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 Kiss Me

23


 
 私が麗音の女に殴られてから数日たった今現在、マンションで彼女らと会うことは無かった。


 麗音の脱ぎ散らかした衣服を拾うことはあっても、女物の服が床に落ちていることも、すれ違うことも無い、心臓に悪い毎日は意外にも唐突に終わりを告げたようだった。
 ただ、麗音の寝室にコンドームが落ちているのを、遠目で見たことはあるが、基本、通常は寝室に入らないので、そういう物は見て見ぬ振りをする。
 だから彼の周りで完全に女の気配が消えたわけでは無いが、彼女らの私を見る奇異な視線、或いは憎しみのこもった目を見なくて済む、それだけでも大きな負担から開放されてほっとしたのは事実だった。
 あの麗音が少なからず私に気を使ってくれていると思ったら、嬉しかったし少しばかり感謝の念もわく……。
 そしてできればそろそろ落ち着いて、普通の男の子のような生活をして貰いたいが、もう既に”普通の男の子”ではない麗音の立場では無理なのかも知れない。
 それが私と麗音の隔たりを感じさせられる原因ともなり、彼を遠くに感じて寂しくなるのだ。




 私は大学の駐車場で授業が終わる麗音を待ちながら、これからの予定を確認していた。
その時、運転席のガラスが”コンコン”とノックされ、驚いて顔を上げるとそこには私の従姉妹、五歳年下の一色美海(いっしきみみ)がニコニコ微笑みながら立っていた。
 窓ガラスを開けると、冬の冷たい一陣の風と共に美海の着けている香水の甘い香りが、味気ない車内にふわりと侵入してきた。
「きゃぁ! やっぱり萌花ちゃんだーっ! すっごい久しぶり!」
 明らかにエクステとわかる程に仰々しい睫を震わせながら、美海は長い髪の毛で覆われた形の良い顔を綻ばせて喜んでいる。
 長いロングコートにロングブーツ、ブランドの高価なバッグという出で立ちは、歴史ある重厚な構内で似つかわしくない程に派手だ。
「久しぶり美海。そっかあなたもここの学生だったのよね……」
「うん。麗音さんと一緒! 萌花ちゃんは今麗音さんのとこで働いてるんだって?」
「そうなの」
「麗音さんが言ってたけど、驚いちゃったよ。でも、ママは喜んでたよ。麗音さんなら安心できるって。美海もそう思うよ。それに萌花ちゃんが羨ましい! だってずっと一緒に居られるんでしょ?」
 ああ、ここにも麗音信者が独りいたんだっけ……、いや母親と一緒で二人か……。
 どこまでも触手を伸ばしている男だ……。
「でも、それは仕事だから……」
 私は苦笑いした。
「仕事だって一緒に居られるのには違いないじゃない? 私もアルバイトに雇ってくれないかな?」
 美海の瞳はキラキラと輝いている。
 こらえて下さい美海ちゃん、テンション高い美海と一緒に居ると頭が痛くなっちゃうよ。でも、見かけも仕草も屈託ない性格も含めて、会社に美海がいたらみんなは喜ぶだろうな、矢部さんの緩む笑顔が目に浮ぶ……なんて思ったりする。
「でね、でね! 今度、麻里奈お姉ちゃんの結婚式があるでしょう? 美海もパパとママとみんなでパリに行くんだよ!」
 あら!
 そっか……、まあ当然か。
 美海の母親は私の母の妹、つまり叔母だ。
 唯一、親族で私たちの行く末をいつも気にかけていてくれた人が、この美海の両親になる。会社が経営不振だからと屋敷と会社を取り上げた叔父は父の弟で、その家族は今に至って何の音沙汰も無く、いつの間にか”傾きかけたという会社”の、部長職から社長というの地位に就いていて、私たち姉弟に関して全く感知しない。
 元々、祖父が設立した会社であったから、そのまま叔父の手に渡っても仕方の無いことではあったが、父が亡くなったことで屋敷も会社の経営権も、すっかり私たちは失くしてしまっていた。
 しかも、父の生命保険まで会社存続の危機だからと、叔父に取り上げられたが、今まで働いてくれた社員の将来のことを考えると、路頭に迷わすことも出来ず、幸い私と麻里奈は働いていたし、空遥の大学資金と生活費だけは麻里奈の交渉でなんとか確保できたので、私たち姉弟は納得せざる終えなかった。
