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モドル | モクジ | ススム

6.  I am sentimental  


次の日は夏祭りだった。

料理は作らないと言っていた菊だったが、夕方にはまりあと鉄ちゃんが来ると知るなり、”それでは”と腕が奮えて嬉しそうにキッチンで立ち回っている。
私はそんな菊に教えを乞いながら、側でお昼に食べる素麺を茹でていて、差し水を入れた所でパジャマ姿の憐がふらりと現われた。 冷蔵庫からアイスクリームを取り出し、器に盛って食べる様子を私はじっと見ていた。
「そんなもの食べないで頂戴、もう直ぐ素麺が茹で上がるからそれをお食べなさいな」
菊は顔を顰めながらそう言って咎めた。
笊に上がった素麺は氷を受けて、きしきしと音がしそうに艶やかに光る。
 憐はと言うと、洗ったまま寝たのか髪の毛は、チャイブの葉先のようにあちらこちら明後日の方向を向いていて、目の下の隈がいつもより濃いような気がするのは気のせいだろうか。
「今晩、鉄ちゃんたち来るから」
「・・・・・」
関心が無いのか、アイスクリームから目を上げない。
「鉄ちゃんのこと嫌いじゃないでしょう?」
「なんで?」
スプーンを口に入れたまま、その時始めて私を見た。
「聞いておきたかっただけ、鉄ちゃんはまりあの彼氏だし、喧嘩なんてして欲しくないから、」
「しないよ、あんたがそう望むのならね、」
憐は既にアイスクリームを掬《すく》うことに集中していて、俯《うつむ》き加減の読み取れない表情、そして微妙な言い回しが気に掛かる。
 それはなげやりなのか、若《もし》しくは自分の生い立ちへの卑屈さ・・・。
 それから暫《しばら》くして、漸《ようや》く部屋から降りて来た思柚も食卓には着かず、冷蔵庫からレモネードのピッチャーを取り出した。
ずっと泣いていたのか瞼は腫れていて、伏し目がちの瞳は人を拒絶していた。側に居た憐がグラスを渡しても『ありがとう』とさえ言わない。
「どうしたの思柚?具合でも悪いの?」
何も知らない菊が、思案気に尋ねた。
「うん、いつもの事だよ・・・」
少し拗ねたように溜息をついた。
「夜店に行きたかったら、午後はゆっくり休んでなさい、熱は無いんでしょう?」
「たぶん、」
 憐はきっと、いつも通り何気なく、思柚の熱を測ろうと額に手を伸ばしかけたのだろう、パチンと音がするほど払い退けられた。
 そんなあからさまな拒絶を見たのは、私や菊は勿論、きっと憐も始めてのことで、辺りには湿を打ったような沈黙が広がった。
「僕に触らないで、僕のことは放っといて・・・」
 思柚は憐を睨みながらそう言うと、グラスを持ってキッチンを出て行った。
 潔癖に築いてきた憐のサンクチュアリは、まるで海に浚われた砂の城のように、形を止める事無く崩壊したようだった。
方向を見失い浜に打ち上げられた鯨のように、生きる気力さえ失い、自力で戻ることを放棄したかのような、絶望の目をしていた。
 昨夜の殴られたような気分の頬の痛み、そして日夜、私を悩ます悪夢か幻か、一連の出来事すべてが今に凝縮されて、私の脳裏にフラッシュバックする。
「今度の喧嘩はただ事ではなさそうね?」
憐が打ちひしがれてキッチンを去った後、私の返答を待つかのように、上目使いで菊がぽつりと囁いた。錦糸卵や絹さやで美味しそうに彩られた素麺は、すっかり食欲の失せた気まずい食卓で、ただ空しいだけだった。
「何があったのかは知らないけれど、思柚はあなたに会ってから少しはしゃぎ過ぎたようね、事を性急に運び過ぎてみんなが戸惑ってしまった。憐はああ見えてもある意味外交的だし、思柚は寂しかったんだと思うわ」
