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 Kiss Me

13




 かって知ったる麗音のマンションで、習慣の如く彼の為と自分の為のコーヒーを入れている私の前に、上半身裸でボトムだけ白い部屋着を履いた麗音はバスルームから出て来ると、一旦部屋に戻りパソコンを持って来た。
 それも殆ど毎日の恒例行事である。
「もう二分待ってくれる?」
 そう言って、私は彼のマグカップを用意する。
「シャワー浴びてくれば? 気持ち悪いだろう?」
 さっきまでの気まずい会話の欠片も見せずに麗音が言った。
 そう、感心なことに彼はだいたいにおいていつも切り替えがはやい。
 それが良いことなのか悪いことなのかは判断しかねるが……。
「シャワーはいいわ、コーヒー飲んだら帰るから、でも、顔だけ洗わせてくれる?」
「ああ。帰りは車を乗って帰ってくれ」
「え? 車ここにあったの?」
「そうだよ、どうして? オレが昨日、ここへ乗って帰って来てたんだ。萌花がそのまま飲み会に行ったら車は運転できないだろうと思って」
「え? じゃあここからタクシーで来たの?」
「ああ、仕事もあって遅くなるのはあったけど、昨日のおまえは一応主賓だったからな」
 そんなに気を使ってくれてたなんて、意外……。 
「そうだったの? さっき聖駕から電話があって、迎えに来てもらう約束したのに……、電話しなくちゃ」
 麗音は携帯を手にする私を、何が不満なのか気に入らなさそうな顔で見ていた。
 そして、自らキッチンに入って来ると自分のマグにコーヒーを注いでいる。
「……あ、聖駕? ごめん、麗音の車がここに置いてあったの、私それを乗って帰らなきゃいけないの、わざわざ迎えに来なくて良くなっちゃった、本当にごめんね」
『ぜんぜん、構わないよ。今さあ、美味しい朝食のデリを買ったんだよ、そこで一緒に食べようよ』
「本当? 嬉しい! うん、じゃあ待ってる」
『うん、じゃ後でね』
 既にソファでパソコンを広いて見ている麗音に向かって私は話しかけた。
「聖駕がね、デリで食べるもの買ったんだって、だからここで一緒に食べようって」
「……うん」
 聞いているのかいないのか、パソコンから顔を上げずに適当に返事をするので、私は先に取り合えず顔を洗おうと洗面所に向かって、戸棚を開けて驚いた。
 中には数十個の未使用の歯ブラシが籠にごっそり入っていて、その横には女性の洗顔用品や化粧品などが、メーカーもバラバラで、多分持ち主もバラバラで、それぞれが存在を誇示して置いてあった。
 きっと彼女たちが、他の女を牽制して置いて行くのだろうと私は思った……。
 ま、おまけで私は彼女らの化粧品を、ちょっとばかり拝借することができて助かったのだが、”いいなずけ”もいると知りながら、そして他の女の存在も承知しながら、それでも麗音と別れない理由は何だろう、最初から後腐れの無い関係を望んでいるのだろうか、それって余程精神的大人でないとやっていけないと思う、麗音を相手に本気になってしまったら苦悩が始まる……私はそんな気がしていた。




