BACK TOP  INDEX  NEXT  
 Kiss Me

12




 瞼が明るい外の日差しを感知して、深淵の奥から浮き上がってきた私の意識は、ゆっくりと覚醒し現実を齎(もたら)した。
 そして静かに瞳を開けて見ると、十センチ目の前に麗音の顔があって、飛び上がらんばかりに驚いた。
 

 どういうことーーーっ?!


 麗音はうつ伏せに眠る癖があるので、こちらに顔を向けて眠っている。
 朝の光の中で見る麗音は美しい……、整った顔も鍛錬しているだろう引き締まった身体も、モデルのように綺麗で別次元の生き物のようだ……なんて、声に出しては決して言えないから心の中で密かに賞賛した……。
 目の動く範囲で辺りを見回すと、どうやらここは麗音の部屋で、そして麗音のキングサイズのベッドの上で、私は彼と並んで眠っていた……ようだ。
 

 ええーーーーっ!?
 そうなの?
 ……ま、まずくない?


 思わず私は自分が服を着てるかどうか確かめた。
 ちゃんと服を着ている! 
 ああ、焦った……!
 心臓がバクバクしていた。
 隣で眠る麗音はまだ長い睫を伏せていて、規則正しい寝息に胸が微かに上下している。
 しかし、なぜ私は麗音のベッドに居るのだろうか?
 焦るな、しっかり思い出すのよ……。
 そうだ、昨夜、タクシーの中で眠ってしまい、”着いたぞ”と言う麗音の声に揺り起こされて、支払いを済ませてくれている麗音を残して、先にタクシーを降りたはいいが、てっきり自分のマンションに着いたと思っていたら、ここは麗音のマンションの前だった……。
 我に返って呼び戻そうにも、既にタクシーはドアを閉めて走り去って行った後で、文句を言っても聞く相手ではないから、渋々部屋に入りソファでふて寝したまでは覚えている……。
それが顛末……。
 タクシーの中で、無防備に繋がれた手の庇護が心地良く、迂闊にもそれに安堵した私はいつの間にか麗音の肩に頭を乗せて眠りこんでしまったようだ。
幼い頃に何度も繋がれた指先の記憶とともに、私の心はその頃のようにしっくりと絡まってしまった……。
 今更、好きになったとも言えないし、彼のことだから下手したら金目当てだろうかと思われかねない……、どっちにしろ言うつもりは無いし、今の関係をどうこうしたいなんて恐れ多い希望的観測も持っていない。


 麗音……。
 完璧、すれ違っちゃったね私たち……、こんなに近くに居るのにとても遠い存在に感じる……。


 それにしても……、私は何時の間に麗音のベッドへ潜り込んだのだろう???


 静かに眠っている麗音は名前の通り麗しく、鼻筋の通った端正な顔や形の良い唇に、再び見惚れている自分に気がつき我に返る。
 私ってば本当にまだあどけなさが残る麗音の顔しか知らなくて、いつの間にかしっかりした骨格の、大人の男性になっていたんだと思うと、六年間の空白がもどかしい……。
 あの時、麗音と同じ気持ちだったら、私たちの関係はもっと違っていたのだろうけど……。
 麗音の寝顔を見ながら、そんな取り留めのないことをエンドレスで考えていた……。


 その時、ふと麗音の目が開いた。


 ぎょっ!


