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 Kiss Me
10




 一次会は洒落た小料理屋で行われた。
 オフィス街から少し入った通りの、喧騒が嘘のように静まる閑静な一角にあるが、少し歩けば賑やかな繁華街も近い便利な場所にあった。
 格子戸を潜った先にはほんのりと明かりが灯り、入り口までの石畳が敷き詰められていた。
 その途中で脇を見ると池の中で静止した錦鯉が、灯篭にぼんやり浮びあがっているのが見て取れた。
 私たちは場違いで恐縮してしまうほどに、何とも風流な店だった。


 大体いつも常勤の人数は七人程度だったから、今日の出勤者は全員が来てくれて、季節の創作料理と美味しい日本酒が振舞われ、一応にみんなご機嫌だった。
「ここを予約してくれたのは麗音君ですよ、本来”いちげんさん”お断りに近い店で、おいそれと予約は取れないんだけど、そこは桐生財閥の孫である社長の顔でしょう、あっさりここに決まりました」
 隣に座った神崎隼人が説明をしてくれた。
 まあ、当然だわよね……、きっとお爺さまや小父様が、社用で利用しているお店なのだろう。
 それなりの風格と佇まいが私たちを威圧する。
「これ聞いていいのかなぁ」
 杯に酒を注いでくれながら、大柄の矢部誠二十三歳が聞きにくそうに、でも興味津々顔で私に尋ねてきた。
「何ですか?」
「橘さんは社長の”許婚”って噂が社内で広がってるんですけど、本当なんですか?」
「ああ、それですか? それはですね、社長が女の人を落とす為の常套文句で、女性たちを本気にさせない為の隠れ蓑です、私にとってはいい迷惑なんですよ、彼女たちに睨まれてたまったものじゃありません」
「そうなんですか! 違うのですね」
 心なしか矢部さんの顔が綻んだ。
「お? 矢部、おまえもしかして橘さんに気があるな?」
 会社では矢部君の隣で仕事をしている細川アキラ、二十四歳独身謳歌中のプログラマーがチャチャを入れる。
 黒髪は誠実そうに見えるからと言う理由でしているだけであって、実は下心満載の女ったらしだ。
 でも、悪い人ではない……と思う。
 まだ入社したばかりの私には良くわからない。
「勿論ですよ! 先輩だって同じでしょう? こんな綺麗な人が入ってきてくれて嬉しく無いわけ無いじゃないですか」
「それもそうだな、うちの会社は有能な社員ばかりだけど、むさ苦しい野郎ばかりで何の楽しみも無かったからなぁ、でも萌花さんにちょっかい出すと麗音君に怒られそうだ」
「あんたたち! 私を忘れてるんじゃないでしょうね?」
 そこで大御所、都さんが自ら名乗りを上げた。
「都さんは別格ですよ! 頼れる母ですから! もう信頼しまくりですよ、都さんが居なければうちの会社は立ち行きませんから!」
「あら、矢部くん! 今日はかなり持ち上げてくれるじゃない?」
 そう言いながらも都さんは嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、飲んでください!」
 矢部は都さんに酌をした。
 最近になると何となくそれぞれの会社の位置が分かって来た。
 どんと構えて太っ腹の都さんはみんなのお母さんみたいだったし、 矢部くんは場の盛り上げ役、横やりを入れるのが細川さんであり、神崎さんは会社をまとめる上役ってとこだろうか。
 いずれにしろみんな若いので普段は麗音も会社で”社長”と呼ばれることを嫌がって、みんなに名前で呼ばせているし、何より社風が服装でも分かるように、何の規則も無いのでラフでまちまちの格好をしていて、こんな風に外で会うと何をしている会社なのか、きっと誰も当てることはできないだろうと思う。
 外回りとかはチーフである神崎さんが独りで行ったり、麗音と一緒に回ったりしているので彼は普段から、黒やグレイ系の落ち着いた色を好み、持ち前のスタイリッシュさを際出せてお洒落であったが、他のプログラマーとか開発部門の社員は一日中パソコンと格闘しているので、年齢的にも若い彼らの気楽な装いは学生に見える。
 こんな伸び伸びした環境で仕事が出来て幸運だと思うし、取りあえず一生懸命働かなくてはいけないと、私は改めて思うのだった。




