Citron  シトロン
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26




高い梢の先、小鳥が囀っていた。
風は仄かに揺らめき、薔薇の芳香が辺りに漂っている。


・・・瑠衣が私を見ていた。


私の中に、ブラックホールのような空虚で暗く、大きな穴が広がって行く。
総ての神経がそこに集中するかのように・・・。
「でも、瑠音はここの方が楽しそうだ」
そう言って、瑠衣は笑った。


いつかの電話、破られた航空券・・・、そう言う事だったのか・・・。


「君だって、瑠音が居なくなったら寂しいだろう?」
「な、何言ってるの、賭けは私が勝ったのだから、”平穏な毎日を保証”してくれるには、彼がここに居ない方がいいんです!」
気持ちは言葉ほど、確かでは無い・・・、動揺が顔に出ていませんようにと願うも、瑠衣がとうに見透かしているのは分かっていた。
それでも、まだ私は強がってみる。
「無理しちゃって・・・」
「この頃思うのだけど、どうしてここに居るのが瑠音で、瑠衣じゃないんだろうって・・・、」
「どうして?」
「ここに来てから瑠音に振り回されっぱなしで疲れちゃった・・・、あなたはもっと大人だから一緒にいても楽しいし」
「そうかな・・・?」
瑠衣は疑わしそうに笑った。
「瑠衣は、彼が私にどんなに酷い仕打ちをしてきたか、知らないからそんな事言えるのよ、アメリカに帰ろうかと思う程にね。でも、家族が心配するから我慢してるだけなの、ここに来てからまだ三ヶ月足らずでしょう・・・時々、彼といると疲れるし、うんざりするの・・・」
そう言いかけた所で、東屋の外に立っている瑠音に気が付いた。
何時帰って来たのだろう、そして、何時からそこにいたんだろう・・・。
「瑠衣、お婆さまが呼んでいる」
無表情な顔は昨日のままだったが、私に目を合わす事は無かったので、彼の心は読めない。
怒っているのか、無視されているのか分からなかった。
「今、行くよ・・」
瑠衣もそこに瑠音がいたとは思いも寄らなかったのだろう、驚いた顔をして戸惑いながら立ち上がった。
そして、瑠音は何も言わずに瑠衣の後を追って出て行った。
聞かれたと思っても、本当の事だからと私は自分を正当化した。


瑠音はどうするのだろう、アメリカに行くのだろうか?
心の中に沸き起こる一抹の寂しさを、私は否定できなかった・・・。








とうとう、瑠衣がここを立つ日がやって来た。


私は言うまでも無く、かなり寂しい・・・。
少しの間に瑠衣は兄のような存在になり、私にとってここでの唯一の味方だった・・・。
瑠衣に別れを告げる為、部屋を出たとき、廊下でバッタリ彼に出くわした。
「彼奴、降りて来ないんだよ」
「え?瑠音?」
瑠衣は微笑んで頷いた。
「寝てるんだろうか?・・・」
瑠衣は私に微笑みかけると、ノックも無しに瑠音の部屋のドアをいきなり開けた。
すると、瑠音はまだベッドの中で俯せに寝ていた。
瑠衣は近寄ると、その横顔に微笑みながらキスをした。
美麗な二人のボーイズ・ラブ的光景に、私は思わず魅入ってしまう・・・。
「何だよ、キモイ・・・」
瞳を開けて瑠音は、瑠衣に文句を言った。
でも、その表情は微かに微笑んでいる。
「起きてんじゃないか、」
そして瑠音は再び怠そうに、ゆっくりと目を閉じた。
「別れの挨拶をしてくれないのか?しばらく会えないんだぞ、」
「恋人に言うセリフじゃ無いんだからさ・・・」
枕に半分顔を埋めて笑っている。
「じゃ、行くよ。あっちで待ってるからな・・・」
「・・・」
そう言って、瑠衣が背中を向けてこちらに歩いて来る途中、瑠音が彼に何か言おうと起き上がったが、私と目が合い瑠音は喋るのを止めて、そのままの体勢でドアが閉るまでじっと私を見ていた。






