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 Kiss Me

16


 

 次の日の事だった。
 食事を終えた昼休み、私は都さんと談笑しながらコーヒーを飲んでいた、その時、驚いたことに翔《かける》さんからいきなり会社に電話があって、早速、今夜夕食をどうかと尋ねられた。
 突然の電話、しかも、あの翔さんと食事なんて恐れ多くて、正直な話し少しだけ戸惑ったが、そういう私の微妙な気持ちを感じ取ったのか、翔さんは”今の僕は仕事人間で味気ない毎日を送ってるんだ、懐かしい妹に会って近況を聞きたかったんだけど駄目かい?”そう言われれば無碍《むげ》に断る理由もないし、また、確かに私も久しぶりに翔さんと再会できて、会話を楽しみたいという思いも少なからず膨らんで、堅苦しいフレンチコースだの高級レストランはやめて欲しいと希望すると、彼は快く応じてくれた。
『そうだね。でも、仕事が終わってからだから僕はスーツ姿なんだけど許してくれる?』
「勿論です。私だって着替え持ってませんから」
『萌花は大丈夫だよ。何を着ていても綺麗だから』
「もう、翔さん! そういう事を言うの止めてくれませんか?」
 受話器の向こうで笑っている彼の声が聞こえた。
 軽やかに笑う声は、私の記憶にあるままだ。
『じゃあ、五時半でどうだい?』
「ええ、大丈夫です」
『会社に迎えに行くよ、楽しみにしてる。じゃ後でね』
「はい」
 翔さんとの会話で綻んだ顔のまま受話器を置いて、ふと目を上げたらローパーテーションの向こう、ランチから帰って来て、目の前に立ってる麗音と目が合った。
 え? 
 そこに居たの?
 さっきの会話をまた聞かれたのかな……?
 何となくバツが悪い。
 意地悪な麗音のこと、何を言い出すか分からないからだ。
 案の定、麗音は私の前のパーテーションに左腕を乗せて、身を乗り出してきた。
「思ったより、意外と行動が早いな翔は……」
 どんな感情も浮ばぬ無表情でそう言った。
 その顔を見て、私の頭に警告灯が点滅する。
「今日は確か五時で終わっていいって言いましたよね?」
 私が訝しげに麗音を見たのは、気が変わってダメだと言いかねない男だからだ。
「うん。いいよ、オレは少しここでやらなくてはいけない仕事があるから、何時に終わるか分からないしね」
「帰りはどうするんですか? 朝、車が必要だから私はまたここに戻ってきて運転して帰るつもりですが? まだ居たら声かけましょうか?」
「いやいい。タクシーを拾うからいい。乗って帰ってくれ」
 お、今日は麗音さま素直じゃん……と、ちょっとだけ関心してると……。
「でもさぁ萌花。食事だけだよ、あいつのベッドまで付いて行くんじゃないぞ」
「ブッフォッ!」
 私の隣の席で、お茶を飲んでいた都さんが吹き出した。
「麗音! なんてこと言うんです! 翔坊ちゃんがそんなことするわけ無いでしょう!」
「あいつだって男だ、わかんないよ」
「ひとまず、麗音よりは安全だと思いますよ私は!」
 そう言って、都さんは私に向き直ると力説した。
「ええ同感です。私は翔さんについて何の心配もしてませんから」
 私も笑顔で答える。
「チッ、我が社の女性社員は社長のオレより、桐生物産の部長の味方のようだな」
「私は翔さんのファンですよ。いつも礼儀正しくて、律儀で、あの大会社を背負って行けるのは翔さんしかいないでしょう」
 都さんは麗音を前にして平然と言うが、それは麗音があの会社に興味が無いのを知っているから言えるのであり、口は悪いが普段麗音に接する態度を見ていると、彼のことを自分の子供のように時には叱り、時には賞賛しているのがわかっている私は、そんな二人をいつも微笑ましく見ていた。
「お爺さまもそう思ってるんじゃないですか? 麗音の素行調査されるくらいだから」
 私がそう言うと、再び都さんが吹き出した。
「あらら、またやったんですか?」
「”また”ってなんだよ」
「あの方は、数年に一度は坊ちゃま方の素行調査やってましたからね、私が頼まれて興信所にお願いしてましたから知ってます」
