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 Kiss Me

2


 コーヒーの香ばしい芳香が、鼻をついた。
 瞼の上が明るくて、どこからか軽やかな音楽が聞こえて来る……。
 朝か……。
「……、こいついつもここに?」
 意外と近くで麗音の声がした。
「毎日じゃ無いけど、仕事で酔いつぶれた日には寄るかな、でもそれは僕がここに来るように言ってあるから、だって、帰り危ないでしょ?」
 そんな二人の会話が聞こえていた。
「萌花も大変なんだよ、五年前にお爺さんを亡くしたと思ったら、二年前はお父さんでしょ? その弟さんが会社を引き継ぐとか何とか言いながら、この会社は負債で何も残らないって言って、屋敷や別荘まで全て取り上げちゃったんだよ。それもさあ、僕は少しばかり怪しいとは思うんだけど、訴えるにしても両親はもう居ないし、肝心の長女である麻里奈もここには居ないから、異議申し立てとか誰もしないのを見越してんじゃ無いかと思ったりして、まあ、向こうの思う壺のような気もするんだ。その挙句、萌花は一文無しで家を放り出されたんだ、幸い大学は卒業できて就職も決まったんだけど、友人に頼まれた保証人制度で、その友人が払えなくなって夜逃げしちゃってさ、サラ金だったものだから今萌花は必死で働いてその金を工面してるんだ」
「バカな奴……」 
「少しでも援助しようかと言ったんだけど、萌花も”出来るだけ頑張るから”って断るんだよね……、でもそろそろ限界なんじゃないかなぁ……」
「こいつの姉弟は今どこに?」
「麻里奈(まりな)はパリで仕事してるから暫く帰って来てないな、空遥もパリで麻里奈と一緒に暮らしながら写真家目指していて、空遥(そなた)はいいって言ってるんだけど、萌花は空遥にまで時々仕送りしているんだ……、だから自分はもう破産寸前……」
「最悪だな……」
 朝からそんな深刻な話をしないで、その沈黙は私を哀れんでいるのかな? 
 麗音……。
 起きるに起きられなくなった私は、タイミングを見計らっていた。
「てめぇ、起きろよ、たぬき寝入りしやがって!」
 目を開けると、自分のコーヒーカップを手にした麗音が、真向かいのソファに腰を下ろす所だった。
 シャワーを浴びてすっきりした顔の麗音は、私の知っている少し長めで、緩くウェーブの掛かった薄茶色の髪の色やハシバミ色の瞳という、七年前の面影をどっぷり残してはいたが、随分背が高くなり美男子度もこれ以上無いくらい、更に上がっていた。
 そもそも、中学三年生の頃までしか、知らないから無理も無いが……。
「だって真剣に話をしてるから、起きにくかったのよ……」
 と言いつつ、起き上がると頭が鉛のように重く、聖堂の鐘に頭を突っ込んだような酷い痛みが襲ってきた。
 完全に二日酔いだ……。
 その時、聖駕がコーヒーカップを差し出してくれた。
「おはよう萌花、シャワー浴びてくれば? 酷い顔してるよ」
 麗音に負けず劣らず清々しい聖駕も、黒髪の先に雫が垂れている。そして、何より笑顔が優しい、ここが麗音と徹底的に違う点だ。
「ありがとう聖駕、うん、分かってるけど……頭痛い……」
 私が頭を抱えていると、射抜くような麗音の鋭い瞳と目が合った。
「何よ……」
「酷いザマだな萌花……」
 久しぶりに会う麗音が言う言葉は、今の化粧が剥げかけて服が乱れた私の姿のことか、ひと昔前まで何不自由無く育てられた令嬢の私が、現在破産寸前にまで追い込められているという、現状のことを哀れんで言ったのか、私には検討がつかなかった。
 どちらにしても、この素晴らしく輝く朝の光の中、天に祝福されて生まれて来たような容姿と、財産、これら二物を持っている裕福な彼らを前にして、私は酷く惨めに思えて来たのは事実だった……。
「まあね、落ちるところまで落ちたってとこかな」
 今更隠すことでもないだろう、私は笑った。
「笑ってる場合か……、それにさっきから携帯鳴ってるだろう、煩いから早く出ろよ」」
 マナーにしてあってもバイブだから振動が微かに聞こえるのだ。
「ダメ、これってサラ金の催促だから、出たらね、大阪弁でまくしたてられるの、まるでヤクザな世界なのよ! 映画とかであったでしょう? あのまんまなの!」
「……おまえ、呆れてものが言えない……」
 麗音は心底驚いたような顔して、私を凝視していた。
「萌花は結構面白がってんだよ、貧乏やったこと無いから」
 聖駕が呑気に笑う。
「この前だって、”どうしよう聖駕! 冷蔵庫開けたらマヨネーズしか無い!”って笑って携帯掛けて来るんだ……まあ、萌花らしいけどね」
「お前たち……、それとサラ金は別だろう、あれは”ヤクザみたい”じゃなくて、そんな口を利く所は”ヤクザ”なんだよ、いい加減にしないと酷い目に遭うぞ」
「萌花、もうここに引っ越して来な、そしたら家賃助かるよ」
 優しい聖駕はいつもそう言ってくれる。
「うん、ありがとう聖駕。でも、もう一度大家さんに掛け合って見るね、それがダメなら行くところないからここに来てもいい?」
「勿論、いつでもおいで」
 とても四つも年下、しかも社会人が大学生に言われる言葉ではい。
 ――が、聖駕は私を甘やかしてくれる。
「結局、聖駕に頼るんだな」
「どういう意味よ麗音」
「自分でやるみたいなこと言って、結局は聖駕に頼ることしかできないくせに、それなら最初から金も借りとけばいいのに」
「人を寄生虫みたいに言わないでよ」
「どう違う? 結局は聖駕に頼るんだろう?」
 麗音の言う通りだけど、それはわかってるけど、今、挫けそうな今、それを麗音の口から聞きたくは無かった。
 私は麗音と同じ空間に居るのが嫌で、バッグを掴むと部屋を出た。
 後ろから聖駕の私を呼び止める声が聞こえたが止まらずに、エレベーターを待つのももどかしく、階段を一気に駆け下りた。
 久しぶりに会えて私は嬉しかったのに、麗音は酷く冷たい顔して私を見ながら、慰めてくれるどころか非難した。
 私にとって唯一のより所と言ってもいい、聖駕の存在を否定されると、私は世間に独り放り出されたような孤独に苛まれる。


 そして、途方に暮れるのだ……。


 
 



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