「・・・瑠音は、アメリカに行くの?」
部屋から出てきた瑠衣に、聞かずにはいられなかった質問だった。
「どう思う?」
「わからない・・・」
「僕にも分からないな、あいつ次第だよ・・・、僕としては義母も望んでいるし、父の誤解も解け、弟も反省してるし、来て貰いたいんだけどね・・・」
私達は階段を並んで降りていた。
「やだなぁ由妃、そんな悲しそうな顔しないで、僕が恋人達の仲を裂く悪者みたいな気分になるじゃないか・・・」
瑠衣は私の顔を覗き込んで笑った。
「そんな言い方止めて下さい、瑠音と私は何でも無いですし、単に折角瑠衣とも会えたのにもうお別れなんてと・・・寂しくなっただけですから・・・」
「そういう事にしておこうか、」
瑠衣は前を向いて笑った。
「でもね、君が”行かないで”って頼むと、来ないと思うよ」
「そんなこと、死んでも言いません!」
瑠衣の笑い声が玄関ホールに木霊した。
そこには、いつの間にかやって来ていた亜里沙と、真紀子さん、そして要さんや使用人一同が顔を揃えて出てきていた。
みんなに一言ずつお別れを告げた後、瑠衣は私の側に来てハグを要求した。
そして、耳打ちする。
「二階から瑠音が見てるよ、熱烈ハグをして妬かせてやろうじゃないか?」
私達は笑いながら抱き合うと、頬を寄せ合って唇が触れるほどにキスをした。
「アイツの嫉妬に狂う視線が痛いよ」
瑠衣は密かに、私の耳元で囁いた。
「なに言ってるの、」
「何事にも真っ直ぐな由妃、たまには愚かな弟を許してやってくれ」
そして、私達は抱き合っていた手を振り解くと、お互い微笑み合った。
彼の言葉が胸に響いた。
「じゃ、由妃また!」
そして瑠衣はにこやかに手を振って、運転手が開けたドアから中へ乗り込むと、車は速やかに動き出し、あっと言う間に敷地から見えなくなった。


瑠衣がいなくなった・・・。
たった一人の私の理解者・・・・。


そして私は、泣きたくなった。


「本気で瑠衣を好きになったんじゃ、無いだろうね?」
声の方に振り向くと、車を見送って立ち竦んでいた私のすぐ横に、瑠音が立っていた。
「あなた達って、天使と悪魔のようだわ・・・」
「それって、僕と瑠衣?」
「そう、あなたがどっちだか言わなくてもわかるでしょう?」
「分かってるよ、そしてみんな天使が好きになるんだ・・・」
瑠音は微笑んでいたが、どこか傷ついているようにも思えた・・・。
そして、彼は答えを待っているのか、目を逸らすこと無く真面目な顔して、じっと私を見ていた。
否定すれば瑠音を喜ばせ、つけ上がらせるだけだし、しなければ瑠音の嘲りを甘んじて受けなければならない・・・。
私は、どう答えてよいのか分からず、答えに窮していた。
すると彼はフッと溜息を吐いた。
「もう、どっちでもいいか・・・僕は賭けに負けたしね」
「瑠音・・・、もし勝ってたら・・・どうするつもりだったの?本気であんなこと言ってたの?」
「何度も同じ事を言わせるな、僕はいつだって、本気だよ。由妃は信用してないけど・・・」
瑠音は涼しい顔して微笑んだ。
そんな風に優しく微笑まないで・・・。
「君に平穏な学園生活を保障するために、次は僕が居なくなる番だね・・・」


え?


「アメリカに行くよ、もう君を煩わす事はないから」


「いつ?・・・いつ立つの?」
私は驚きを必死で隠した。
「荷物の整理ができ次第・・・、寂しくなるな・・・由妃に会えないなんて・・」
呆然と瑠音の顔を見ていたら、彼の手が伸びてきて頬を撫でた。


本気なの?


私の目から涙が零れた。
「どうして泣くんだよ・・・、嬉しいんだろ。僕がいなくなると・・・」
「バカ・・・」
私は思わず瑠音に抱きついて、その胸に顔を埋めた。
グリーン・シトラスが香る。


・・・瑠音の匂いだ。



”行かないで”と、口に出して言えないもどかしさに、私は唇を噛んだ。


「由妃・・・、それに僕は瑠衣の代わりはごめんだから・・・」


否定しようと顔を上げたとき、玄関の入り口に立った亜里沙が瑠音の名を呼んだ。
「瑠音!何してるの、来て!」
その表情から、彼女が激怒しているのが見えた。
私を睨み付けている。
そして瑠音は、あっさり私を突き放して、亜里沙の元へ歩いて行った。




何だか、凄く誤解を与えたまま、私は中途半端な気持ちを抱えて、その場に呆然と立ち竦むのだった。




















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