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 Kiss Me

6




「えええ! あなたの秘書?」
「突然何を言い出すかと思ったら……」
 聖駕(せいが)も私も驚いて瞬きをした。
「オレも秘書を探していたから丁度都合がいいし、何よりジジイの言いつけなんだよなこれが……」
「お爺さんが何だって?」
 聖駕が尋ねた。
「”こうなった以上、お前が萌花(もか)の面倒を見ろ”って、次から次へと難題吹っかけるジジイだぜ」
「難題って何さ?」
「オレがアメリカで企業を立ち上げるときに、資金援助をジジイに申し込んだらなんて言ったと思う? ”若手企業家と言う者が、家族の金を当てにして起業するとは何事だ! 自らの道は自らの手で開け! 一銭たりともお前には貸さんからな、覚えておけ”だとさ! オレは悔しくて死に物狂いで、あちらこちらの企業を回って説得して援助を得たんだ。ま、お陰で会社は順調だけど」
 知らなかった事実に私は驚いた。
 優雅に親の援助で起業したと思っていたから、いたく麗音(りおん)を見直した。
「今の所はジジイの言いなりさ、そのうち会社にオレの所のプログラミングを導入してもらう計画があるから、だから働け萌花、死に物狂いで働いたら、それに見合う賃金は払うつもりだから」
「じゃ、住むところも探してあげれば?」
「ああ、それは心配ない。うちの会社が借り上げているマンションがあるんだ、そこがひとつ空いている。しかもそこは家具備え付けで、何時入居しても直ぐに住めるようになっている」
「ああ、良かったね萌花! 流石、麗音! ちゃんと考えてくれてたんだね」
 しかし、私はこの麗音にしてあまりにも話が出来すぎていることに、何か裏があるのでは無いかと、あぐねていた私の心情を見透かしたように聖駕が尋ねてきた。
「何? 嬉しくないの?」
「話が上手く行き過ぎてない? 何か企んでるんじゃないでしょうね麗音……」
「疑い深いなあ萌花は……、そんな事オレが考えてると思う?」
 私がブンブン頭を上下に振って頷くと、麗音は声を立てて再び笑っただけだった。