 手には有名デリカテッセンの紙袋を持参して、聖駕はいつも通り爽やかでいて、穏やかな笑顔で颯爽と現れた。
 服装もいつもながらスタイリッシュで小粋だ。
「聖駕!」
「萌花! 元気だった? 麗音にこき使われてない?」
「大丈夫よ、今日はごめんね聖駕、私車がここにあること知らなくて……」
「いいよ、僕は萌花の顔が見たかったから、会えて嬉しいよ。さあ、ご飯食べようよ、ここのは美味しいんだ、気に入ると思うよ……って、麗音! 無視なの?」
 相変わらずパソコンから顔を上げようとしない麗音に、痺れを切らした聖駕が言った。
「麗音の為に白ワインも仕入れて来たんだよ、ほら、僕らは車を運転しなきゃ行けないんでね」
 そう言いながら、髪袋から鶏レバーペーストにバゲット、生ハムにナスのサラダ、チーズやカタラーナといったものが次々とテーブルの上に所狭しと並べられて行く。
「飲み物は、萌花はバドワで良かったかな?」
「うん、わざわざありがとう聖駕」
 私は皿を用意して、フォークとナイフを揃えた。
「麗音、早く来いよ。何? 機嫌悪いの?」
「煩いなぁ、パソコンでメールを読んでいるだけだ……」
 そう言いながら、漸く立ち上がったと思ったら、一度部屋に戻って上にシャツを羽織って現れ、私の前の席に着いた。
「何で萌花はいちいち聖駕に連絡するんだ?」
 ワインのボトルを開けながら、麗音は顔を顰めて聖駕を見た
「どうしてさ、僕たち親友だもの。何でも話し合うよ。それに萌花は最近仕事が忙しいようであまり会えないしね」
 意味ありげに麗音をチラリと見て聖駕は微笑んだ。
 麗音は舌打ちする。
「なんだよ麗音、気に入らなさそうだね」
 そう言って、クスリと可笑しそうに笑った。
 聖駕の方が麗音よりひとつ年下なのだが、麗音よりずっと穏やかで大人な感じだ。
「麗音、そろそろ授業出席しないと不味いぞ、会社が忙しいのはわかるけど」
「うん。分かってる。もう大体はチーフの神崎さんに任せられる状態になって来たんだ、来週あたりから真面目に出席しようと思ってる」
「そっか、じゃ楽しみだ。萌花も気が抜けるんじゃないの? 煩い麗音と一緒に居なくてすむから」
「聖駕、私の雇い主である人の前で、答えにくい質問は止めてよね」
「アハハハ、――ったくやりにくいよね」
 聖駕は屈託無く笑う。
「それよりね聖駕、私ね昨日麗音とキスしちゃった……」
 聖駕は飲んでいたバドワを噴出しそうになった。
「マジ麗音?」
「うん、した」
 そして、平然とそう言った麗音の顔と私の顔を交互に見た。
一瞬の沈黙……。  
「それだけ?」
 訝しげな視線……。
「それだけ」
 やたらきっぱりと告げた麗音の言葉に、安心したのか聖駕はほっと溜息を吐いた。
「あー、驚いた! そのまま雪崩れこんで最後まで行ったのかと思った……」
「聖駕!」
 私は怒った。
「だってそもそもここにお泊りすること事態驚いたんだから」
「聖駕ったら! それは電話で説明したでしょう?」
「そうだけどさ……、これだけは言っておくよ麗音。萌花だけは手を出すなよ、萌花はこう見えても純粋なんだから、遊びで手を出したら許さないからね」
 聖駕は眉間に皺を寄せてきつく忠告するが、当の本人はあまり堪えて無いようで、少しばかり苦笑いした。
「そこなんだよな、下手に手を出したらジジイが出てきそうなんだよな……、あいつ、オレの素行調査までしやがってんの」
「それはそうだよ、翔兄さんはしっかりしてるから確実な人だけど、麗音は破天荒で何しでかすか分からないからね。でも、その麗音の中にお爺さんを惹きつける何かがあるんだろう。お爺さんは意外にも麗音を跡取りとして買ってるからね」
「買い被りよ」
 私が鼻で笑うと、麗音はそれに同調するかのように口元を歪めて笑った。
 高慢だけでなく、こんな自虐的な麗音も私は好きだし、聖駕の言いたいこともわかる。
 麗音の魅力は型にはまらない人間臭さにあって、金持ちの高慢ちきな高飛車な奴かと思いきや、私みたいに底辺で喘いでる者をあっさり助ける度量もある。
 でも、それが彼の本心なのか気まぐれなのか、何とも判断しかねる掴みどころの無い性格が、また返ってこちらの興味をそそる……、要するに麗音は私の関心を最大限に揺さぶる存在なのだ。
 きっと、他の誰かの心も……。
「しかし、でもどうして二人はキスしたのさ」
「昨日、私の為に会社のみんなが歓迎会開いてくれたの。そしたら二次会で行ったクラブにあいつが来ていたのよ……」
「あいつって?」
 私の表情に思い当たったのか、聖駕は不快そうに眉間に皺を寄せた。 
「もしかして……あいつ?」
「そう。田所貴志……」
「ああ、あいつか……最低な奴だったよね。萌花のお父さんが亡くなって、萌花が無一文になると知ったら、いきなり別れ話を切り出したバカ野郎だろ?」
「あいつ本当に最悪よね、私のパパが会社社長と知ってて私に近づいて来ておいて、パパが死んだらいきなり”別れよう”だなんて……、利用価値がなくなったからあっさり私は捨てられちゃった……」
「オレはお前の目を疑うよ、見るからに軽薄そうな男なのに、あんな男と付き合っていただなんて……おまえは馬鹿か」
 呆れた顔して麗音は言った。
 確かに私は馬鹿だ、そう何の反論も出来ない。
 どうしてあんな男に引っかかってしまったのか、その理由をずっと考えていた。
 そして、思いあたった……。
 いつもスーツをビシッと着こなして、見るからに有能そうな翔さんに……、貴志はどこと無く似ていて、面影がダブって見えたのだ。
 優しかった翔さんの姿を追っていたのかも知れない……。
「まあまあ、で、それとキスとどういう関係が?」
 聖駕は苦笑いした。
「だからね、あいつが私に酷いことを言ったの、 ”おまえも落ちぶれたものだな”とか”借金もつれだ”とか言われてる所に、麗音が来てね彼を殴ったのよ」
「麗音があいつを殴った?」
 聖駕は目を丸くして麗音を見た。
「うん、驚くでしょう?」
「それは驚いたな……」
「でも、この人面白がってるだけなのって直ぐに分かったわ、笑ってるんだもの、貴志を殴っておいて、彼の暴言を”名誉毀損で訴えるぞ”なんて言いながら、私の方を向いて私が驚いた顔してるのを見て笑ってるのよ。単純に紳士的行為だなんて思ったら大間違いよ」
「麗音らしいや……」
 聖駕は可笑しそうにクスクス笑った。
「で、すごすご彼は逃げて行ったんだけど、カウンター席からずっと私を睨んでいて、それに気がついた麗音が見せ付けてやろうって言って、キスしてきたの、ま、それだけの話なんだけど」
「こいつ、嫌がって無かったよ」
 麗音は意地悪く言った。
「驚いていただけよ!」
「まあね、最近の萌花は男っ気無かったからね」
「違うよ、オレのキスが上手いからぼうっとしてたんだ」
「麗音!」
 否定できないのが悔しい、私は顔が赤くなるのを感じた。
「萌花、顔が真っ赤だよ」
 聖駕も苦笑した。
「ベッドではもっと上手くて激しいよ萌花。試してみる?」
「麗音!」
 それには私と聖駕が同時に叫んだ。
 そう言って、自信満々かつ狡猾的に笑う麗音が憎らしいが、それはきっと本当なんだろうなと、想像すると更に顔が赤くなるのを感じて、もう麗音と目をあわせられなくなってしまうのだった……。
  



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