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 Kiss Me

4


 ホテルのようなふかふかの羽根布団、清潔なシーツの中で、私は久しぶりに心地よく目覚めた。
 室内もシンプルでいて、高級な感じがする部屋だ、一瞬ホテルなのかと思ったが、ベッド脇にやって来た人物に見覚えがあって、大急ぎでそれを打ち消した。
「坊ちゃま、お目覚めですよ」
 私はその年配の家政婦さんを知っている。
 彼女が後ろの方を向いて誰かに声を掛けた。
「萌花さん、大丈夫ですか? 良かったやっとお気付きになられて」
「トキさん……ここは?」
 目の前に居る六十代前半の、白髪交じりの黒髪を後ろでひとつに束ね、エプロンを着けて心配そうに見下ろしているトキさんは、確か桐生家本宅の家政婦さんで、子供の頃から知っている仲だった。
 本宅はよく遊びに行っていたので、隅から隅まで知っていたが、こんな部屋は無かった筈だ。
「ここは、旦那様が昔使われていた別宅のマンションですよ。今は麗音坊ちゃまが使ってらっしゃいます」
 にこにこ微笑んでトキさんが言った。
 昔からトキさんは麗音に甘かったから、相変わらず可愛くて仕方ないのだろう。
「どうして私はここに居るのですか……?」
 その時、麗音がベッドの足元に現れた。
 無表情な顔して私を見下ろしているが、整った顔ゆえに返って怒っているようにも見える。
「公園のベンチで倒れている所を、麗音坊ちゃまと聖駕坊ちゃまが見つけて下さったんですよ。萌花さんは酷い熱で三日間目覚めなかったんです」
「三日間も?」
 思い出した……、そうだ公園のベンチで少し横になろうと思ったのだった。
「あれは、倒れていたのではなくて、少し具合が悪かったから横になっていただけなのよ……」
「バカか? あんな物騒な所で、横になっていただと? まあ、金品取られる物は何も持って無いだろうけど、身を守れたことだけでも感謝するんだな」
 麗音の言うことはもっともで、私はぐうの音も出ない……。
 でも、動けない程に疲れきっていたのだ。
「でも、どうして居場所が分かったの? 電話もメールも無視していたのに……」
「GPSがあるだろう……、ご丁寧に聖駕がおまえの位置を確認していたから、お前から連絡が無いから聖駕が心配していたんだ」
 なるほど……。
「お腹空かれたことでしょう、何か作ってきますね」
 トキさんはそういうと、下がって行った。
 部屋に麗音と取り残されて何だか気まずい……。
「……今は朝なの?」
「丁度、お昼だ」
「色々ありがとう。……夕方までには出て行くね……」
 私がそう言うと、麗音は穴が開きそうなほど、たっぷりと時間を掛けて私の顔を見ていた。
「オレはそこまで非道な人間じゃないぞ萌花、病人を追い出す奴だと思ってるのか?」
「そうじゃ無いけど、あなた凄く怒った顔して私を見てるから、迷惑なんだろうなと思ったの……、それに聖駕には頼るなって言ったでしょう? 私がここに居るってことはそう言うことでしょう? 麗音を頼ってることになるでしょう?」
「病人は別だ! それにオレが怒っているのは、お前があんな繁華街の危ない所で無闇に眠っていたことに対してだ、誰かに連れ去られたら今頃どうなっていたか分からないんだぞ、そんなバカなお前を怒ってんだ。それと、トキさんをお前の看病に貸してくれとジジイに言ったら、お前が倒れたいきさつから何から何まで喋らされて、しかもオレは散々不当な理由でジジイに怒られて、おまえの具合が良くなるまで返すなって命令が降りたんだ」
「お爺様が?」
「そう、お前のことは気になってはいたが、頼ってくれないと寂しがっていたぞ……、あの分じゃ就職も世話してくれるんじゃないか?」
 麗音のお爺さまが、”いいなずけ”を解消した後も、私のことを気にかけてくれていたのかと、少し意外だったがそうだと思うと嬉しかった。
「お爺様は覚えていてくださったのね……」
「そりゃまあ、オレが”いいなずけ”を解消したから、親友との約束を果たせず無念でいる人だから」
 麗音は真っ直ぐ私を見ていた。
 ”いいなずけ”を解消した理由は、知っていた。
 麗音十五歳、私が十八歳の時で、まだきっと今よりかなり純真だった麗音は、私を好きだと言ってくれたのに、私はその時事もあろうに彼の兄、翔(かける)さんに恋していたから、素直にその気持ちを麗音に伝えた。
 そのすぐ後に麗音は”いいなずけ”の解消を祖父に求めて渋々承諾を得ると、アメリカに留学したのだった。
 その時から、一度も麗音に会うことも無かったし、言葉さえ交わして無かったのだ。
「おまえをここから追い出したら、桐生財閥の財産はお前に一銭も渡さないって言いかねないからな」
 幼くて純真で真っ直ぐな瞳を向けてきてくれていた少年は影を潜めて、野心家で腹黒で、どことなく侮蔑を含んだような瞳で、私を見下ろしている青年が目の前に立っていた。
 そして麗音は完全に私の見知らぬ彼となっているのを、思い知らされたのだった……。





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