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 Kiss Me

26


 寝室に戻ると、翔さんが白いパーカーを脱がして、シーツをはぐり麗音をベッドへ横たえた所だった。
 熱で蒸気した顔が赤く、翔さんが麗音の額に掛かる髪の毛を払うと、薄っすらと汗を掻いているのが見て取れた。
 私が体温計を翔さんに渡すと、彼は麗音のTシャツをめくって脇の下へ体温計を入れたが、成すがままの麗音は眉間に皺を寄せて、かなり苦しそうな表情だった。
 でも、兄が甲斐甲斐しく世話を焼く姿を見て、どんなに麗音が可愛がられているのか分かったし、こんな状況ではあったがとても微笑ましく思え、そして近くに兄弟がいる二人がちょっぴり羨ましかった。


「萌花はこの部屋から出た方がいい。もしインフルエンザだと移ったら大変だからね」
 その時、苦しそうな顔した麗音の目が開いた。
「……インフルエンザでは無い……」
「そんなのわかんないだろ? 悪寒がして寒いのだろう?」
「わかる……、ただの風邪だ……」 
 きっとかなり具合が悪いに違いない、麗音はそう言い捨てて再び目を閉じた。
「そう言えば、ここ二、三日、少し疲れたようだったわね……」
「……数日前から具合は悪かったんだ……」
「じゃあ、インフルエンザではないかも知れないけれど、取りあえず萌花はリビングに非難しておいて」
「でも……翔さんは」
「僕は予防注射打ってるから大丈夫だよ。直ぐにお医者さんが見えるだろうから、来られたらここへ案内してくれる?」
「ええ、わかりました」


 私がリビングに避難して程なくお医者様が現れた。
 白髪交じりの年配の先生は桐生家の主治医らしく、翔さんと簡単な挨拶をしてから看護士さんと一緒に、麗音の寝ているベッド脇へと歩み寄った。
 子供の頃の麗音もよく風邪をひく子供だった。
 元々色が白くて華奢で見た目通りの病弱な子だったので、直ぐに熱を出して学校を休んでいたが、本人はズル休みできて喜んでいたことを私は知っている。
 中学生になった頃から背も随分伸びて、スポーツクラブに勧誘され始めると、バスケやサッカーなど一通りのスポーツは難なくこなしてはいたが、元々飽き性な性格からどれも長続きせず、唯一の趣味ときたらハッキングで、手に負えない子供と化していた。
 まあ、今も別な意味で怪物だが……。


「インフルエンザでは無いようですね」
 お医者さまはキットのような物を片付けながら、翔さんに微笑んでそう言った。
「ただの風邪ですが、まだ夜中にかけて熱が上がると思います。一応、注射も打っておきましたから、後はゆっくり静養されることですな。お薬も置いておきますから、朝昼晩と飲ませてあげてください」
「母も、祖母も旅行に行ってて誰もいないんですよ……、僕も明日は朝早くか出張ですし……。誰か付いてた方がいいですか?」
「まあ、ただの風邪ですから、看病と言っても安静が一番なので、付いている方がおられないのなら、薬を飲む時間に様子を見に来られるくらいでも大丈夫でしょう」
「では、此処へは日中実家の方からトキさんが日常の世話をする為に通ってますので、彼女に任せようと思います。先生、今日は急なお呼びたてしまして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもない、これが私の仕事ですから」
 医者と看護士は鞄を持って立ち上がりながら微笑んだ。
 玄関に向かう三人にお辞儀をして見送ると、私は麗音の様子を見に寝室に入って行った。
 傍らに立って、ベッドで静かに横たわる麗音を見下ろすと、息はさっきより幾分落ちついたようにも見え、顔つきも若干穏やかに見えた。
 注射で少しは楽になったのだろうか……。
 じっと見下ろしていると、麗音の目が開いた。
 充血した瞳は潤んで、やはりどこか痛々しい。
「じゃあ、私も帰るね……」
「……」
「明日の朝、寄るから」
 麗音はじっと私を見ていたが、何も喋らない……。
「じゃあね」
 そう言って、背中を向けて出てゆこうとした時、私は服が引っ張られるのに気が付いて振り向くと、麗音がコートの裾を握りしめていた。


