Citron  シトロン
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7


 怒濤の一週間が過ぎた。
待ちかねた休日に、私は以前から見つけていた庭の東屋のソファに腰掛けて、パソコンから友人にメールを送っていた。
一条家の庭は広く、手入れされた薔薇の花が咲き誇るには少し早かったが、アーチには蔦が絡まり新緑の触手が風にゆらゆら揺れていた。
「こんな所に居たんですか?探しましたよ」
パソコンから顔を上げると、要さんが微笑んで立っていた。
「あれ?今日はお休みじゃ無かったの?」
「あなたに用があって来たんです」
そう言って、背広の内ポケットから写真を取り出した。
「渡してくれって、真一郎さんに頼まれました」
真一郎とは私の父の名で、それは両親と今年十四歳になる妹が、にこやかに微笑んでいる家族写真だった。
妹が抱いている犬は、由妃が拾って来た雑種のルーキーだ。
「きゃぁ、懐かしい!ルーキーまで!」
私は思わず微笑んだ。
「昨日、あなたのお父様から”由妃を頼むな”って、突然カリフォルニア・ワインが届いたんですよ、その中に入ってました」
「何も今日で無くても良かったのに」
「いいんですよ、どうせ私は暇ですし、それにあなたの喜ぶ顔を一刻も早く見たくてね」
要さんは父と同じ、慈しむような目をして微笑んだ。
私はかけ寄り抱きついた。
「ありがとう、私、要さんがいるから安心していられるわ」
「あなたがお母様のお腹にいるときから知ってますからね、長い付き合いですよ」
二人が笑い合っている所へ、ふらりと瑠音が現われた。
少し、不思議そうに私達を見ていたが、気を取り直したように話し掛けてくる。
「どこに居るかと思ったら」
「何か用?」
私が怪訝そうに尋ねても、”別に”と言って、肩を竦《すく》めただけだった。
要さんが気を利かせるように、さよならを告げて東屋から去ると、入れ違いに瑠音が入って来た。
そして、鷹揚《おうよう》に私の横に腰掛かけたかと思うと、見るとも無しにパソコンの画面を見ている。
白いパーカー姿の瑠音は相変わらず麗しい佇まいで、素行の悪さを除けば、確かに誰も抗う事など出来そうにない魅力を放っていた。
「何よ、用が無いなら向こうに行って」
「今日は何する?」
昨夜は夜遊びが過ぎたのだろうか?夜中にドアが閉る音がしていた。
少し、眠そうな目をしている。
「何って?」
「予定は?」
どうしてそんな事を聞いて来るのだろう?
「私が何をしようと、それが、あなたに関係ある?」
「一緒に遊んであげようかなと思って」
私は手にしたレモネードのグラスを落としそうになる。
どんな顔して言ってるの?
マジと瑠音を見た。
長い睫で、瞳を半分隠して微笑んでいる。
「あ、あのさ〜、一つ問題を出してあげます。私がこの世で一番一緒に居たくない人は誰でしょう?」
「僕」
「そう、正解!」
私は瑠音の顔を指さした。
「分かってるじゃん、」
「死にそうに、退屈なんだよ……」
そう言って、私の手からグラスを奪ったかと思うと、レモネードを飲んでいる。
退屈だからって、何考えてんだコイツは!
二日前には、私に”亜里沙を悲しませるヤツは許せない”と言って凄んだ挙げ句、全校生徒を敵に回させて、カフェテリアの座る場所さえ取り上げたくせに、今は私の傍らで呑気な猫のように大欠伸をして身体を伸ばしている。
「亜里沙に遊んでもらえば?」
「ショッピングだって、あれ、君をイジメる対策会議だったっけ……」
私は拳を作って殴ろうとしたら、その手を瑠音に素速く押さえつけられた。
「冗談だよ」
瑠音はクスリと笑った。
「何する?」
「懐いて来ないで、勝手に遊べば?」
瑠音の視線が、故意に後方へ流れた。
「お婆さまが見てるよ、仲良くしなくちゃ」
「え?」
振り向くと一階の書斎の窓が開いていて、真紀子さんが手を振った。
瑠音も振り替えしている。
コイツは……。
だからにこやかに近づいて来たのだと思うと、その計算高い瑠音に余計腹が立って来た。
私の見る限り、瑠音は真紀子さんの前では品行方正の優等生を演じている。
そして、真紀子さんも又、瑠音を恐ろしい程溺愛しているように思えた。
「これ君の家族?妹美人じゃん、」
「瑠音、私あんたと日常会話したく無いんだけど?あんたがここを出て行かないのなら私が出て行く」
パソコンを閉じていると、その手を瑠音が制した。
「僕は完璧、由妃を怒らせちゃったね、君が好きだから仲良くしたいのに」
???
「頭、可笑しいんじゃない?」
私は鼻で笑った。
「でも、君が先に僕を怒らせたんだよ」
天使のような笑顔で、伏し目がちにそう言った。
「どっちでも同じよ。あなた、自分が最悪って事知ってる?」
「かなりね……」
「知っててやってるんだ、あんな卑劣な事……」
「どの事?歩美のこと?それとも君へのイジメ?」
「どっちもよ!」
「歩美はね亜里沙を怒らしたんだ、だから亜里沙がGOサインを出したんだよ、」
「だからって、どうしてあなたが……」
「僕は亜里沙を愛してるからね、彼女を怒らせる奴は許さない」
瑠音は私の顔を見てはっきり言った。
だからって……。
「君の場合も同じく」
冷たい目をして微笑んだ。
「ま、”ステージ”が違うけどね、君の場合はその方が面白いと思ったから」
「ほんとうに、あなたって最悪よね、人を操る権力を握ってチェスの駒のように人を動かすの」
「別に、僕は何の指示も出してはいないよ」
「黙認は、指示してると同じことよ」
「じゃ、君が諭してくれる?僕のイケナイところを」
瑠音はからかうように私を見た。
確かに瑠音は自分が分かっていないんじゃないかと思ったりする、何が正しくて何がいけない行為だとか……。
不思議な感覚の男の子だ。
でも、そんな理解は不能だ、私は瑠音の手を払った。
「そうよね、誰もあなたに逆らう者も、提言する者も、勿論いないんでしょうね、あなたの悪質さをみんな恐れているから」
「そう言うこと、やっと気がついたようだね」
結局、そこに話が行き着いてしまう。
うんざりだ。
「あなたが出て行く?私が出て行く?」
辛抱強く、もう一度繰り返す。
すると瑠音は笑って、更に私に近寄り手を取りに来る。
「何やってるのよ」
冷たく言い放つ私の側で、反応を伺うように指を絡めてくる。
「DVDでも見ようよ」
「だから言ったでしょ!何考えてるのよ、ぜーったいに嫌だ、誰があんたなんかと!手を離しなさいよ」
「やだね、一緒に見ると約束してくれない限り」
指を絡めるな!
しかも、天使のような顔して私に微笑んでいる。
「あんたの素行について言いつけたりしないし、仲のいい振りもしてあげるから、離して!」
「振りなんて必要ないよ、もうお婆さまは僕がどんな人間か知ってるんだから……」
「優等生だと言う事でしょう、いつかその仮面を剥いでやるから」
「優等生だって?まさか!」
瑠音は失笑した。
「お婆さまはね、僕が殺人を犯すような孫だって、とっくに知ってるんだよ」