 楽しいひと時はあっと言う間に過ぎて、二次会に行くことになり、そこで都さんとは別れたが、それから私たちは歩いて移動するも、美味しい料理に酒が進んで皆千鳥足に近かった。
 週末の街は人で溢れ返っていて賑やかで楽しい、神崎さんに連れられて入った店は大きなビルの地下にあって、入り口で黒人の頑強そうなボディ・ガードのチェックが行われた。
 店内は薄暗かったが意外にも白を基調とした室内で、照明によって陰影が怪しく揺らめいている。
 地下一階は巨大なダンスフロアとカウンターがあり、耳を劈く程の勢いで音楽はかかっていていたが、リザーブされたVIP用の席は中二階に設えられていて、緩やかな階段を登ると、ガラスの防音処置がされたテーブル席だった。
 ここはもしかして麗音ご用達の店だろうか?
「麗音君まだのようですね」
 飲み物を片手に矢部くんが言った。
「矢部さん! 社長なんてどうでもいいじゃないですか! 楽しくやりましょうよ」
 私は矢部くんのグラスに自分のグラスを当てて乾杯した。
「幼馴染でもある萌花さんだけですよね、麗音君にそんな口を利けるのは」
「時々調子に乗りすぎて激怒されるんですけどね」
「社長がアメリカナイズされてる人だから、うちの社風はかなり自由なんですけど、意外と彼は日本的な礼儀とかマナーを重んじる所があるんですよ。流石ビジネスマン一家の血筋と言うか、その辺りは徹底してますよね。だからそれにより会社全体がピリッと引き締まる所もあるんですが」
 神崎さんは本当に麗音を褒める。
「彼は財産、家柄、その完璧な容姿と、文句つけようのないくらい見事に全てを兼ね備えているなぁ」
 細川さんが溜息を吐きながら言った。
「でも女たらしでどうしようもない男ですよ」
「それはね僕が説明してあげましょう」
 再び細川さん言う。
「彼はねまだ大学生で将来有望な会社も経営している上に、さっきも言ったように家柄、財産、容姿と、女性が相手に望む全てを持ち合わせている男です。それは女性が寄って来ない方が不思議ですよ。だから彼は自分を本当に愛しているのか、それとも自分に付随している地位や財産を愛しているのか、それを確かめているのだと思いますね。第一、一人に絞るにはまだ彼は若すぎるし、忙し過ぎて本命の彼女がいたら板ばさみで辛いと思いますよ。今の状態が一番良いんですよ」
「それって自分自身の言い訳じゃないですか? 細川さん」
 矢部が笑って言う。
「まあ、麗音君とはかなり立場が違うけど、彼女がいたら”あそこ行きたいここ行きたいって”ねだられても仕事が忙しくて行けないから、で、放っておくと”私のこと好きじゃないのね”とか言い出す始末……、うるさくてさぁ。だから性処理できる相手がいたら別に彼女はいらないな……って、こんな話すみません萌花さん」
 口を滑らせたと思ったのか、細川さんが焦って謝った。
「いいえ、別にいいですよ。男性の本音が聞けて嬉しいです」
「でもそれは細川さんが本気で彼女のことを好きじゃないんですよ! 本気で好きな相手ならどんなに忙しくても彼女が行きたい所には行きますって!」
 矢部さんが力説すると、細川さんも意外にあっさり認めた。
「お前の言う通りかも知れないね、要するにそこだろうね。あれ? 何の話をしていたんだっけ?」
「酔ったんですか先輩、麗音君が本命を作らない理由についてじゃなかったですか? すっかり自分の本音を公開してくれちゃって、我々庶民と麗音君は違いますから僕らが何を言っても説得力はありませんよ」
 矢部君は笑った。
「麗音はたまたま地位や財産、容姿に恵まれただけで、別に特別なものはありませんよ。実際、性格には難あるし別に怯むことはないと思います」
