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 Kiss Me

15




 最近、朝会社に真っ直ぐ出勤する日は少なかった麗音だったが、金曜日の今日は重要な講義が入っていないと判断した彼は、朝からずっと部屋にこもってパソコンと格闘しているようだった。
 広い机の上のにある三台のパソコンをフルに使っていたが、その中のひとつでカメラを使って誰かと会話しているようだった。
 私は真面目に仕事をしている麗音を見ているのが好きだった。
 凡そプライベートでは見せない真剣で、何かに熱中している姿は、いつもの軟派な彼からは想像しにくいほどに男らしかったからだ。
 たまたま前を通り掛かったとき、麗音がジェスチャーで”コーヒーを持ってきて”と合図を送ってきたので、暫くして彼の部屋にコーヒーのカップを持って入って行くと、麗音はアメリカにいる共同経営者と英語で話をしている真っ最中だった。
 共同経営者と言っても、彼はアメリカ担当のようなものだから、切り離して経営していると言ってもいいのかも知れない。そのウェブカメラの相手は麗音と変わらぬ年齢の若者で、ラフなTシャツ姿で足をデスクに乗せながらにこやかに喋っていて、傍らの私に気が付くと手を振った。
『オハヨウゴザイマス、モカ!』
「おはようございます、マーティン。元気ですか?」
『ワタシハゲンキデス』
 そして零れんばかりの笑顔を返して来たが、金髪碧眼でそれはそれは麗しかった。
 彼は今日本語を勉強中で、そこそこ簡単な日常会話ならできた。
『あなたはきょうも、きれいですネ!』
「ありがとうマーティン」
「もう、いいだろうマーティ? 話に戻ろう」
 麗音は私を見ながら出て行くよう、邪魔くさそうに顎を杓った。
 まったく、偉そうに……、ま、そうは言っても彼は社長だから仕方ないか……、プライベートはプライベート、仕事は仕事! 
 私もわきまえなくては……。
『OH〜! リオン!』
 これはいつものお決まりで、大袈裟にがっかりして見せるマーティンに、”じゃ、またね!”と言って、私は部屋を後にした。


 そして、部屋を出たところで都さんに呼び止められた。
「萌花さん、あなた今夜は麗音に着いて行くのでしょう?」
「あの、今夜って?」
「あら嫌だ、麗音はあなたに何も言ってないのね? まったくあの子は……いえね、今夜はあの子の叔父にあたる桐生理一(きりゅうよしかず)さんのパーティーがあるのよ。六時半からだから、麗音を遅れないように必ず送り届けてくれるかしら? 会長からの命令なのよ」
「理一さんて、TV局の社長でしたよね? 」
「ええ、創立五十周年の記念パーティーですって、きっと華やかでしょう。あなたも楽しんでらっしゃいな」
「え? 都さんは行かないのですか? それに私は着替えの服を持ってませんし……」
 都さんのことを苗字で呼ばないのは、彼女が名前で呼んでくれと言ったからだが、私はあっけらかんとした屈託無く喋る彼女のことがとても好きだったし、何より信頼のおける人で、この頃の私はすっかり頼りきっていた。
「私はもう、そういう場所はあなたに譲ったの、それに麗音の秘書として付いて行くのだからその格好でも十分じゃないの? その服って、この前麗音が見立てた洋服でしょう? こういうのは流石よね、あの子はセンス良いんだから、あなたにほんと似合っていると思うわ、……しかしね! 経費で落とせって、どうなのよ! って! 麗音にあなたの給料から引き落とすわよって脅かしちゃったわよ、堪えてないみたいだけど」
 そう一気にまくし立てて、都さんは笑った。
「す、すみません……」
「あら、あなたが謝ることは無いわよ、まあ麗音にはどんどん働いてもらって、経理に関しては私に任せてくださいな」
 すっかり恐縮する私の前で、都さんは頼もしく笑った。
 私は母親を幼い時に病気で亡くしているので、今までこの年代の人と接する機会が無かったが、てきぱきと物事を処理する能力もさることながら、彼女の度量の深さにすっかり懐いていた。
 伊達に大財閥の会長の下で、長年秘書をやっていたのではないと言うことが見て取れた。 しかも経理まで出来るなんて……、都さんてほんとうにスーパーバイザーだわ。鬱陶しがりながらも、麗音が彼女を側に置く理由が分かるような気がしていた。