 麗音が日本で起業したIT会社は、最近になって再開発が進む大通りの一角にあり、十階建てのビルの五階フロアを借り切っていて、南に面した大きな窓からは燦燦と太陽が降り注いでおり、若く明るい印象の職場と言う感じが見て取れた。
 社員は毎日出勤して来る者と、在宅に分かれておりどちらも好きな方法で勤務しているようだった。
 だいたい七人程度の人々がそれぞれのブースで仕事をしており、みんなの服装自体もラフであり、自由気ままに音楽を聴いたり映像を流したりしながら仕事をしているようだった。
 それゆえか、みんな気さくに私を見ると笑顔を寄越してくれた。
 何より驚いたことが、麗音には既に秘書がいて、彼女は意外にも五十代後半の女性で、そこら辺りにいるような見た目地味派手な、例えば上に着てるシャツが白い清楚なブラウスなのに、スカートは黒生地に真っ赤な薔薇柄とか、恐ろしく度肝を脱ぐようなセンスある”おばちゃん風”の出で立ちの人物で、そして麗音のことを”社長”とは呼ばずに、彼の名前で呼んでいることだった。
「麗音遅い! 私言ってありましたよね? 今朝は皆でミーティングするって!」
「覚えてるよ、でも神崎さんがいるし……」
 指名された神崎さんが、苦笑いして言う。
「光栄ですよ、麗音くんに任されるなんてね」
「もーだから坊ちゃんは甘いんです! 神崎君だって自分の仕事は山ほどありますからね!全てを押し付けられたらたまったものじゃありませんよ」
「いいんですよ都さん、僕はその為に雇われたみたいなものですから。麗音くんはこれから授業で忙しくなるだろうしね」
「さすが神崎さん、よく分かってくれてる」
「まったくーー、甘やかすんじゃないですよ神崎君! ……って、その方は?」
 回転が速いのか遅いのか、都さんの注目がいきなり私に向けられた。
「気づくのが遅いよ都さん、彼女は橘萌花、オレの運転手兼、秘書兼、雑用係、どんどんこき使ってやってください」
「ああ、橘さん! 橘信三さんのお孫さんよね確か!」
「祖父をご存知ですか?」
「勿論ですよ、私はこう見えても桐生銀三郎の秘書を三十年間やって参りました。こちらの麗音に、ああ失礼、社長にお仕えし始めたのは丁度銀三郎社長が会長職になられまして、それを機会に私は引退を考えていたところ、丁度、麗音がアメリカから帰ってきて会社を立ち上げるという事で、君はまだ引退には早いから麗音を手伝ってみてはどうかと会長に誘われたんですよ。まあ、麗音は社長と言ってもまだひよっこみたいなものですしね、私もゆっくりできるかと思ったんですが、この子ったら遅刻はするわ、ミーティングはすっぽかすわ、仕事を増やしてくれましてね、手を焼かせてくれてます。あなたが来てくださるとほんと助かるわ」
「あのさ、話が長いから都さんのこと紹介できなかったじゃないか……て、自分で殆ど喋っていたけど、この人が橋田都さんで有能なオレの秘書兼子守?」
「そうそう、その言い方は正しいわ。会長からしっかり頼まれていることだし」
 都さんは満足げ微笑んでいる。
 確かにお爺さまの秘書をしていたのなら、子供の頃から知っていて彼女にとっても麗音は、孫みたいな感覚なのかも知れない。
「さあ、話はそのくらいにして萌花に仕事の内容教えてくれるかな都さん? オレはこれからプログラミングの修正をしなきゃならないんだ、任せたよ」
 そう言って、自室に篭ろうとする寸前で立ち止まった。
「後からコーヒー持ってきてくれ萌花」
「早速、萌花さんを名指しよ、私が怖いんですよ麗音は」
 そう言って都さんは笑った。
「都さんはオレに厳しすぎるからね」
「当たり前です! 社長たるもの社員の手本にならなくては! って、先代のお言葉を常々言ってるんですがね、これが時代と言うものでしょうか……」
「社訓じゃないんだから毎日言わなくても良いよ都さん。さあ仕事、仕事! これは都さんのセリフでしょ?」
「あらいけない、じゃあ、だからこれから麗音のことはあなたに任せますね萌花さん」
「あ、ええ、……はい」
「じゃあ、萌花さん早速いろいろ教えましょう」
 いきなり仕事モードに切り替わって、有能な秘書振りを見せ付けてくれる都さんの元で、それからの日々はあっと言う間に過ぎて行くのだが、大体が男の人ばかりだったので、職場は散らかりぎみで、これも綺麗好きな麗音の悩みであったのが直ぐに見て取れた。
 都さんは主に麗音の学校と会社の仕事の調整と、会計の仕事を両方受け持っていたので、掃除とか細かい仕事までなかなか手に負えず、私に何をしろって、まず最初の仕事を言いつけられたのが、各ブースの整理整頓だったからだ。
 そして休憩室の掃除、とにかく掃除。
 『掃除、整頓、綺麗な職場は能率があがる』は都さんの持論で、それを若い社員諸君にも押し付けようとしていたが、概して今は失敗に終わっているようだった。
 ただ唯一、綺麗な場所と言えば麗音の居る社長室くらいのものだろか、麗音はああ見えても昔から綺麗好きで、大雑把な私が部屋を散らかすとそれを黙って片付けるような、大人しい子供だった。
 なのに……、今の横暴ぶりときたら……いえ、借金を払ってくれたので文句を言える義理ではないが……はい。
 それに対等な幼馴染の関係から、社長と社員、借金に雁字搦(がんじがら)めの雇われの身……、この主従関係が少しばかり私を卑屈にさせる……。
 借金を返すまでは頑張って働かなくちゃ、でないと何時まで経っても麗音に頭があがらない。
 まあそんなこんなで、まずは一日、二日、三日目とそんな感じでバタバタ過ごしながら、社員の顔を覚えることと掃除で終わった感が否めなかった。