 今度は矢部さんに代わって私が力説した。
 そう昔から少し高飛車なところはあったが、それは彼がたとえ貧乏な立場であっても代わらないと思うし、今まで麗音と付き合ってきて、どんなに彼が金持ちだったとしても、それを自慢するようなことは無かった。
「もう酔ってるのか? 萌花」
 その声に振り向くと、丁度、麗音が階段を上がって来た所だった。
「あ、麗音君! ご苦労様です」
 商用で出かけていたのを知っている社員が麗音を労った。
 そして、隣にいた細川さんが席を空け、代わりに麗音が腰掛けた。
「この女、酒癖悪いから気をつけろ」
「酷い! あなたこそ女癖悪いくせに! あはは」
「萌花さん、それはまずいんじゃ無いですか? 麗音君は一応社長だし……」
 流石に焦った矢部くんが苦笑して言う。
「いいよ、こいつの口の悪さは知ってるから、それにここは会社じゃないからね、僕に気を使うことは無いよ」
 そう言って余裕で微笑むと、麗音は運ばれてきた飲み物に口を付けた。
「麗音君と橘さんは幼馴染なんですよね?」
 神崎さんが麗音に尋ねた。
「うん、そうだよ」
「じゃあ、気心知れた仲なんですね」
「それは少し違うな、どちらかと言うと犬猿の仲かな、そうだよな萌花」
 驚く神崎さんの顔を見て麗音は笑った。
「そうなの神崎さん、勘違いしないでくださいね」
「そうなんですか?」
 目を丸くして神崎さんは麗音と私を交互に見た。
「神崎さんは知らないでしょうけど、この人最悪なんですよ」
 麗音は私が何か言い出すんじゃないかと、訝しげな視線を寄越していた。
「朝、彼を迎えに行くでしょう私? そしたらまず何すると思います? 床に落ちているコ……」
 流石に焦った麗音が素早く私の口を塞いだ。
 その動作を見ていた社員一同、固まって私たちを見ている。
「てめぇ、何言いやがるんだよ!」
 皆に聞こえないよう耳元で低く唸った。
 その手を乱暴に私は払い退ける。
「さっき、ここは会社じゃ無いからって言ったでしょう!」
「それとこれは別だ! 言って良いことと悪いことがあるだろう!」
「チッ」
「萌花!」
 二人の会話をさっきから呆然と聞いている社員諸君は、グラスに口を付ける事無く、ずっと私たちを凝視していた。
「どうしたんですか?」
 私は神崎さんに尋ねた。
「麗音くんがこんなに焦っている姿を始めて見ましたよ、驚いたなぁ」
「まあ、私は麗音の弱みをかなり知ってますからねぇ、ふふふ」
「”ふふふ”じゃないだろう」
 チラリと麗音を見やると、完全に怒っている。
 それがたまらなく快感かも知れないと思っている所に、耳元でドスの聞いた低い声で囁かれた。
「おまえ、それ以上オレのプライベートな話を社員の前で言うと、サラ金並みの利子付けるぞ。そして借金縺れの女だと暴露されたいか……」
「麗音くん、……それだけはカンベンしてください」
 同じように声を顰めて麗音の目を見て私も静かに言うが、ふと気が付いた、……う、麗しの顔が近い……、息が掛かってるじゃないか……。
「分かったならよし、カウンターに行ってお変わり貰ってきてくれ」
「しょうがない……」
 こうなれば素直に言うことを聞く私は、ソファから立ち上がった。
「何ですか? この一気に利害が一致したような雰囲気は」
「だいたいコイツがオレに逆らえるなんて百年早い!」
 聞き捨てならないセリフに私の足が止まった。
「おや? そんな偉そうなこと言えるのかなぁ麗音くん! あなたに大金が転がり込むのも、私次第ってことを忘れては居ないでしょうね?」
「萌花!」
 今度こそ鋭い目で睨まれたので、私はそそくさ席を後にした。 