 巷で囁かれた屋敷が抵当に入ったとかでは無く、資金繰りの為に家を売る、そういう形で出てきたので、母の形見である宝石など身の回りの大切な物の持ち出しについては叔父は黙認したが、ただもっと高価な家具とかアンティークの品の数々は、少しでも会社再建の為に競売にかけるからと言われたと、後に麻里奈が話してくれた。
 まあ、麻里奈も空遥も日本に帰ってくるつもりもなさそうなので、そのあたりの詳細が何となくうやむやになってしまった感は否めなかったが……。
 空遥に至っては『僕は元々父の会社を継ぐつもりもなかったから、傾きかけた会社でも叔父さんが継いでくれると言うのならやってもらえば?』なんて呑気なことをのたまった。
 今となってはどこが傾きかけた会社なんだ? と疑問も残るし、もしかして、叔父が言うほど経営難では無かったのでは?
 ――と、疑いたくなるほど会社は順調なように見えるが……。
 まあ、……あの時、確かに私たちではどうにもできなかったから、父が身体を壊してまで頑張った会社を引き継いでくれたことは、誰か他人に渡ることを考えればそれはそれで良かったかもと思えるし、今となっては叔父を恨んでもいない。
「萌花ちゃんたら! 私の話、聞いてる?」
「あ、ごめん……なんだっけ?」
「私たちも一緒にパリに行くの! 麗音さんと同じビジネスの席取ったのよ、一緒に行けると思ったら嬉しくって! でも萌花ちゃんエコノミーなんだってね、麗音さんが萌花ちゃんの席をビジネスにアップグレードするって言っても、萌花ちゃんが”エコノミーでいいって聞かない”って言ってたよ」
 この煩い小娘が、麗音の横に座ってるのを想像すると笑いが込み上げて来た。
 麗音のうんざりする顔が浮かぶなんて、私って意地悪だなぁ……。
「だって、私はあなたたちみたいにお金持ちじゃないから、ビジネスなんて分相応よ」
「萌花ちゃんたら! 麗音さんに言いにくいのならパパに頼んでビジネスに変えてもらおうか?」
「いいの! 美海、決して余計なことはしないでね。気持ちだけありがたく頂くから、それに私としては会社で四六時中麗音にこき使われてるのよ、旅行に行く狭い機内でまで一緒にいたくないわ、リラックスできないでしょう」
 それは少しばかり本音で、隣に麗音がいたら落ち着かない、ゆっくりひとりで座りたいのは正直なところだ。
「もう、萌花ちゃんたら贅沢なこと言ってる! 美海なら片時も離れたくないのに! アメリカから帰って来た麗音さんってほんとにかっこ良くなったと思わない?」
 麗音信者である美海はうっとりするような目をして微笑んでいる。
「そんなの本人に言ってあげたら?」
 私たちが話しをしていると、その噂の主が正面玄関から彼女と一緒に現れた。
 目の前で繰り広げられている光景を、私は美海に彼らを見るよう指さした。
 それに気付いて後ろを振り向いた美海は、ぎょっとした顔してその場で凍り付いた。
「ぎゃぁ! 私の麗音さんが!……」
 そう言って絶句する美海の前で、麗音は例の女子大生とフレンチ・キスをしていた。
 美海の言い方もいちいち可愛いなぁ、思わずクスリと笑ってしまうじゃないか。
 それにしても麗音の慣れたキスの仕方は、外国人並で違和感無く様になっている。
 彼女の黒い瞳が濡れたように妖しく煌いているのがわかる。
 そして、どんなに近くにいても気持ちが近寄らない麗音の事を思うと、私の胸がチクチク痛む……。
「ダメよ! やめさせなきゃ!」
 美海は毅然とそう言と、物凄い形相で麗音の側に駆け寄って行った。
 

 えーーー?


「美海!?」


 あら――、行くわけ?
 美海は大声で麗音の名前を叫びながら駆け寄って行った。
 彼が顔をあげた隙に彼女の腰に回した麗音の腕を掴んだ美海は、強引に彼女から引き離した。
 

 あらら……、本当にやってしまった……。


 そして、麗音の首に両手を巻きつけて、可愛いい顔に笑みを称えながら言う。


「麗音さんに、私のバージンをあげるからね」


 その言葉に、そこにいた誰もが目を丸くした……。


   

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