 私と瑠音は、バロック建築を模したように絵画が沢山掛けてある豪華な居間の、近代文明の象徴でもある70インチTVで、アメリカのSFX映画を見ていた。
すっかりくつろいでいる瑠音は、裸足の足をフットスツールに乗せて今にも寝そうな体制だ。
決して”殺人を犯すような孫”にビビッたわけでは無いが、何故だか、その瞳の奧に隠れていた憔悴感を見たような気がして、躊躇してる間に、連れられてやって来てしまった。
 映画は流石に何億もかけて制作したというだけあって、面白く引き込まれていったが、案の上、瑠音は途中で眠り込んでしまった。
綺麗な顔に、少しだけあどけなさを残して眠っている。
私はここぞとばかり部屋中の引き出しをひっくり返してマジックを探し出すと、今やアメリカのマークとも言えそうなピースマークを瑠音の頬に書いて、携帯で写真を撮った。
その騒動中に、瑠音の目が覚めた。
私がマジックと携帯を持っているのを見て、直ぐに察した彼は起き上がると鏡に顔を映して見ている。
「目蓋の上に”目”じゃなくて良かったよ、」
「あーっ、そっちが良かった、もっと間抜けだったのに。瑠音様も形無しの……」
あっと言う間にマジックを取られた私は、瑠音の反撃を受けようとしていた。
マジックが顔に近づいて来る。
「ごめん、ごめんってば、謝るから」
「いつも言ってるだろう、僕に逆らうとどうなるかって、」
瑠音は笑ってはいたが本気で、私がソファの上でマジックを躱そうと身体を捩っても、顔を押さえつけられ何度かペン先が顔に押しつけられた。
「きゃぁーわかったって、降参するから!それって油性でしょ?なかなか落ちないのよ、」
「知ってて僕の顔に書いたんだろ?」
一見、華奢な瑠音だが、そこは男の子、押さえ込まれると力では適わない。
「ごめん、本当に降参だから許して」
両手で顔を覆って訴えると、ふと、瑠音の動きが止まった。
指の隙間から覗くと、瑠音は無表情で私を見下ろしていた。
「最初から素直に謝っとけば、第二ステージ送りになんてしなかったのに……」
「何の話ししてるのよ……」
瞳が長い睫で陰っている。
「バカな奴……」
そう言って、瑠音は私の顔に掛かった髪の毛を優しく振り払った。
そして、その視線が瞳から唇に移った。
え?
顔が近づいて来る!

ルネサマ、マジデスカ?

「あなた達、何してるの?」
その時、入り口で亜里沙の声がした。
二人は起き上がり、マジックで汚れた顔を亜里沙に向けたが、彼女は笑うどころか目を細めて怒っていた。
そして、側までやって来ると私に一瞥をくれて、瑠音の手を引くと部屋から出て行った。
その場にひとり取り残された私の頭の中に、歩美の言葉が木霊する。

『あの笑顔で迫られると、拒めます?本気だと勘違いするか、そうじゃないって分っていても、つい許してしまいそうになる……』

私はクッションに顔を埋めて、呻《うめ》くのだった。
 

 
                          


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