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 Kiss Me

7




「萌花、返事は?」


 助手席でニヤニヤ笑いながら麗音は私を見ていた。
 何がそんなに楽しいのか、どんな返事を期待しているのか、その顔からは何も読めなかったが、どちらにしても私の返事を待っている。
「どうする?」
「どうするも何も、私はあなたと結婚なんてしないし、ましてお爺さまを裏切ることなんて出来るはずがないじゃない、あなたはどうかしてる!」
「大金が入っても? 多分、一生困らないよ」
「大金が入っても!」
 麗音は大袈裟に溜息を吐いた。
「麗音、本気で言ってるのなら、あなたをぶっとばすわよ」
「本気で言ってる。だけど、今でもオレが萌花に恋してるだとか幻想は抱くな。今回おまえを助けたのは幼馴染として見るに見かねてのことだ。おまえの馬鹿さ加減に呆れてな。そして、更に助けてやろうって言ってるのに」
 不満顔で私を見ながらも彼の瞳は真剣で、はっきりとそう告げた。
 幻想なんて抱いてない。
 あれから一度だって連絡くれなかったじゃない。
 アメリカで楽しく暮らしている様子は聖駕から聞いて知っていた。
 彼女が出来たことも……。
 それはホッとしたと同時に、寂しくもあったけど……。 」
「何でそんなに怒ってるのさ」
「あなたは自分の会社を立ち上げてるのに、お爺さまの会社も自分が経営に参加するつもりなの?」
「いや、実際は無理だな……と言うより、あの会社には興味無い。オレはジジイの株が目的なんだ」
「……だから私と結婚しようって分けね」
「そう。どう? いい話だろう?」
 おそらく麗音は自分の笑顔が魅力的なことを知っていて、その効果を最大限利用するかのように、とろけるような笑顔でにっこりと微笑んで私を見た。
 どうしてそんなに平気な顔して言えるのだろう……、その笑顔の裏でそんな恐ろしい契約結婚を迫ること事態どうかと思って驚くが、それより遠い昔の幼い頃の記憶……、私に振られたことなんて、あなたにとってはもうどうでもいいことなの?
 あの日から日本を経つ時まで、一度も口を利いてくれなかったプライドの高い少年はどこに行ったのだろう……、そんなにも財産が欲しいのだろうか……。
 私には今の麗音が何を考えているのかさっぱり分からない。
「私の知っていたあなたは、そんな恐ろしい考えをするような子じゃなかったわ。最低よ麗音……」
「あれから何年経ったと思ってんだよ」
「だとしても、人間の本質ってそんなに変わらないはずなのに……、あなたってば他人みたい……」
 私がじっと麗音を見据えながら溜息を吐くと、どんな感情も見えない真顔に戻っていた麗音は黙って私を見返していたが、やがて前へ向き直ると静かに車を出すよう命じたのだった。


 麗音に命じられて止まったところは、とあるファッションビルの駐車場だった。
 彼女への買い物でもあるのかと思い、そのまま運転席に居ようかと思ったら、付いてくるよう言われたので、麗音の後に続いて有名ブランドのガラスの扉を潜った。
 まだ父が健在の頃は会社の経営状態なんて知りもせず、財布を開ければ幾つものカードが並んでいたので、迷うことなく好きなものを手に入れた。
 大学時代に身に着けた服は贅沢な物ばかりだったけれど、あの頃に買ったブランドのバッグは売り払ってしまって、今手元に残るものは何も無い。
 私が就職をした年に父が倒れて、会社が叔父に渡ってからの私の生活ときたら散々なもので、こういう店に来ることは無かった。
「いらっしゃいませ桐生様」
 麗音は軽く頷いた。
「今日は何かお探しですか?」
 ロボットのように完璧なお辞儀の角度、張り付いた笑みを称えて、慣れた接客態度の店員は、付かず離れずの距離で傅いている。
「彼女にオフィスで着れるようなスーツを探してくれないか? シンプルでいて、かつ機能的な物がいいな」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
 そう言うと、店員は優しい微笑を宿してしばし私に目を泳がせたと思ったら、早速奥に消えて行った。
「どういう事? 私がそんな余裕ないの知っているでしょう?」
 私は店員が居なくなると、小声で囁いた。
「嫌なんだ」
「何が?」
「同じ服を毎日見るのが……」
 あ……、そうか……。
 確かにまともなスーツは二着くらいしか持っていなかった。
「でも、ブラウスは毎日変えているのよ、スーツは制服みたいなものだし」
「制服じゃない」
 きっぱり否定されて、落ち込む私……。
「おまえはこれからオレや神崎さんに付いて行って、企業のお偉方と会ったりするんだぞ、そんな着古したスーツは止めてくれ。費用は心配しなくていい、経費で落ちるから」
 着古したなんて……、言ってくれるじゃないか麗音!
 でも、恥ずかしくて穴があったら入りたい……。
「会社には都さんもいるし、私が麗音と出かけることは無いんじゃないの?」
「そのうち仕事を覚えたら、色々な場所に出かけることもあるんだ、ある程度節操のある格好じゃないと」
 ――と、そんな事も分からないのか? とでも言いたげな、冷ややかな目線で私を見ていた。
 まあ、いちいち麗音のいう事も納得がいくことで、反論のしようが無いことに、悔しくてこれまた腹が立つ。
 そう、今麗音が私に求めているのは、洒落たスーツを颯爽と着こなした、見るからに有能そうな秘書……、それを私は演じなければならない。
 しかも、麗音は若干二十二歳にして起業した社長であり、彼自身かなり有能なのは事実で、その秘書に求められるのは綺麗で飾りだけの秘書では無いことが伺えた。
 