「それは解ってる、ただあの子があまりにも無邪気過ぎるから・・・、憐のことを思うと・・・」
「千寿は知っていたのね?」
「義母さんと憐のことでしょ?」
菊がコクリと頷くと、何気に私の目から涙が溢れた。
「ここを出る一週間くらい前のことよ、ふたりが一緒にアトリエに居る所を見たの、その時、もうここには居られないって思ったの、私の居場所が無いって・・・」
菊は私の肩を優しく抱いた。
「何てこと・・・、あなたは突然この家を出て行ってしまうし、憐は笑わなくなったし、私と思柚は原因が分からなくて戸惑っていたのよ、」
「菊は知らなかったの?」
「知ってたら黙っちゃいないわよ、ただあなたが出て行ってからふたりが頻繁に出掛けるようになって、もしやとは思ってたんだけど、どうして言ってくれなかったの?」
「言えなかった・・・知ってはいけない秘密を知ったような気分だったし、生意気だった私から憐を取り上げて得意気なあの女に会うのが辛くて、一刻もここから逃げ出すことばかり考えていた」
無力だった自分を嘆いてるのか、菊は言葉を見失い目には薄っすらと涙を浮かべている。
「憐には裏切られた気分だったわ、なのにあの子は私が見捨てて逃げたなんてふざけた事を言うのよ、私そんなに強くない」
「そうね、だけど憐も強くないからあなたに居て欲しかったんだと思うわ、相談したかったんじゃないかしら?」
「でも、私は憐を娼婦呼ばわりして傷つけたの、酷いでしょう?その罰なのかしら二年も経ったのに、あの時の憐の表情が忘れられない・・・」
 私は咽び泣き、菊が背中を摩ってくれる事で気持ちが少し落ち着いた。
私はもうみんなを悲しませたくなかったから、遠くなったそれぞれの心を集めるべく家族の修復を心に誓おう、そして、自分の事ばかり考えていて、憐の暗い闇を理解するに至らなかった自分を恥じている。
 そして、逃げ出した事を、酷く後悔している。



三回ノックして、返事が無いから思柚の部屋のドアを開けた。
「居るんじゃない、」
 パソコンの前でCGアニメのキャラクターを製作中らしく、画面の中でモデリングされた物体がくるくる回っている。
外での遊びが制限される思柚には無理もないことだが、ひ弱な子供たちに在りがちなコンピューターオタクと言っても過言では無かった。
「こっち向いて思柚」
「なに?」
ほんとうに熱中してるのか、振りをしてるのか分からなかったが、思柚はパソコンから目を離そうとしない。
私はと言うと、何から話せばいいのか頭が混乱していた。
「昨日はごめんね、かっとなると見境無くなっちゃって・・・、」
「あれは僕も悪かったんだ、僕の曖昧な言い方がお婆様の誤解を招いたんだし」
その横顔は、傷ついた憐を想い起こさせる。
「こっち向いてったら、」
あくまでも目を合わせようとしない思柚を、椅子ごと無理やりこちらに向かせて、同じ視線で向き合えるよう私はベットに腰掛けた。その時、私の赤く腫れた目を見て思柚の表情が強張る。
「それと、憐のことだけど・・・」
「やめて、憐の話は、」
思柚は目を伏せ話を打ち切ろうと、椅子を戻そうとしたが、動かないよう私はしっかりと押さえつけた。
「私だってふたりの事を知った時は、今の思柚のようにショックだったし憎みもした、だから思柚の痛みも悲しみも分かるつもりよ、傷ついたのはあなただけじゃないって知って欲しかった・・・」
「そんな話は聞きたく無い、」
「どうしてそんなこと言えるの?憐はいつだってあなたの事を心配してるのに、」