 驚いた私の目を、真っ直ぐに捉えている。
「……オレの顔マジと見ていたな」
 起きていたのに眠った振りなんて、相変わらず意地悪だ。
「”麗音は男前だなと思って見惚れていたのよ”って言ったら嬉しい?」
「いちいち聞くな」
 その時、麗音は少し起き上がって枕を高くした、そして、彼の筋肉質な裸の上半身があらわになった。
「も、もしや麗音……丸裸なの?」
 動揺しつつも、私がそう言ってシーツをはぐろうとしたら、思いっきりシーツを麗音に手繰り寄せられた。
「おまえは痴女か!」
「……いや、つい」
「残念でした。パジャマ履いてるよ……きっとおまえが起きたら騒ぐだろうと思って」
「……って、どうして私、麗音のベッドにいるの? 確かソファで寝てたはずなのに」
「夜中に連れてきた」
 そう言って笑った。
「全然気がつかなかったわ……なんで? ソファで良かったのに」
「オレが寂しかったから」
 枕に顔を半分隠していても、微笑んでいるのは分かる、私がどう出るか絶対に面白がっている顔だ。
「そんな健気な言葉には動じないから」
 麗音はバレたかと言わんばかりに笑みを零した。
「日夜、女を連れ込む男だもの、どんなに口が上手いか想像できるわ。でも、私は一緒にしないで」
「どうして? 昨日のキスは気に入ったみたいだったけど?」
 あ……、いきなりその話題ですか……。
思い出した……、麗音の優しくも激しい熱烈なキス……。
「赤くなってるよ萌花、思い出したんだな、良かっただろう?」
 そう言って、したり顔でクスリと笑う。
「……あのねぇ!」
「萌花がこのベッドで裸で寝る日も近いかも」
「ないない、ぜっーたいない!」
「一度試してみないかい萌花? ジジイも言ってたじゃないか、一緒に暮らせば愛も始まるって」
 そう言って私の手を取り、目の前でこれ見よがしに指を絡めてくる。
「や、やめなさい麗音くん!」
 私は絡めてきた彼の指を思いっきり解いた。
 麗音は”くくく”と笑っている。
「一緒に暮らすことも無いし、愛が深まることも無いから! この腹黒男!」
「チッ、おまえに喋ったのは一生の不覚だったよ、黙っておまえを誘惑しとけば良かった。そしたら今頃おまえはオレの手の中だったのに」
「なにそれ? その自信の固まりは!」
「だって、おまえキスを拒まなかっただろう? しかも寧ろ気持ち良さ気に受け入れてたぞ」
 くーーーーっ、冷静に観察してるなこの男は……。
 確かに麗音のキスに目眩を覚えるほどに、うっとりしてしまった。
 萌花、人生最大の不覚!
「だからって簡単に身体まで許すと思ってるの?」
「うん。みんな落ちるよ」
 平然とそう言う高慢さ……、がしかし、こんな最低な麗音が好きだと気づいてしまった私はマゾだ……きっとそうに違いない……。 
 しかも始末の悪いことに、今、目の前で気怠そうに微笑む麗音を見ていると、心臓がドキドキする……。
 その頬に掛かる髪の毛を指で払ってあげたいくらいだが、誘惑に負けるわけにはいかない、目の前の魅力的な小悪魔を追い払うには、心を鬼にして挑まなければならなかった。
「そんな高慢な麗音は嫌いだから」
「だって事実だからな。萌花、オレ達もう子供じゃないんだよ……。オレが日本に居ない間に、おまえが波乱万丈の人生を送っていたように、オレにも色々あったとは思わないのか?……」
 麗音はさっきまでの意味ありげな微笑を消して私を見ていた。
 何よ、そのいきなりの憂い顔は……。
 アメリカで何かあったのだろうかと、思わせる程に表情が硬く険しくなった麗音の瞳は、やがて過去に思いを馳せているのかのように、虚ろな視線を宙に漂わせていた。
 私の知らない過去の六年間について、触れられたく無いように顔を背けた横顔は、侵入を許さないバリアが張られているようで、二人の隔たりを感じずにはいられなかった……。
「もう十五の頃のオレでは無い……」
 少しだけ悲しげな瞳に私の心が揺れた……いったい何があったの?
 麗音……。
「十五の頃の麗音は可愛くて好きだったけど、今の麗音はまるで私の知らない人だわ……、あなたが何を考えているのかさえわからない……」
「今のオレも嫌いというわけか……」
「そうじゃない……そうじゃないけど……」
「同じだよ」
 麗音は長い睫の奥で、瞳を翳らせていた。
「十五歳で萌花にフラれて、今も嫌われて、これじゃ一生おまえには好かれないな」
「麗音……違う……」
 そうじゃないのに……そう思ったが、麗音は既にベッドから起き上がり、どうでもよさそうにさっさと部屋から出て行ったので、釈明の機会を与えて貰えなかった。
 そしてその態度から、麗音にとって私の気持ちなんて今更どうでもいいのだと思うと、急に心が萎(しぼ)んでしまった。
「麗音……」
 再び名前を呟いてしまったが、勿論、彼からの返事は無かった……。  





BACK TOP  INDEX  NEXT  




  
Copyright (c) 朱夏 All rights reserved.