ある意味、本当に昔の幼馴染ではいられないのかも知れない……。


 そうこうしてる間に店員がスーツを下げたハンガーを数点持って現れた。
 目の前に差し出された物は、見るからに素材が良くて高価そうだった。
「着てみろ」
 ほぼ命令されて渋々フィッティングルームに入る私を、じっと見ている麗音の視線が気になったが、文句を言っても取り合ってくれる相手ではない、私はそれから何着か麗音の前で試着を繰り返し、彼がOKを出したスーツや、それに合わせてコーディネイトされた靴やバッグが数点、商品のタグも見ずに買われるのを見ていた。
 彼は本当にお金持ちだと実感せざる得ない反面、自分がやたら貧しくて惨めに感じられる。
 今はまるで住む世界が違う麗音……、彼と”いいなずけ”だったなんて、笑わせるわと心で自分を皮肉った。
「送り迎えだけの日があるだろう? 後は会社で過ごす日……、そんな日は別にスーツじゃなくてもいいから、動きやすい服でかまわないけど、エレガントさは忘れるな、いつ何時なにがあるかわからないからな」
「難しいのね……」
 私が眉を上げると、そんな私の皮肉な仕草に動じるはずもなく、麗音は店内に飾ってある幾つかある商品を見回して歩いていた。
 彼女にもこういう風に選んであげるんだなとふと思う。
 その真剣な顔して選んでいる整った横顔を見て、改めて彼が惚れ惚れするくらい美男子だと認めずにはいられない。
 そしてハンガーを器用にひとつひとつずらしてゆく、長いしなやかな指先もうっとりするくらい優雅だった。
 おっと、いけない。
 私が見惚れてどうするんだ?
 小生意気な麗音……。
 やがて、麗音はその中からひとつシャツを取り出して、私の胸元に飾って吟味し始めた。 
 顔が近いので麗音のトワレが鼻をくすぐる。
 くるんと上向きの睫も相変わらず長いなぁ……、染みひとつ無い綺麗な肌も、昔は女の子より白く美しくて私は悔しかったっけ……。
 でも今は少しだけ大きくなった肩幅や、随分伸びた身長はどこか他人行儀で、私たちの距離を感じさせられる……。
「どうした?」
 ぼんやりとそんなことを考えていて、黙り込んだ私に気付いた麗音が尋ねた。
「麗音って凄く身長伸びたのよね、今並んでみて驚いちゃった」
「うん。十五のときは百七十くらいだったけど、今は百八十あるからな」
「えーーそんなに? どうりで高いと思った」
「おまえはオレについて何も知らないよな」
 そう言って、麗音はふっと笑った。
 久しぶりに見る優しくて、懐かしい笑顔だ。
「笑顔は相変わらず可愛いよ麗音」
「……そしておまえは、相変わらずオレのことを子供扱いだ」
「だって何時まで経っても、私の中の麗音は昔のままの麗音なのよ……、それが少しずつ変わるのが私は寂しい」
「何時までも子供ではいられないだろう?」
「分かってる。わかってるけど、繋いでいた手が離れてゆく感じ……あなたにはわからないでしょうね」
 私十八歳、麗音十五歳、あれが私たちの分岐点だったのだろうか……。
 私たちはお互い無言で、真顔のまま見詰め合っていた。
 じっと私を見下ろしている麗音が、何か言おうと口を開きかけた時、店員が声を掛けてきた。
「そちらの商品はどうなさいますか?」
 その一言で、時間が再び進み始めた感覚に囚われた。
 そう。
 もう、立ち止まることは許されないのかも知れない……、永遠に思われた幼い日々はもう戻って来ないのだから……。
 将来に何の不安も無く、そして恐れることも無く、何も考えて無かった純真無垢なあの頃には……。
「……ああ、これも包んで下さい」
「かしこまりました」
 店員は礼を言うと下がって行った。
 こんなに沢山の商品を買って貰って、本来なら映画の主人公のように飛び上がって喜ぶのだろうけど、私は麗音に背負わせた借金や諸々の諸事情で、後ろめたさに心が沈んでいて素直に喜べなかった。
 寧ろ値段を見ずにどんどん購入する麗音を止めたかったのだが、所詮こうと決めたら意見を譲る相手では無いので、それも出来ずに彼を見ているしかなかった。


「おまえは相変わらず変わってないよな萌花」
店員が去って暫くしてから、ゆっくり麗音が口を開いた。
「それはいけないこと?」
「何時まで経っても呑気でバカだ……、オレよりも三歳も年上なのに」
「そこでどうして年を強調するのよ!」
 私は憤慨する。
「二十五だろう? あっと言う間に三十だよ」
「だから、なによ?」
「そんな怖い顔しなくてもいいじゃないか、忠告しようと思ったのさ。莫大な金と共に、楽して生きたらどうなんだ? ……てね」
「あなたと?」
「そう」
「懲りない人ね、嫌だと言ったら絶対に嫌!」
「おまえさ、愛だの恋だの幻想を抱いてるとか言うなよ」
 麗音は軽蔑するかのように鼻で笑った。
「それのどこが悪いのよ」
「悪いよ、萌花は結局オレに助けられたじゃないか、時には妥協も打算も必要なんだよ」
 そう言われれば、ぐうの音も出ない……。
「だからなに?」
 麗音が次に言う言葉が分かっていたので私は先を急かせた。


「萌花はオレを二度も振るのか?」


 意外な答えに私は彼を凝視した。
 そして驚いたことに、麗音は傷ついたような瞳をして私を見下ろしていた……。





                    



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