「僕が嬉しがると思うの?憐を傷つけてまで、」
「連は、自分が傷ついてもあなたを守りたかったの、」
「そんなの、嫌だ、」
はらはらと零れる涙を拭おうともせず、思柚は私を見ていた。
「僕が憐を傷つけていたなんて・・・」
「だからそんな風に思わないで、憐は自分で取った行動には責任を持つ子よ、きっと後悔はしていない。もしも、傷ついていたとしたら、その行動をあなたが理解してあげない事とか、私が感情に任せて娼婦呼ばわりしたことなんだと思うわ・・・」
「だから千寿は突然出て行ったんだね・・・、僕には何も言わず唐突に・・・」
「そんなこと言えるわけないでしょう・・・」
さわさわと潮騒が優しく騒いでいる。
「あんなに信頼していた憐に裏切られたような気がして、憐に傷つけられた分、私も酷いこと言って傷つけてしまった・・・思柚の気持ちも分かるつもりよ、例え自分の為だと言われても押し付けの愛情には限度があるしね、だけど私は羨ましかったわ、いつだって憐の頭には思柚のことしかないんだもの、」
憔悴感は私を蝕《むしば》んでいたが、ひと息ついて思柚に微笑んだ。
「それに憐と血の繋がった身内は思柚しか居ないのよ、思柚にもしもの事があったらって思うのは当然、私だってぞっとしないもの、立場が逆だったらって考えてごらんなさい、きっと思柚だって同じ事をしたと思うわ」
小さな弟は肩を震わせながら、悲しみにじっと耐えていた。
「命の尊さに比べれば、どうっって事ないじゃない・・・・、パパには二度と会うことはできないのよ」
「そんな喩《たと》えはずるいや・・・」
思柚は父親のことを思いだしたのか、余計泣きじゃくった。
 私はベッドから立ち上がり、自分の着ているTシャツの端で思柚の涙を拭うが、止め処なく溢れる涙はいつ乾くとも知れぬ大きな染みを残して、静かな室内には思柚の嗚咽《おえつ》だけが木霊《こだま》していた。
 暫《しばら》く泣いて思柚の涙も枯れ果てた頃、私たちは下に降りて行った。 するとパインのテーブルを囲んで、まりあと鉄ちゃんと憐が座っていて穏やかに談笑していた。
飲み物を運んで来た菊が『今、呼びに行こうと思ってた所よ』と来客を前に嬉しそうに言う。思柚をふたりに会わせるのは初めてだったので紹介すると、まりあは可愛いと大喜びし、鉄ちゃんは『うぇ、ミニ憐だ、』とジョーク交じりに警戒色を発した。
でも、ほんとうに可愛いのはまりあの方で、紺地に野菊をあしらった浴衣を着、ほんのりメイクした顔はきらきら輝いていて、まりあを見る時、一瞬止まる鉄ちゃんの羨望の眼差しが羨ましかった。 それに比べて私ときたら、腫れた瞼にぼさぼさの頭、おまけに沁みのついたTシャツ、あらゆる沈痛からの痛手を差し引いても、あまりに惨め過ぎて泣けてくる。
まりあは私を怪訝そうに見ていたが、何も言わなかったし、憐もやはり元気はなかったが、寡黙かと思えばそうでもなく、鉄ちゃんとクラブの話をしたりしている。
何だか台風前夜の空模様のように、憐の周りを不穏な空気が取り巻いているようで目が離せない。
「千寿、お皿出すの手伝って頂戴な」
キッチンから菊が声をかけてきて、思柚がご馳走の盛られた大皿を並べ、私がそれぞれ小皿を振り分けた。
「飲み物は何がいい?」
「私も鉄ちゃんも麦茶でいいよ」
まりあが答える。
 鉄ちゃんはああ見えても食べ物飲み物は節制している。
身体に悪い事は極力控えていて、私たちの年齢にありがちな、格好つけか、或るいは単なる好奇心からくる、煙草やお酒は絶対やらない。
