Citron  シトロン
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9



驚いた事に、彼のひと声で、プールサイドまで瑠音が降りて来た。
「何?」
ぶっきらぼうに瑠音が尋ねた。
今までの他人を見下したような、或いは小馬鹿にしたようないつもの表情とは違う、何だか見たことのない、困惑を秘めた表情をして、新しい登場人物を見ていた。
「女の子だぞ、あんまりじゃないか?」
瑠音は悪びれず肩を竦めて、傍らのコウとシンを見た。
「すみません」
コウとシンが謝った。
「僕じゃ無くて、彼女に謝るんだ」
彼に言われて、コウとシンは渋々私に謝った。
何だかとても気持ち良い、そして三人を黙らせる目の前の人物が誰なのか、私はとても気になった。
「もういい?授業が始まるよ」
上目がちに、瑠音が彼に尋ねた。
「授業だって?彼女を家へ送ってあげるんだ」
「どうしてさ、」
「どうして?このままじゃ風邪ひいてしまうじゃないか、お前が車を寄越さないのなら、家の車を寄越すけど?」
「分かったよ、」
凜とした彼の前での瑠音は、何だか拗ねている弟のように見える。
瑠音は渋々ポケットから携帯を取り出すと、電話を掛け始めた。
「君が今、噂の瑠音の同居人なんだね?」
「はい、あの・・・あなたは?」
「ああ、ごめん、自己紹介するの忘れていたね、生徒会長の真鍋省吾、よろしくね」
彼は爽やかな笑顔と共に、手を差し出して来た。
生徒会長か・・・、瑠音を黙らすなんて流石に貫禄あるなぁ。
そして、穏やかな笑顔が、今の私にはかなり眩しかった。
「二十分後に来るってさ、」
携帯をスライドさせながら、瑠音がそう言った。
「瑠音、いい加減にしろよ、」
「なに?」
「聞いてるよ、君の新しい標的が彼女だって・・・」
「省吾さんには関係ないでしょ」
「おまえの兄貴に頼まれているからな、おまえがあまり無茶しないよう」
瑠音が黙った。
始めて見る瑠音の沈黙・・・。
二人が醸し出す、濃密な空気は重く辺りを支配して、誰も口を開くことができなかった。



「どうして、あなたも早退するわけ?」
車の後部座席に並んで座っている瑠音を見て、私は抗議した。
「君の世話をするよう、省吾さんに言われただろう?」
瑠音は笑った。
「なんの世話よ、」
「服を脱がしてあげるとか・・・」
それは寒さからくる悪寒か、言葉の暴力か、私は身体を震わせ、笑っている瑠音を睨み付けた。
瑠音が言うと、きついブラック・ジョークでしかない。
「あなたに、意見を言える人がいたってことは驚いたわ」
「省吾さんは特別だからね」
「どうして?」
「兄貴の親友だし・・・」
そう言って、窓の外へ顔を向けた。
瑠音の口からお兄さんの話が出たのは始めてで、書斎に飾ってある家族写真に、瑠音と良く似たお兄さんが、零れんばかりの笑顔を振り撒いて、とても天真爛漫に写っていたのを見た事がある。
そして、まだ中学生くらいの下の弟と妹・・・。
どうして瑠音だけが、ここに取り残されたのだろう。
でも、それ以上、尋ねることができそうにない頑なさを感じて、私は黙っている事にした。