「あのクソジジイ……、何やってんだよ」
「会長は何よりの会社を、従業員を大事になさっていますからね、跡取り問題は重大なんです。ろくでもない人を社長に挿げて、社員を路頭に迷わすことになったら困りますからね」
「”ろくでもない”って、もしかしてオレのこと?」
「さあ……、どうでしょうね。思い当たりますか?」
 あからさまに都さんは嘯《うそぶ》いた。
「チッ、あのジジイにこの秘書だ、どちらも狸だな」
「麗音、言いすぎよ!」
「いいのよ萌花さん。 麗音の口の悪さは天下一品ですからね」
「都さんがいなければ、この会社が回らないって知ってるんでしょうかね? この社長は」
「萌花さんは良いことを言ってくれるわね」
 そう言って、都さんは嬉しそうに微笑んだ。
「二人で結託しやがって……、おまえら最近、似てきたな」
 麗音がそう言いつつ、今まで隠れていた右手を上にあげた時、美味しいと有名なスイーツ店の箱を見つけて思わず私は指差した。
「あーーっ」
「折角二人に買ってきてやったのに、もう、やんないよ。そこまでこき下ろされちゃあね。安部さん〜甘いもの食べませんか?」
「お! 頂きますよ!」
 聞こえていたのかメタボギリギリの安部が、自分のパーテーションの前に乗り出して、嬉しそうに顔を出した。
「麗音! そこが子供だっていうんです! 男なら黙ってさっさと出す!」
 都さんはそう言って、ニコニコしながら両手を差出した。
 麗音は大袈裟に溜息を吐いて、堪忍したように都さんの命令に従い、彼女の手の平にスイーツの箱を乗せる。
「心配しなくても大丈夫よ。安部君にも分けてあげますからね。それに流石、坊ちゃんお洒落だわ! 気が利きますね、今話題だから私もここのスイーツ食べてみたかったんですよぉ」
「敵わないな都さんには……」
 麗音がクスリと苦笑いした。
「 麗音のポイントが高いところはここね、普段は女どもを軽くあしらってるかと思いきや、たまにこういう可愛いことするから許してしまうのよね。さて、萌花さんがどっちを選ぶか楽しみだこと」
 都さんはそう言ってほくそ笑んだ。
「都さん、それ選択肢狭すぎです。それに、どっちを選ぶですって? 桐生家はみんな兄弟みたいなものですよ。翔さんはお兄さんみたいだし、麗音は弟、それもかなり悪戯なね」
「あら、麗音はそうは思ってないでしょう?」
「オレ? うん、思ってないよ。隙あらばベッドへ引き摺りこもうと思ってんだけどな、なかなか萌花は靡いてくれなくて」
「当然でしょう! だから会長が彼女を薦める理由でしょうが」
「どうだか……、でもオレ、実際の所いま女間に合ってるし」
「でしょうよ……」
 都さんは”やれやれ”と言った風に手を仰いだ。
「いったいあなたは何人の女性と付き合ってるの? 麗音」
 呆れついでに都さんは尋ねた。
「常備三人と、時々、他の女性お持ち帰り……」
 麗音の代わりに私が答えると、否定もせずに彼は口角を上げて微笑んでいた。
「……たく、この子ったら……、いつか痛い目に遭うわね」
「なんでさ、付き合ってみないとわかんないだろう?」
「何が?」
「身体の相性」
 都さんが椅子からズッコケそうになる。
「ああ嫌だこの子ったら! あなたにはそれが全てなの?」
「……全てだと言ったら、怒られそうな雰囲気だな」
「当たり前です! 女性には”愛”が必要不可欠なのよ麗音」
「それは本気で付き合うときだろう? 分からないでもないよ、でもね、身体の相性って大切だよ、そこに愛があって相性も合えば男は浮気しないし、そこに留まるだろうけど……」
「けど……?」
 都さんは麗音が何を言うだろうか、不審そうに尋ねた。
「でもオレは今、愛なんて必要じゃない。求めているのは快楽だけだ」
 口をぽっかり開けたまま、都さんは呆れたように麗音を見上げていた。 
 私たちがその言葉に怯むことを百も承知で堂々と告げているが、それはこちらの反応を見て楽しんでいる彼の自虐的思考の現われに違いなかった。
「麗音って最悪なんですよ、都さん」
 私が言った。
「まったくもって、そうね! 開いた口が塞がらないわ」