それについて以前尋ねてみたら、『俺ってさぁ、負けん気強いじゃない?煙草や酒なんかやってると明らかに体力落ちるわけよ、勝負のこと考えたらそんなことやってらんない』と言った。そう聞いたとき、私はこの人は本物かもって正直尊敬をした。
強い信念は人生をも、軌道修正できる力があるのかも知れない。
 私は憐にも強制的に麦茶を配った。
菊がどれほど注意しても冷蔵庫には缶ビールを冷やしているし、甘いものやジャンクフードは大好きだ。気に障ったのか暫くじっとこっちを見ていたが、その視線を辿ると私の唇の傷に思い当たった。 何を考えているのだろうか・・・、少しは後悔してくれているのだろうか・・・。まりあ達は次々と運ばれて来る料理に舌鼓を打ちながら喜んでいて、私達の息が詰まりそうな空気に気づかない。
食事が終わりかけて、リナが若草色に花の絵羽模様の入った浴衣で現われて、いっそう辺りは華やいだ。
いつもなら鬱陶しい存在のリナも、今日ばかりは場を盛り上げる意味もあって歓迎した。
話題の中心に居ないと気がすまない彼女のことだから、余計な口を挟まずに済むことは利点だ。リナはクラブのマネージャーをやっているらしく、当然鉄ちゃんのことは知ってるし、まりあとはどこかで会ったことがあったのだろう、『こんにちは、久しぶりです』と珍しくちゃんと挨拶していた。
それから私を見つけて『レモネードを頂戴、』と言いつけると、自分は憐の隣にちゃっかり陣取るのだった。
しかし、意地悪っ子は餌食を血祭りに上げる絶妙なタイミングを心得ているもので、私がリナのレモネードをテーブルに置こうとしたとき、私の格好を見て嫌みを言った。
「まさか、そんな格好で行くんじゃないでしょうね?」
みんなの視線が一斉に集まるという、抜群の吊るし上げに流石の私も少し怯んだ。
 涙の後は乾いていたがTシャツはよれよれ、擦り切れたジーンズという、さほどいつもと変わらない格好ではあったが、浴衣を持っていないことを蔑まれているようにも思われた。
「浴衣は持ってないのよ」
「あちらのお婆様は作ってくれなかったの?生花の名取でしょうに気が回らないのね」
あの人は気づいていても、私が強請らない限り進んで何かを買ってくれたりしない。
 そうやって上下関係をはっきりしておきたい人なのだ。私を喜ばす為に何かをしてくれた記憶は、突然の転校手続きを何も言わずにテキパキと片付けてくれた事意外思い浮かばない。ただ、それだけでも私はどんなに救われたか、感謝はしていたが同じ屋根の下で暮らすには、整然とした祖母の生き方に気が滅入ることの方が多かった。
 静かに席を立っていた菊が戻ってきた時、手にした物を見てハッとしたのは私だけじゃ無く、憐も驚いたような顔をしていた。
ぱさっと広げられた紺地に朝顔の絵が描かれた浴衣は、紛れも無く憐と思柚の母カレンが着ていた物だった。
「先週ね、もしやと思って箪笥を覗いてみたらあったのよ、かれんは背が高かったから今のあなたにはぴったりの筈よ、驚かそうと思って黙っていたのだけど遅くなってごめんなさいね」
私は胸が潰れそうに感動した。
 まだ、ほんとうに幼い思柚の手を取り、私と憐は境内へと続く長い階段を登った。何度も振り向いて朝顔の浴衣を着たカレンを探す、そしてその横で、いつも微笑んでる父がいて私達に手を振る、それだけで私達は幸福になれた。
「母さんの?」
いつの間にか側にやって来た思柚が、感慨深気にそっと浴衣に手を触れた。
「そうよ、私達が一番幸せだった頃の、」
「着て見せて、僕は良く覚えてないんだ・・・」
そう言って微笑む思柚の瞳から、一滴の涙が零れて一同しんと静まり返った。

 袖を通すと微かな夏の匂いがした。
遠い昔の優しい風が身体を覆ったかと思うと、するりと掏り抜けて行った。