 某有名ホテルの大広間入り口には豪華な花輪が廊下を埋め尽くさんばかりに並べられていて、その入り口ではアナウンサーらしき、TVで見たことのあるような美女軍団が受付をしていて、招待客をにこやかに向かえ入れていたが、スラリと背が高く美麗な麗音がその前に立ったとき、彼女らの視線は”誰? 俳優? あなた知ってる?”って感じで、ざわめいていたのが見て取れた。
 恐らく本人も気づいてはいただろうが、幼い頃から容姿的注目はもう慣れっこのようで、それらを軽く無視して私を従え堂々と中へ入って行く麗音の後ろ姿は、どことなく頼もしかった。
 広間は本当に広い上にとても豪華な作りで、かつ嫌みなくとてもエレガントで、普段は芸能人の結婚式や政治家のパーティーが行われる場所でもあり、今日も室内は豪勢に飾りつけられていた。
 ビュッフェはフランス料理や中華、日本食までいろいろな食べ物が並んでいる。
 こんな華やかなパーティーに来るのはほんとうに久しぶりで、高校生の頃父におねだりして連れてきてもらったっけ……、あの頃はまだ何も怖いもの無しの裕福な箱入り娘だった。
変われば変わるものだ……。


 私たちは少し遅れて着いたので、既にパーティーは始まっており、司会者がにこやかに進行を務めていた。
「痛っ」
 麗音がいきなり立ち止まったので、ぼんやり辺りを見渡していた私は、彼の背中にぶつかった。
「おう、来たな麗音に萌花!」
 聞き覚えのあるその声に、麗音の肩越しに覗き込むと、そこに銀三郎お爺さまがいた。
「お爺さま!」
 横には麗音の父親、桐生政道がいる。
 うわぁ久しぶりだ、麗音のお父様!
 この人がハーフでこれまた超美形のロマンスグレーなのだ。
 数年前とまったく変わらない、優しい笑顔で出迎えてくれた。
「これは驚いた。久しぶりだね萌花さん」
「おじ様! 本当に久しぶりで、ご無沙汰しております」
「麗音がお世話になっているようだね」
 そう言って、おじ様はにこりと微笑んだ。
「とんでも無いです! 私の方がお世話になりっ放しで……麗音には感謝してるんですよ」
「それは良かった。麗音もたまには人の役にたつんですね」
「親父、それは無いだろう?」
 苦笑しつつも、麗音は通りかかったウェイターから、シャンパンのグラスを受け取ると、それを一気に飲み干した。
「それにすっかり綺麗になって、もともとあなたは美人でしたが、より綺麗になりましたね。そう思わないかい? 麗音」
「そうかな? もっと美人は沢山いるけどな」
 あっさり麗音はそう言うと、会場を見渡す振りをした。
 こいつ……、お世辞だとわかってはいるから適当に相槌しとけばいいものの……、ほんと可愛くない。
「まったく、麗音の目はどうかしてるな」
 そう言いながら、私の背後から現れたのは……なんと! 


 うわぁ……、翔さんだ!


