Citron  シトロン
next top back


5


 イジメは、その日の内に始まった。
先ず午後に科学の授業を受けて教室に返って来た所、六限目に使う国語の教科書が見事に切り裂かれていて、机の回りにその切れ端が散乱していた。
勿論、誰も私に声を掛ける者も、始末の手伝いを申し出る者も居なかった。
まあ、いいや。
この頃、午後になるとやたら眠かったので、私は机に顔を乗せて目を閉じた。
こんな時、LAの陽気な空気が懐かしくなる。
ダメダメ、来たばかりじゃ無いの、こんな弱気では。
「……さん、森下さん、」
揺り起こされて頭を上げると、机の横で担任でもある橋本由香利が私を見下ろしていた。
「どうしたの?これ?」
引き裂かれた教科書を指して、怪訝そうな顔をしている。
「あ、さっき教室に戻って来たら破れていました」
教室は静まり返っている。
担任は思案気に私の顔を見たが、それについては何も言わなかった。
もしかしたら、ここではこういう事は日常茶飯事の出来事かも知れない。
「じゃ、一条君、一緒に見せてあげなさい」
無表情の瑠音と目が合う。
私は彼が嫌がっているのを知って、態と笑顔を作って言った。
「ごめんね、よろしく」
そう言って、机を並べた。
可笑しくてしょうが無い。
「何笑ってんだよ、」
「別に……」
「笑ってな、こんなのはまだ序の口だ」
前を向いたまま、流音は冷淡にそう告げた。
「でしょうね、自らは手を汚さず、高見の見物を気取っている瑠音様だもんね」
そう言って、私はそっぽを向いた。
その時である。
何かに頭を引っ張られたと思ったら、振り向きざまにナイフで髪の毛を切られた。
瑠音の手から、私の髪の毛がハラハラと落ちた。
悪魔のように瑠音は笑っている。
気が付いた、回りがざわめいている。
「何するのよ……」
「シッ……、授業妨害すると先生に叱られるよ」
唇に指を充てて、笑っている。
担任は気づかず、私達に背を向け黒板に現代文の注釈を書き写していた。
私は瑠音が前を向いて油断する間を見逃す事無く、そっと掴んだボールペンで流音の綺麗な手の甲を刺した。
「痛っ」
思いも寄らぬ反撃に、余裕をかましていた瑠音は驚いて、自分の手を見た。
血が滲んでいる。
そして私の椅子を足で蹴った。
ガタガタと大きな音がして、流石に教師が振り向いた。
「何やってるの?」
私と瑠音の一連の行動に、みんなは凍てついているので、教師の目には静まり返って微動だしない生徒しか映らない。
教師は沈黙の後、再び黒板に向かった。
最早、私達は教室中の注目を浴びていた。
瑠音が鼻で笑った。
私は頬杖を付いて、そんな瑠音を見ていた。



「由妃、待ってよ!」
メトロへと向かう途中で、後ろからサクラに呼び止められた。
走って来たのか息が荒く、整えるのに少し時間が掛かった。
「ごめん!さっきは声も掛けられなくて、」
「いいよ、何されるか分らないもの当然よ、私と一緒に居ない方がいいんじゃない?」
「そんな事言わないで、私は自分の弱さを恥じているんだから。許してくれる?」
「まだ、謝らない方がいいわよ、これからもっと酷い事になると思うから、私はあなたを巻き込みたく無いの、私は何時でも帰る所があるけど、あなたは将来を見据えてここに入って来たんでしょう?私に関わらない方がいいわ」
私はサクラを傷付けないよう、笑って言った。
それは寂しいけれど、私の本心だった。
きっと、もっと瑠音のイジメは執拗になる筈だ。
「あなたは強い人ね」
サクラは羨望の眼差しを向けてきた。
「強くなりたいわ、どんな困難にも立ち向かえる勇気が欲しい」
そう言って私は微笑んだ。



私の帰宅と入れ違いに、要さんが車に乗り込もうとしている所に出くわした。
「お帰りなさい」
「ただいま!」
「学校はどうですか?」
「楽しいとは言い難い現状だけど、大丈夫よ」
「何がですか?」
要さんは笑った。
「教科書って、何処で手に入るのかな?」
「どうしたんです?」
「国語の本が切り裂かれちゃって……、どこで買えるの?」
溜息をついて要さんが私を見た。
「瑠音様ですか?」
即座に名前が出ると言う事は、少なからず彼の素行に関して把握しているのだろう。
「どうかな……多分ね、私、彼に嫌われているの」
「同居されるのはしんどく無いですか?」
「大丈夫よ、」
「辛くなったら言って来て下さいね、何時でも住まいは余所に構えますから、でも真紀子様はお許しにならないかも知れませんが、」
「ええ、ありがとう。心配掛けます」
「いいえ、ロスでのあなたのお転婆振りを見てますからね、少々では驚きませんよ。それと教科書の件は任せて下さい。直ぐに取り寄せますから」
私は唯一の味方が、微笑んで車に乗り込むとゲートを抜けて見えなくなるまで手を振っていた。

勝手口から中に入ると、厨房でジャガイモの皮を剥いていた弥子さんが驚いた顔を上げた。
「お嬢様、責めて従業員入り口からお入り下さいな」
「何か飲み物貰えないかと思って、」
「だから連絡下されば、お部屋にお持ちしますのに」
弥子さんは笑った。
「面倒でしょ、ここで貰って部屋に上がれば誰も煩わすことないし」
「従業員の仕事を取るおつもりですか?ささ、お部屋に上がって下さいな。直ぐにお持ちしますから。今日はオレンジのシフォンケーキです、飲み物はいつものレモンティーでいいですか?」
「すみません、お願いします」
「すみませんだなんて……」
弥子さんは苦笑しながら、ケーキ皿を用意し始めた。

部屋に入って制服を脱ごうとしていた所、いつの間にか入って来ていた流音に、肩を掴まれあっと言う間にベッドへ倒された。
彼は既に服を着替えている。
「何?」
「二度と、こんな事するな、」
手の甲を私の目の前に翳した。
結構、傷が深かったのかまだ血が滲んでいた。
「あなたが、私の髪の毛を切ったからよ、お互い様でしょう?」
「ここでは、お互い様だなんてルールは無いんだ」
「”瑠音の掟”ね……」
「そうさ、忘れるんじゃない」
私は舌打ちした。
「どいてよ、重いじゃない、」
「忘れたらどうなるか教えてやるよ、」
瑠音の顔が近づいて来た。
何?
これは”第1ステージ”じゃないわよね?
「ちょ、ちょっと!”ステージ”が違うんじゃない?やめて!」
すんでの所で瑠音の唇を躱した私が、膝で瑠音を押しのけようとしたとき、ドアをノックする音がした。
「お嬢様、お飲み物お持ちしました」
その時、ふっと身体が軽くなったかと思うと、私は強引に腕を引っ張られて、起き上がらされた。
「ツイてたな、」
そして、彼は不適に笑って部屋を後にした。






nex t top back
 









Copyright(c) 2009 朱夏 all rights reserved.