「動かないで千寿、」
まりあが髪を結ってくれている。夜会巻きは地味だからと、お団子で手を打ち、跳ね上げた毛先の妙に凝って時間を掛けている。
「さっきは何だか感動したよ、」
「まりあったら目がうるうるしてた」
「センチメンタルって言うの?」
「センチメンタル?」
「じゃあ、ロマンティック?」
ふたりは鏡の中で顔を見合わせ噴出した。
「やっぱ、センチメンタルでしょう、」

 私が浴衣に着替えて照れながら階下に降りて行くと、鉄ちゃんが賺さず『馬子にも衣装とはこのことかぁ』と、いつもなら憐が言うせりふを言ってのけた。
「惚れんなよ鉄ちゃん、」
「バーカ足元見てみ、浴衣着てがに股かぁ?百年の恋も冷めるぜ」
肘鉄を食らわせようと、腕を振り上げたところで菊に咎められた。 目の端には憐の視線を捉えていたが、どんな思惑があるのか顔を見るのが怖くて気づかぬ振りをしていた。
思柚はと言うと、遠巻きに私達を見ていた。
「おいで思柚、抱いてあげるから」
「いいよ、」
私は恥ずかしがる思柚に近寄り、小さな肩を引き寄せる。
「かれんはこんな風にいつも優しく抱いてくれたんだよ・・・」
思柚は私の肩に顔を埋めた。
「泣いてなんかないよ、でも、暫くこうさせて・・」
「うん、いいよ」
華奢な肩を両手で包み込むと、母の記憶を辿り寄せるかのように、大きく呼吸したその背中が震えた。
 何だか切ない。

 何十件という夜店が沿道までも連なり、警察官の誘導があったものの交通は完全に麻痺していた。
行き交う人々の肩が触れ合う程に混雑していて、扇子や団扇が蝶のように、ひらひらと人込みで蠢いていた。
慣れない下駄は歩きにくくて辛かったけど、内宮から見下ろした夜景の素晴しさにしばしみんなでうっとりした。
夜風は潮を含んで海の匂いを運んで来たが、汗ばんだ身体には気持ちが良かった。
お正月の初詣のように、長蛇の列を待って賽銭箱に小銭を投げ入れ、憐や思柚みんなの幸福をご祈願するのに、たっぷりと時間を掛けたものだから、待っていたみんなに、『遅い』とか『欲が深い』とか散々文句を言われた。
「あれ、憐たちは?」
「友達に会って、どっか行ったみたいよ。下宮の方に降りて行ったわ」
 おみくじを引いたらしい思柚と鉄ちゃんは、お互いに見せあいこして笑い会っていて、何だか微笑ましい。
 逸れないよう私は思柚の手を取り、鉄ちゃんはまりあの手を取って私達の前を歩いていた。
あのまま私達は成長したらどうなっていただろう、こんな風に仲良く歩いていただろうか、それともお互いに彼氏や彼女がいて、それぞれの道を歩いていただろうか・・・、妄想は止め処なく脳裏で交差する。
途中まりあが金魚掬いをしたいと言い出し、思柚も便乗して網を買う。一枚二枚と網は破けたがふたりして二匹しか掬っておらず、五匹取るまでは帰らないと言い張るまりあを見守っているうちに、人込みに流された私と鉄ちゃんは店の脇に追いやられていた。ふと見ると横の広場では憐たちがたむろしていて、仲間の一人が鉄ちゃんに気づいて手を振った。
「あいつさぁ、無茶な生き方してるよな」
「鉄ちゃん、憐のこと見捨てないでね」
「見捨てる?」
「私は一度見捨てたの・・・、それから心は通じなくなった」
この年頃に在りがちな、ちょっと羽目を外し過ぎている連中に目をやると、周りの目とか気にせずに騒いでいる。
「だからか、今のあいつは誰も必要としてないんだよ・・・、いつも遠い目をしてる」
鉄ちゃんは憐を見ながらそう言った。
 そうする内に、リナが私達を見つけて、憐の腕を取りながらこちらにやって来る。