 私の胸はシャンパンの泡みたくシュワシュワと騒いだ。
 相変わらずビシッとスーツを着こなした翔さんは目元涼しげな日本男児で、麗音と違って髪の毛も真っ黒だし、麗音が父親似なら同じ美形でも、少しばかり彫りの深い日本人顔の 翔さんの外見はお爺さまに似ている。
 私が昔あんなにも憧れた翔さんは、あの時のまま変わらぬ笑顔でそこに立っていた。
 なんとも豪華な桐生家勢ぞろいで、私は彼らを前に萎縮してしまう。
「翔さん……」
「久しぶりだね萌花、元気だったかい?」
 懐かしい笑顔を向けられて、私の心はいささか跳ね上がる。
「はい、翔さんもお元気でしたか?」
「いろいろ忙しいんだけどね僕は元気だよ。それより君は今麗音のところで働いているんだって?」
 翔さんはそう言って私から麗音に目を移した。
「ええ、麗音にはお世話になってます」
「それは良かった。やっぱり君たちは縁があるんだね」
「腐れ縁だな」
 麗音が嫌味を言うが、翔さんは格別それを話題にする事無く私を見て微笑んでいた。
「それより萌花、お腹が空いただろう? 何か食べさせてやれ翔」
 そう言って、お爺さまが気を利かせてくれる。
「あ、そうだね、こっちにおいで萌花」
 お爺さまのしたり顔と麗音の無表情な顔に見送られて、私は翔さんとその場を後にした。
 お爺さまと麗音……、ふたりがこの後どんな話をするのか、想像できなくも無い……。
 翔さんは知っているのだろうか、お爺さまの株を譲るという話を……、疑えばきりがないが取りあえずは翔さんとの再会を喜びたい。
 だって学生の頃、あんなにも憧れた翔さんが側にいるなんて夢のようだ。
 麗音がアメリカに旅立ってから、一度も桐生家に遊びに行くことがなかった私は、翔さんとも会うことがなかったからだ。
 お家に遊びに行ってた頃は、庭の東屋で読書したりする翔さんを良く見たし、たまに廊下ですれ違ったりすると、飛び上がらんばかりに嬉しかったものだったが……。
 まあ元々五歳も年が離れていたから、子供の頃の年齢差はほんとうに残酷で、翔さんの目に写る私は妹のような存在でしか無いことを実感していた。
 あの頃と変わらぬいつも優しい微笑を称えていた翔さんが目の前にいると思うと、私は急に幼い頃のようにドギマギして態度がぎこちなくなる。
「萌花はほんとうに綺麗になったね」
 昔から彼を知っている私としては、賞賛を称えたその目は決してお世辞では無いと思えて、とても嬉しかった。
 あの頃は、翔さんに良く思われたい一身でお洒落に気を使っていたにも関わらず、彼の目には何時までも”妹”として移っていたのを知っていたからである。
「ありがとう翔さん……」
「知ってたら、僕が秘書をお願いしたいところだよ」
 私たちは隅のテーブルにグラスを置いて会話を楽しんでいた。
「とんでもないです! 私は秘書と言っても今は都さんにいろいろ教えて貰っている段階なので、何の役にも立ってないんですよ。せいぜい麗音の送り迎えと雑用担当です」
「麗音が羨ましいよ。朝から君のような美人に迎えられたらどんなにいいだろうね」
「もう、翔さんたら、お世辞はいいですから」
 私は笑った。
「お世辞じゃないよ、ほんとうに驚いてるんだ。あんなに小さかった萌花がすっかり綺麗な大人の女性になってたものだから」
「小さかったって、でも十八の頃まで会っていたじゃないですか」
「あの頃の君は麗音と同様、僕にとってはいつまでも小さな妹だったからね」
 そう、知ってる。
 そんな目で私を見ていたのを……、それがちょっぴり悲しかった。
「もう二十五歳になりましたよ」
「うん。すっかり大人だ」
 そう言って、翔さんは優しく微笑んだ。
 その時、横から翔さんに声が掛かった。
「部長、お話中申し訳ありません。 山西物産の社長がお話をされたいとのことですが」
 秘書だろうか、ダークなスーツに身を包み見るからに有能そうな男性が、翔さんに頭を下げた。
「ああわかった、直ぐ行く」
 そう言うと、秘書らしき彼は軽くお辞儀をして離れて行った。
「ごめんね萌花、会社の取引先の社長なんだ。行かないと」
「謝らないで下さい。私には気を使わなくていいです」
「残念だよ、ゆっくり君と話がしたかったんだが……、どうかな、一度食事でもどうだい?」
「私とですか?」
 私は驚いて目を見開いてしまった。
 翔さんと食事?
「君とだよ。僕は萌花と食事がしたいな。いいかな?」
「……あ、はい」
「じゃあ、また連絡するよ」
 彼はそう言って手を振ると、人ごみを掻き分けて行ってしまった。
 私が翔さんと食事ですって?
 胸躍ることには違いないが、なんだか気後れするのも事実で……。


「良かったじゃないか、憧れの翔とデートの約束ができて」


 冷たい声に振り向くと、そこには無表情な顔して兄の姿を見送る麗音が立っていた。
 いつの間に来ていたのだろう、話を聞いていたんだ……。
「デートじゃないわ。ただの食事よ」
「少なくとも翔はそうは思って無いと思うぞ」
 麗音の目はまだ翔さんを追っているが、笑っていないので何を考えているのか掴めない。
「妬かないでね麗音」
 笑いながら冗談で言ったつもりが、麗音は私の方に向き直ると、たっぷり時間を掛けて真顔で私を見た。
「面白くないな……」
「ああ、株の心配してるのね。大丈夫よ、私は翔さんとどうこうなんて全く考えてないから……て、あなたを安心させるのも癪だけど」
「真打ち登場ってとこか……、いや面白くなってきたのかもな」
「どういう意味よ……」
 私は再び兄の姿を追いながら、微笑んでいる麗音の横顔を見た。
 それは何かを企んでいるような、危険な瞳をしていた。


 そして……。


「もし、おまえ達が付き合うようなことになれば、その時は全力でぶっ壊すから……」


 細めた瞳の奥に狂気を宿した麗音は唇に笑みを称えていて、その顔はゾクッとするほど美しかった……。



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