれていた。
ふと、憐がこちらを向いた。
「いったい、どんな賭けをしてたのさ」
「言わない」
私はクスリと笑って、そっぽを向いた。
「なんでさ、」
憐は私の顔を両手で挟み、自分の方に向けようとする。
「やだ、絶対言わないから、」
けらけらと笑いふざけあっているうちに、狭い観覧席の中で私と憐の鼻先が掠めた。
「私と憐がどうなるか賭けたの・・・」
「で、負けたんだ」
「ちょっと強がってみただけ、」
憐はフッと、笑みを零した。
それは私がずっと切望していた、優しい笑顔だった。
「知ってる、千寿がオレのこと好きなの、」
「姉としてよ、」
笑う憐は、いっそう顔を近づけて来た。
「確かに、相変わらずの強がりだ」
「そうだね」
ふたりは笑い合った。

その声は、聖堂の鐘のように、大空に響いて行った。 

天使が舞う宙《そら》の彼方で、宵の明星が煌めき始める。

そして、私達は長い長い時を経て、キスをした。





                  END
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