「憐が酔っ払っちゃって、」
リナはふらつく憐を支えながら、何とか側まで連れて来ると、近くのベンチに座らせた。鉄ちゃんは憐が手に持っている缶ビールを取り上げる。
「憐、おまえまた停学くらいたいのかよ、」
「返せよ」
「それにおまえだけじゃない、クラブだって下手したら出場停止処分になるんだぞ、」
投げ入れたゴミ箱の中で、中身がどろどろと零れた。
「辞めてやるよ、」
悪びれずに鉄ちゃんに向って堂々と言い放ったものだから、鉄ちゃんは切れて憐の座っていたベンチを蹴飛ばし、首根っこを掴むと引きずるようにして近くの手洗いへつれて行き、勢い良く流れる蛇口の下へ憐の頭を突き出した。一同は唖然とし、みんな突っ立ったまま呆然とそれを見ていた。
 しばらくして酔いが醒めたのか、急に大人しくなった憐は、鉄ちゃんに連れられ神妙な顔して戻って来た。
「千寿ほら、あんたが連れて帰りな、」
憐は私が差し出したハンカチを無視して、自分の着ているシャツの裾で顔を拭く。リナは自分が一緒に帰ると言い張ったが、鉄ちゃんはその肩を押して前を歩かせた。その後を思柚が続く。
「帰ろう、何なら手繋いであげようか?」
「ふん」
冗談で差し出した手に、取り合おうともしなかった憐だったが、石段に躓《つまず》いて前のめりになったので、私はそっと憐の腕を取った。
「まだ酔ってるのね」
水の雫が頬を垂れている。
何を思うのか、憐と私の視線が交差する。
「何?」
じっと私の方を向いたままだったので、少しドギマギする、まるで小学生の初恋のように。
「昨日はごめん、殴るつもりはなかったんだ・・・」
少しは後悔してるのか、眉間に皺を寄せている。
「分ってる・・・、でも痛かったよ」私は微笑んだ。
憐の視線が私の唇の辺りを彷徨っている。
「この世で一番最低なのは女の子に手を出す奴だって思ってたのに・・・、オレはどこまで落ちれば気が済むんだろうね・・・」
「この傷は私の罰、あれ以上思柚に酷いことを言う前に止めてくれて良かったのよ、あの子には何の罪もないのに」
「千寿はひとり大人になったな・・・」
憐は前に向き直ると、ぽつりと言った。
「いいよ、私は二番でこらえてあげる、川で溺れている思柚を先に助けたら、次は誰よりも速く私を助けに来てね」
その時、憐は久しぶりにクスリと笑った。
「きっとよ」
人込みの中、逸れないようにいつの間にか繋がれた手は、どちらとも無くぎゅっと握り締められていた。
「僕は男の子だからいいよ、千寿を先に助けてあげて」
そう言って微笑む思柚が、いつの間にかふたりの横に並んで歩いていた。
 私達が手を繋いでることで顔が綻んでいる。
憐も釣られたように微笑み返す。
「千寿は溺れやしないよ、それより泳ぎが苦手な思柚を先に助けるのさ」
「やだな、いつまで経っても子供扱いなんだから」
思柚は拗ねてみせる。
「いつまで経ったって弟だからさ・・・」
憐は空いてる左手を思柚の肩に置いた。
「いいよ、降参する。いつだって憐は正しいと僕は思ってる、もし僕が反対の立場だったとしても同じ事をすると思う」
それは遠回しに一連の出来事を言ってるのだろう。仲直りの白旗だ。
「憐は大切な兄さんだから」
上目使いに憐を見る、思柚の偽りの無い瞳には、どんな迷いも見あたらない。
 リナは時折振り向いてちらちらこちらを見ていたが、そんな事はもうどうでも良いように思われた。
天空《ソラ》では無数の星が瞬いて、夏の夜を・・・、そしてちっぽけな私達を、見守っていた。





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