 四日目の朝になって、麗音をマンションまで迎えに行ったが三十分経っても降りて来なかったので、電話を鳴らしても出ないし、何かあったかと思い、貰っていた鍵でオートロックを開けて上まで迎えに行くと、部屋に入っても音がしない……。
 シーンとした静寂……。
「麗音?」
 リビングには誰も居なかったが、脱ぎ散らした衣服が散乱していて、そのひとつひとつを拾い上げるが、ゴミかと思って拾い上げた物がコンドームだった!
 それも使用済みのコンドームだと気が付いて、私は思わず悲鳴をあげた。
「なんだよ……」
 私の声に上半身裸の麗音が、眠そうな顔してベッドルームから現れた。
 コンドームを握った手を思わず後ろに隠す。


 うえっ、気持ち悪い!


 最悪……!


「……あ、ごめん……、ゴキブリがいたんで……」
 しどろもどろの情けない言い訳に、訝しげな目線を寄越す麗音……。
「とにかく! 出勤時間過ぎてるけど? 寝てたの?」
「……ああ、シャワー浴びるからコーヒー入れといて」
 そう言うと、麗音はベッドルームの戻って行った。
 彼をすました顔で見送った後、猛ダッシュしてダストボックスに駆け寄り、使い捨てコンドームを捨てて手を石鹸でごしごし洗う。


 これって秘書の仕事ですかーーーーーーっ!?


 ああ、どきどきした。
 他人様の使い捨てコンドームなんて見たの初めてだし、まして触ったのも初めてだ!
 

 しかも麗音の……、酷く私は動揺していた。


 あの幼くて、可愛かった私の麗音がいつの間にか、コンドームを使う大人に成長していた……、って当たり前なんだけど、何だか酷くショックなのはどうして???
 動揺して、ドリップに豆を何倍入れたか忘れて、もう一度やり直す。
 落ち着け萌花、あんたは二十五歳の一人前の大人なのよ!
 山あり谷あり人生歩んでいる途中の……。
 そうするうちに麗音が部屋から出てきてシャワールームに入って行った。
 ――と思ったら、同じベッドルームから髪の長い綺麗な女の子が裸で現れて、私に気が着くと悲鳴を上げてバスルームに駆け込んだ。
 ……あ、……あの、悲鳴を上げたいのは私なんですけど……、朝から心臓に悪いなぁ……、二度と部屋に上がって来ないと胸に誓ったら……。
「そうだ、明日の朝から部屋へ上がってきてコーヒー入れてくれる?」
 麗音様はそう宣った。
 勿論、秘書は拒否を試みるも、即却下……、どうやら文句言える立場ではないらしい……悲しい私。


 それから髪の長い彼女が、たっぷり時間を掛けて髪を乾かす間、麗音はパソコンを見ていたが、することが無い私は自分の部屋では味わえない、上等なコーヒーをじっくり謳歌していた。
 これが味わえるなら、コーヒーを入れに来てやってもいいかな?
なんてゲスな考えが脳裏を掠めた……、ああ、いったい私はどこまでセコくなったのだろうか、上昇気味だった気分が一気に下降する。
 部屋の掃除や洗濯は毎日トキさんが来てしてくれるらしいが、床に落ちたコンドームを見てトキさんはどう思うのだろうか……、”まあ、あの可愛い坊ちゃまが!”なんて驚くだろうか……。
「何笑ってんだよ」
 その時、麗音から声が掛かった。
「え? 笑ってた? 私」
「気持ち悪いぞ、ひとりで笑ってた」
 いつパソコンから顔をあげて私の顔を見ていたんだろうか?
「ねえ、今日の予定は?」
「そうだな、そろそろ君に任せようかな」
 麗音はソファの隣に来るよう言って、自分のパソコンにあるスケジュール表を私に見せた。
「これが今日の予定、これから彼女をマンションに送ってから、一度会社にもどって昼食後に今度取引をする企業に向かう。それから親父の会社に用があって遅くなると思うから、迎えに来なくていい。君は五時になって帰ったらいいよ」
「あのさ……」
「何?」
「さっきから、どうして”君”って言うの?」
「ケジメだよ。オレはあくまでも君の雇い主、友達じゃない。まして、今はプライベートでは無い。君も気をつけてくれ」
 一理あるが、ここはプライベートじゃないの? 
まあ、何かにつけて他人の前で秘書がタメ口を聞くのは宜しくないのは確かだ。
 気を付けなくてはと、改めて思った。