 部屋に入ると、既にバスタブにはお湯がはられていて、服を脱ごうとしていたら静子さんが暖かいレモンティーを持って来てくれた。
「わぁ、飲みたかったの、ありがとう」
「瑠音様の言いつけです、お風呂もそうですよ、きっと凍えてるんでしょうからって」
静子さんはそう言って、テーブルの上に湯気の立つカップを置いて出て行った。
騙されないようにとか、警戒はしなければいけない人物ではあるが、家での瑠音は比較的穏やかで、これが本当の瑠音だろうかと、時々錯覚しそうになる。
ま、家では真紀子さんの目が光っているから、手を出せないのだろうけど・・・。
そんな事を考えながらバスタブに浸かっていた私は、いきなり腕を捕まれ驚いて目を開けた。
目の前には瑠音がいて、私を覗き込むようにバスタブの縁に腰を掛けている。
右手で携帯を握りしめ、左手は私の腕を握っている。
「なに、???」
驚いて声をかける。
この状況は?
そして、何故か酷く入浴剤が目に染みて痛い。
「何って、余りにも静かなんでバスタブ覗いたら、君が沈んでいたから驚いたよ、どのくらい息していなかったんだろうね?」
「嘘よ・・・」
よく話しに聞く、居眠りからくるバスタブでの水死。
「ほら」
そう言って、瑠音は撮ったばかりの写真を見せてくれた。
本当に顔が湯船の中だ、それにしても・・・。
「ちょっとー、写真撮る前に起こしなさいよ!死ぬ所じゃない、」
「写真が先でしょ!」
その時、はっとして自分が今裸なのを思い出した。
バブルバスの泡が表面を覆って隠してはくれていたが、眠っている間にどこまで写真を撮られたのか考えるとゾッとした。
「瑠音ーーー!!!」
彼は笑いながら浴室を後にした。
前言撤回!
ヤツはやはり悪魔だ!




 夜になって喉が渇いた私は、廊下に出てキッチンへと歩く途中、瑠音の部屋から大きな声がするの気が付いた。
除くと、お風呂から出てきたばかりなのか、髪の毛はびしょ濡れで腰にバスタオルを巻いただけの姿で、子機を手に電話で話中だった。
ここぞとばかり、部屋に戻って携帯を取ってくると、私はドアに隠れてこっそり写真を撮った。
またとない、瑠音様の半裸姿だ。
彼が気が付かないのをいいことに、更に近寄りシャッターチャンスを狙っていた。
「うん・・・うん・・・、やだね、好きにすれば?」
しばし、沈黙。
「だから、行かないって言っただろう!」
瑠音はそう怒鳴って、暫く受話器を見ていたが、何を思ったか振り向きざまに、私の立っているドアを目掛けて子機を投げつけてきた。
子機は私の髪の毛を揺らせる程に耳を掠めて、後ろのドアにぶつかると、バラバラになって壊れた。
投げた本人も、私もまた突然の事に唖然と驚いている。
「なにやってんだよ、そんな所で・・・、」
意外にも、瑠音は少し蒼白な顔をして、私を見ていた。
間抜けな気がしてきたのは、私の方だった。
「ごめん・・・」
そして私が手にした携帯を見て、眉を顰める。
「バカな奴、」
タイミングが悪すぎて、何だか本当に恥ずかしい。
そして、いつの間にか近寄って来ていた瑠音は、両手で私が身動き出来ないようにドアに押しつけていた。
顔が、近い・・・。
グリーン・シトラスのバスジェルが香る。
トワレと同じ匂いだ。
そして、私の耳の上辺りを見ている。
「当らなかったよね?」
「大丈夫・・・」
そう返事を返すと、瑠音は安堵したように俯き、その時、まだ濡れている瑠音の髪の毛が私の頬を撫でた。
「脅かすなよ、」
「こっちも驚いたんだから、でも、当ったとしても自業自得だと認めるわ・・・」
「あたりまえだ、勝手に人の部屋に入って来ているんだから」
「言っときますけど、あなたは何時もじゃないの、」
「ここは誰の家さ?」
キラリと瞳が輝いた。
はいはい、ここは瑠音様のお家でした。
忘れていた私がバカでした・・・。
話しにならないとばかり、私は顔を逸らして悪態を付く。
瑠音が耳元で笑っている。
「でも、由妃が僕の写真を撮りたいのなら、そう言ってくれればいつでも撮らせてあげるのに・・・、何なら、これ取ろうか?」
そう言って、バスタオルに手を持って行く。
既に、いつもの意地悪な瑠音に戻っていた。
挑発に乗るのは簡単だったけど、余り拘わると後が面倒だったので、賢明な選択”会話を打ち切る”事にした。
「いい、興味失せたから」
そう言うと、私は瑠音の部屋を後にした。
そして、背後から瑠音の笑い声が聞こえて来た。






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