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 Kiss Me

11




 田所貴志は彼女に支えられながら、よろよろと床から起き上がった。
 フロアは人でごった返していたから、気付いた人はごく一部で、少しだけざわめいたかと思うと、酔っ払いの喧嘩だと判断したのか巻き込まれたく無いのか、はたまたそれ以上の格闘は無いと判断したのか、人々は興味を無くしたように背を向けた。
 麗音の醸し出す雰囲気は圧倒的で、貴志よりずいぶん若いにも関わらず、威圧するような佇まいや、若しくは度量の差など明白に思えた。
「何しやがるんだ!」
 貴志は麗音を睨んでそう言うが、それがもう口先ばかりの虚勢であることは、勝敗の行方と同じく誰もがわかっていた。
「おまえはオレの彼女を侮辱した」
 静かに決然と貴志に告げた麗音だが、彼を見るとやはり相変わらず口角を上げていて、そして私を可笑しそうに再びチラリと見やった。
 まさか私が麗音に庇ってもらえるなんて、思っていなかった事に驚いている私の顔が、彼は可笑しいのだ。
 麗音特有のゲームだ。


 ……馬鹿。


 でもなんだか泣けてくる……。
 どんな形であれ、非道な貴志を前にして味方がいることが嬉しかった。
「あ、この人桐生麗音さんよ、貴志さん……」
 彼を支えている彼女の麗音を見る目がまん丸で、ハートが飛び出ても可笑しくないほど凝視している。
 うん、気持ちは分からないでも無いよ……。
 中身はともかく、見てくれだけはいい男だから。
「知ってる!」
 貴志は乱暴に言い捨てた。
「そう、最近ITの会社を起業したらしいわ、みんなが噂していたから……」
 殴り返したいのをぐっとかみ締めているようだったが、ここは大人しくした方が賢明と判断した貴志は、収まらない怒りの中で麗音を見返して言った。
「オレのお古で良ければ、萌花をおまえにやるよ」
 そして、勝ち誇ったように笑った。
「まだ殴られ足りないか?」
 真顔になった麗音の威嚇するような低い声に、貴志は後ずさりすると私たちに一瞥をくれて、すごすごその場を後にした。
 私はあんな最低な男に、最悪な文句を言われたのが情けなくて涙が出そうだった。
「大丈夫か?」
 麗音が私の顔を覗きこんできたが、悲しさと恥ずかしさが交差する複雑な胸中で、思わず目を伏せてしまった。
「ねえ、みんなには悪いけど、私もう帰っていいかな? なんだか疲れちゃった……」
「うん。わかった。じゃ、ちょっとここで待ってて送って行くから」
 独りで帰れると言いたかったが、告げる間もなく麗音は素早く二階に戻って行った。
 カウンターに居る貴志が睨んだまま私を見ていたが、私はソッポを向いて麗音が来るのを待っていた。
 どうして、あんなろくでもない男と付き合ったりしたのだろうか……、私は壁に凭れてそんな事をぼんやり考えていた……。


「……萌花、大丈夫か?」
 いつの間にか、戻って来ていた麗音が私に尋ねた。
「……うん」
 その時、俯いていた私の顔を麗音の指がそっと持ち上げた。 
 二人の目が合う。
 麗音は真顔でじっと私を見ていた。
 茶化されるのも嫌だったが、同情はもっと嫌だった……、できれば放っといて欲しかった。
「大丈夫、泣いてなんか無いから」
 そう言って私は無理に笑顔を作る。
 本当は泣きそうだったけど、必死にこらえた。
 そして、壁から身を起こそうとしたとき、再び麗音が私を壁に押し付けてきた。
 ……何?
 顔が近い……と思った瞬間、麗音の唇が降りてきた。


 ええーーっ!?


 それは、一瞬の出来事で、軽く、羽のように優しい突然のキスだった。
「……麗音!」
 私は驚いて彼の真意を見定めようと凝視したが、そこに浮かぶのは悪戯な小悪魔の微笑だった。
 この……!
「あいつが見てるから」
「ダメだって! 会社の人たちに見られたら……」 
「VIP席からここは見えない」
 きっぱりそう言うと、更に、麗音の顔が再び近寄る気配に私は身を硬くした。
「リラックスして萌花」
 できるか!
 この状況で……、麗音、顔が近いよ!
 睫が長い影を落とす麗音の美麗な顔にはもう笑顔は浮んでおらず、真っ直ぐに私の視線を捉える彼の瞳の奥に、情熱を垣間見みたような気がして心が騒ぐ。
「怒るよ麗音、何考えてるの!」
「オレは嫌だ。あんな最低な奴に萌花が嘲笑われるのは」
 今更、そんな私の味方のような言い方はずるい……、どこまで本気で言ってるのかわからないけど、少し縋《すが》りたくなるような揺れる女心も事実で……。
「麗音……」
 私の躊躇をものともせず、有無を言わさぬように半ば強引に麗音の唇が再び重なった。


 でも……だからって、このキスにどういう意味があると言うの?
 ねえ、教えてよ……麗音……。


 彼を拒絶しようと伸ばしかけた腕を押さえつけられて、私は身動きが取れなくなってしまったが、何より麗音は私の唇をいとも簡単に抉じ開け舌を入れて来た。
 しかも、それは甘く執拗で魅力的に私を誘っていて、抵抗する気力さえ奪われるほどに、麗音のキスは巧みで官能的だった。
 頭の中で光がスパークして、私の思考が停止する……。
「……ぅっ……」
 思わず漏れてしまった私の声に、麗音はさらに激しく舌を絡めてくる。
 背中に回された麗音の手は、まるで刻印のように所有者を誇示して、そこだけが燃えるように熱かった。
 そして甘美なキスの陶酔感に目眩を覚えた私は、思わず麗音のシャツを握り締めて、まるで雨宿りの小さな小鳥みたく彼にしがみついて震えていた……。
 気が遠くなるほどの耽溺《たんでき》な時間が過ぎて、麗音が私から顔を離したとき、彼の赤い唇は唾液で濡れて艶めき、私はクラクラするほど麗音に見惚れてしまった。
 情けないけど、彼に群がる女性たちの気持ちが、遅まきながら分かったような気がした……。
 同じ立場になってしまったことが悔しかったが、薄暗い店内で翳る彼の瞳はじっと私だけを見ていて、抱きしめられた腕の中で麗音の体温を感じながら、その温もりに安堵しつつも、耐え難い熱情の支配に躊躇する私がいた……。


 まずい……。


 心臓がざわめく……。


 ――ドクンと蠢(うごめ)いて、止まらなくなる。  


 そして、気が付いた……。


 そう、私は麗音が好きなのだと。


 今、……はっきり気が付いた。




「オレからのフレンチ・キスだ……萌花……」
 真顔で麗音はそう言った……





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