 彼女をマンションの前まで送り届けた時、後部座席では離れがたい恋人同士の、ねっとりフレンチキスが何時までも続いていて、私はいたたまれなかった。
”社長! 早くしろよ!”って、叫びたかった。
 漸く唇が離れて、二人して一旦外に降りたかと思ったら、路上でまだキスをしていた。 
 そして、麗音は戻って来たかと思ったら、助手席に滑り込んだ。
「どうして後ろに座らないの?」
「萌花が寂しがってるんじゃないかと思って」
 普通なら誰もが虜になるような、麗しい笑顔でにっこり微笑んでそう言った。
「私はそう思うあんたの神経を疑うわ」
 麗音はケラケラと笑った。
 二人っきりになるや否や、ケジメモードは吹っ飛んでいた。
「さっきは愉快だったよ萌花、オレの家にはゴキブリはいないから」
”くくく”と笑っている。
 私は顔が赤くなるのを感じながらも、麗音を睨みつけて言った。
「あ、んた……ねぇ」
「コンドーム見つけたんだろう? 可笑しかった萌花の顔」
 知られていたとは……、こうなれば自棄だ。
「ゴミだと思って拾っちゃったじゃない! いい加減にしてよ!」
「あはははは、顔が引きつってたよ」
「笑いごとじゃないんだからね! 他人様の使用済みコンドームなんて! 触ったの初めてよ!」
 麗音はお腹を抱えて笑っている、こんな笑顔すごく久しぶりに見たような気がする、しかも随分大人びたなぁ……。
「萌花、寂しかったら何時でも抱いてあげるからね」
「……な、何を朝から真面目な顔して言ってんのよ!」
「なんなら”いいなずけ”復活する?」
 何故か麗音の顔が近くに迫っている。
 何かが可笑しい、これは何か魂胆があるのではないかと私の頭に警笛が鳴った。
「麗音、あなたお爺さまに何か条件出されたでしょう?」
 彼の瞳が煌いた。
「流石、萌花! 鋭いな!」
「やっぱり、おかしいと思ったわ。なんなの? その条件は」
「言っちゃうとマズイじゃないか」
 そう言いながらも微笑んでいる。
 そして、そのハシバミ色の悪戯な瞳は、じっと私の目を捉えていた。
「麗音!」
「……わかったよ。それはね、お前と”いいなずけ”復活したら、爺さんの持ち株三割、結婚したら全額くれるってさ、とてもいい条件だろう? おまえにも何割か譲ることは約束しよう。そして、様子を見て離婚すればいいんだ。そしたらおまえはもう借金に悩むことも無く、贅沢に暮らせる。どう? 悪くない話だろう?」
 呆れてものが言えない……。
 この腹黒男!
「……なに言ってんの麗音、それってお爺さまを裏切ることじゃない……」
「何をもって裏切りと言うんだ? 結果会社が上手く経営できたら上等じゃないか、ジジイもそろそろ引退してもいい年だ」
 私は麗音のお爺さまが大好きだった、その彼を裏切るような話を持ちかけてくる彼が信じられなかった。


「だから萌花、オレと結婚しよう」









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