「……夜中に具合が悪くなったらどうする……」
 弱々しい声でそう言った。


「ただの風邪でしょ?……」
「……夜中に死ぬかもよ……オレ……」
 それって引き止めているの?
 真顔の麗音は表情が読み取れない。
「私に居て欲しいの? 麗音」
 私は上から麗音を見下ろして問う。
「……」
 返事を待ったが返事は無いし、しっかりコートの端は握られたままで離してくれそうにも無い……。
 そして、じっと麗音の目を見る。
「ねえ、私に居て欲しいの? り お ん」
 普段、麗音を苛めるチャンスは滅多に無いのでここぞとばかりに……。
「……≠ヲ+*%$#……」
「何? 聞こえない」
 唇は動いたが、声が細すぎて本当に聞こえなかったのだ。


「……居て欲しい……」


 何だか……、感動……かも!
 あの麗音に”居て欲しい”と言わせてしまったなんて、思わず顔がほころんでしまう!
 きっと、私にそんな事言って後悔めいっぱい、赤面ものだろう彼の顔色を伺っても、彼の顔は元々熱で赤いから実際ほんとうに赤くなってるのかどうか分からない……チェッ。
 でも、睨んでいるのはいつもの顔だ。


「……おまえ……覚えていろよ……」


「なんだ元気じゃない……」
 私が笑って言うと、麗音は怒ったのか私に背を向けそっぽを向いた。
 途端、急速に後悔し始める私……、具合の悪い病人相手に意地悪するなんて、でも私のことなんか普段は決して必要じゃ無さそうなのにと、可笑しくて思わず笑みが零れる。
「ごめん麗音、だってそんな台詞普段は絶対に聞けないから言わせたかったの」
 そう言って、私は向こうを向いてしまった麗音の顔を覗き込んで見ると、眉間に皺を寄せて苦しそうな顔をしていたが、私の気配に気づいたのかゆっくりと瞳を開けた。
「ごめんてば……」
「……」
「たまには有利に立たせてよ、あなたには何も叶わないんだから……」
 ぽつりと私はそう言った……。
 その時、何故だか麗音がチラリと私を見た。
「……バカ……」
 それだけ言うと、麗音は再び目を閉じた。
「わかったから……、今日は幼なじみのよしみで看病してあげる。お母様もお婆さまも旅行なんですってね。これから一度家に帰って、明日の用意して戻ってくるから、何か欲しいものある? あればコンビニで何か買ってくるけど?」
 相変わらず返事はない……、私は麗音の額にそっと手を触れた。
 そして額に掛かる髪の毛を後ろに払っていると、麗音は目を閉じたまま身体を上向け私の手を掴んだ。


 いつしか開いた瞳が私をじっと見ている……。


 私も麗音の瞳に囚われたように、熱にうなされて潤んだ瞳から目を逸らすことが出来なかった。
 麗音は何を考えているのだろう、黙ったまま私たちの視線は絡みついて、言葉が見つからない……。
 ただ、彼に掴まれた手がじわりと仄いて、ちりちりと私の胸を焦がす……。


「萌花、送って行くよ」
 その時、翔さんがコートを手に寝室の入り口に現れた。
 私は麗音の額からそっと手を離しながら、一度家に戻ってからここへ再び看病に来ることを翔さんに告げる。
 すると彼は最初どうしたものかと考え込んでいたようだったが、どっちみち朝には秘書として彼の様子を看に来なければいけないし、向かえに来てるのだから一晩看病してもどうってことないと告げると、翔さんも渋々ながら承諾した。
 第一、全く知らない仲ではない。
 子供の頃から麗音が寝込むのを見ていたから、今に始まったことでは無いことを私たちは知っている暗黙の了解でもあったのだ。
 ただあの頃と違うのは、複雑な心の奥底で渦巻く感情の波に、どう対処していいのか時々困り果てることがある。




 そう……今のように……。
 
 


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