「なんでいけないのさ」 
「あなたにはそれが全てのように聞こえるわ」
「だから今はね。だってオレ大学生だよ、いろんな女と付き合ってみないとわからないだろ? 身体から恋愛に発展する場合もあるだろうし……、まあその反対もあるかも知れないが……」
「特定の恋人は見つけないの? と言うか、それじゃ今はいないのね?」
 麗音は顔を顰めて、首を振った。
「今はいないし、いらない」
「じゃあもしもよ、特別な人を見つけたら他の人とはどうするの? お付き合いやめる?」
「勿論、そんな人が現れればね。なんだかみんな誤解してるようだけど、オレってこう見えても一途だよ……、でも最近はあまり無いけどね」
 何故かそこで麗音は私をチラリ見したので、遠い記憶の中で真っ直ぐ私を見ていた、ハシバミ色の瞳を思い出した……。
 私が翔さんを好きだと麗音に告げる日までは、ずっと私のことを好きだった麗音……。
 それは決して自惚れとかでは無く、麗音はいつも態度で示していた。
 子供の頃から何気なく繋がれていた手や、フランス人の祖母を持つ麗音の慣れたビズの数々には、友情以上の特別な感情があったのを知っている……。
 私も麗音のことは大好きだったが、それは弟のような親友のような、いつも側にいるのが当然と思われる必然的存在としてだった。
 その頃のことを言っているのだろうか……、何れにしてもその皮肉は今の私にはきつかった……。
 ボタンの掛け違いのようにすれ違った私の心の扉は、今鍵を掛かけているし……、暫く開けるつもりもない……。
「じゃあ、見つからないから今はフラフラしてるって言うわけね」
「まあね……。それに、今は忙しすぎてさ……、束縛されるような重い関係は面倒だし、きっと彼女がいたとしても不満だと思うよ、一緒に居る時間が無いから別れるのは目に見えている」
「まあ、一理あるわね……。こんなに忙しくてよく女性と遊ぶ間があるんだといつも関心してるくらいだから」
 そう言って、都さんもある意味同意した。
「でしょ? それに結婚する相手探してるわけじゃないし……、あ、萌花は別だよ。萌花がその気ならオレはいつでも結婚するからな」
 そう言って麗音は、にまっと笑った。
「それは何? 麗音は萌花さんとは本気で結婚を考えてるの?」
「ああ」
 腹が立つくらい、麗音はあっさり肯定した。
 さっき、遠い過去の健気な美少年を思い出したばかりだと言うのに、今の腹黒麗音は感傷にひたらせてもくれないらしい……。
「都さん、それは違うんです! 彼はある腹黒計画があって、こんなこと言ってるんです。間に受けちゃだめですよ」
「萌花は相変わらず酷いな」
 睫を伏せ気味にしてふて腐れる。
 傷ついた振りをするのは止めなさい〜。
 さり気無いその仕草は、まだどこかあどけなさを残して、ちょっと可愛かったりする……、でもそれを承知でやってるんだろう麗音!
 タチが悪いぞ!
「まあ、いい。そんな生意気な萌花を落とすのも一興で面白いな」
 そして、瞳を煌かせ直ぐ立ち直る。
「社内恋愛禁止です」
 即答で都さんがバッサリ切り捨てる。
「そんな禁止事項作った覚えはないよ都さん」
「今、私が作りました」
 きっぱりと言う。
「都さんは相変わらずオレには厳しいんだから」
「当然です! 会長から私はあなたのことを頼まれているんですよ! 言わば教育係みたいなものですから……、でもね、あなたと話していたら頭が痛くなってきちゃったわ、これが”アメリカナイズ”されていると言うのかしら……、”身体の相性”だなんて……昔は”恋愛ありき”だったのに……、古い私にはさっぱり理解できませんね。さあさ、もう仕事しなさい麗音!」
 そうして都さんは頭を抱えながら、子犬を追い払うかのような手の仕草で麗音を追いやった。
 麗音は私に向かってエアーで文句を言ったが、やがて彼も肩をすかして自分の部屋に入って行った。




                    
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