 怒りのスイッチが入る前に麗音との会話を打ち切って正解だと思った私は……、いや既に起爆しただろうか……、少々調子に乗りすぎたと自分を反省をしつつ、ギャル系でなく洒落れた大人が集まるダンスフロアに降りて来た。
 週末の店内は人で溢れていて、階段を降りてカウンターに向かおうとした私は、突然後ろから声を掛けられ驚いて振り向いた。
「久しぶりじゃないか萌花」
 そこには、忘れもしない元カレ、田所貴志が立っていた……。
 高級なブランドスーツに身を包み、視線は人を見下したような相変わらずの高慢さで、ねっとり纏わり付くような目は私たちが付き合っていたことさえ、忘れたような冷酷さを宿していた。
 唯一の過去の汚点とも言えるのがこの彼だ……。
「意外、こんな所におまえが来るなんて」
 相変わらず人を嘗め回すような目線で見る目つきはゾッとする。
「……久しぶり、貴志」
「今、VIP席に桐生の孫が上がって行くのを見たぞ、新しい彼氏か?」
「あなたには関係ないでしょう?」 
 私が素気無くそう言うと、貴志は”ふん”と鼻で笑った。
 貴志は麗音が日本不在中のときに知り合ったので、私と麗音の関係をまったく知らない。
「いい奴捕まえたじゃないか」
「どういう意味よ」
「どうって、お前が今生活に困窮してるのは分かってるんだぜ……」
 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている、惨忍な男を私は見返していた。
 私の父が倒れて家を売却せざる負えないと、知った途端に離れて行った男……、利用価値が無いと判断すると、あっさり私に別れを告げた酷い男が再び目の前にいる。
「だあれ?」
 貴志の腕にぶら下がって来た大学生風の若い女の子が、貴志の顔を見上げて微笑んだ。
「ああ、昔の知り合いさ」
 彼女に私の問題は関係ないので、強張った顔でこちらから微笑むと、彼女もまた屈託無い笑顔で微笑んだ。
 見てくれだけのかっこ良さに騙されて、彼のことを王子様のように思っていた、昔の純真な私と彼女がダブった……。
 彼の本性を知り得えない社会未経験の大学生からすれば、現在二十七歳の貴志はスマートな大人の男性に見えてとても魅力的に映るのだろう。
「遠藤美佐、あの遠藤コーポレーションの娘さんで、俺の彼女なんだ」
 相変わらずブランド好きは治ってないらしい、彼女がどこの金持ちかいちいち説明なんかいらないのに……、そう思うと、つくづく別れて良かったと思えた。
「おまえあれから大変だったって噂で聞いたよ、親父さんの会社や屋敷まで取られてしまったんだってな、気の毒に……」
 あなたはそれを知ってて私から去って行った人。
 私が悲しみで打ちひしがれている時、誰かにすがって泣きたい時にあなたは去って行った……。
 最低な人。
「だからあなたには関係ないことよ」
「なんだよ、心配してやってんのに……、相変わらず可愛げないなぁ」
 これ以上彼とは話をしたくないので、私はその場を立ち去ろうとしたら腕を掴まれた。
「離して」
 瞳は相変わらず侮蔑を含み、酒臭い息が頬に掛かった。
「まあ待てよ」
「あなたとは話したくない」
 きっぱりそう告げると、貴志の顔色がより惨忍になるのが分かった。
「つれないじゃないか萌花。昔は初心で可愛かったのになぁ。俺が触れると顔を赤くして、キスをすると震えていたじゃないか……」
 貴志は私の耳元で、彼女に聞こえないよう声を潜めて話した。
 私は無理やり彼の腕を振り払った。
 その横で彼女がオロオロしているのが見て取れた。 
「おまえも落ちぶれたものだよな、何でも今は借金縺れでサラ金にまで手を……」
 その時、私の横から伸びてきた拳が彼の頬に当たり、”ガツッ”と鈍い音がしたと思ったら、貴志の身体が床に吹っ飛んだ。
 あっと言う間の出来事だった……。
 恐る恐るその手の主を見やると、そこには鷹揚に立っている麗音がいた。


 え? 
 麗音?


 しかも、……笑ってる?


「てめぇ、名誉毀損で訴えるぞ!」
 そう言って、麗音は目を細め冷酷に相手を見下していたが、次の瞬間、美麗な顔に笑みを湛えた瞳で私を見た……。




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