Citron  シトロン
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21




「由妃!」
いきなり噂の人物登場に、驚いてぼうっとしていたら、瑠音に胸ぐらを捕まれた。
「僕の携帯を池に落とそうとしたな、」
恐ろしい形相で睨んでいるが、私は怯まなかった。
だって、悪いのは瑠音だと思うもの。
「あの女の子と、同じ目に合うがいいわ、」
強気ではあったが、藻掻いても強く握り絞めた瑠音の手は、外れそうに無かった。
その、つかみ合いの喧嘩を止めたのは、紛れもなく瑠音の兄、瑠衣であった。
「やめろ、瑠音!」
容姿は勿論、声までそっくりだった!
彼が瑠音の肩に手をやるも、激怒中の瑠音は見向きもしない。
「瑠音、何だよ、久し振りに帰って来たと言うのに挨拶も無しに、目の前で女の子と取っ組み合いの大喧嘩してるなんて・・・、」
そう言いながら瑠衣は瑠音を抱き締めるように、私との間に強引に入って私から引き離した。
「ムカツクんだよ、!」
「あんたこそ、最低のクソ野郎だわ、」
私の暴言に、瑠音が再び手を伸ばして来ようとしたので、笑いながらも瑠衣がそれを制した。
「瑠音、いい加減にしろ!」
瑠衣は暫く瑠音を押さえていたが、息が整う頃を見計らって瑠音の顔を可笑しそうに覗き込んだ。
そして、少しだけ落ち着いた瑠音は、ゆっくりと瑠衣の手を振り払った。
「まったく・・・、紹介してくれよ、彼女がお婆さまが言ってたアメリカから来た由妃さんなのかい?」
「そうだよ、」
吐き捨てるように、乱暴に言う。
「兄の瑠衣だよ、よろしくね」
「初めまして、森下由妃です」
彼は双子のように、瑠音とそっくりな笑顔で微笑んだ。
しかし今は、その喜怒哀楽の対比は激しい。
「向こうに呼び寄せても来ない筈だ、ここも楽しそうだね瑠音」
「チッ、」
瑠音は舌打ちした。
並んだ姿は、なんて見目麗しいふたりなのだろう。
雑誌から抜け出てきたようなと言う、ありきたりだがそんな表現がぴったりだ。
「どうしたんだよ、急に帰って来て」
「用があったんだ、お前にも会いたかったし、でも安心したよ楽しそうにやってるから」
「どこがだよ、」
機嫌悪く、即座に返答した瑠音を見て瑠衣は笑った。
背格好はほぼ同じで、瑠音の髪を黒く、少し短くしたのが瑠衣だ。
「驚いた、噂には聞いてましたけど、瑠衣さんと瑠音は本当にそっくりなんですね」
私は瑠衣にそう言うと、彼は嬉しそうに微笑んで言った。
「瑠衣でいいよ。そう?良い噂かなぁ」
「相当、」
瑠衣はにこりと微笑んだが、瑠音は怒ったまま背中を向けると、家の方へと歩き出していた。
その後ろを、私達もゆっくりと続く。
瑠音は下を向いていたが、どうやらメールをしているらしい。
どうして、そんなに激怒するほど携帯が必要なのか、理解に苦しむ。
暇さえあれば携帯を弄《いじ》っている。
まあ、こんなだけど友人は多いみたいだし、女の子の噂が絶えない事を最近知った。
彼女らと連絡を取っているのだろうか・・・・。
「あんなに本気で怒っている瑠音は、久し振りに見たよ」
「多分、私、瑠音を怒らせる天才なんです、この前まで第二ステージのターゲットだったんですから」
「ああ、瑠音達が勝手にそう言って遊んでるゲームだろう?ガキだよね」
そう呑気に笑う瑠衣を、前を歩いていた瑠音が振り向くと、一瞬ひと睨みしたが、そんな事を気にも留めない瑠衣は話を続ける。
「僕がいたら、そんなことはさせないんだけどね、瑠音は捻くれているからごめんね」
「そんな、瑠衣さんが・・・」
「瑠衣でいいよ」
「瑠衣が謝る事ないです」
私が言い直すと、それでいいと言うように彼は穏やかに微笑んだ。
何だか凄く不思議な気がした、見た目は瓜二つの二人なのに、その本質は全く違うような気がするのは、みんなからの話で聞いていただけじゃなく、正面から向き合ってゆっくりと喋る誠実そうな眼差しが、そう感じさせるのだと思った。
ま確かに、瑠音も真っ直ぐ人の目を見て話をするが、彼の瞳にはいつも絶対的自信が溢れていて、謙虚さとか、優しさとか、思いやりとか・・・、根本的なものが欠けているような気がする。






そんな事を、うつらうつらと考えながら家に戻ってきた時、丁度、亜里沙が運転手付きの車でやってきた所だった。
彼女の背後で、手袋をした運転手がドアを閉めた。
「きゃぁ!瑠衣兄さん!」
そう言って、亜里沙は瑠衣に駆寄ると、嬉しそうに抱きついた。
「いつ帰ってきたの?」
「ついさっき、庭を散歩していたんだ、」
「みんなで?」
亜里沙は、私を鬱陶し気に見て言ったが、瑠衣はそれを気付いてか、さりげなく話題を変えた。
「亜里沙はちっとも変わらないね、相変わらず美人だ」
「お別れしてからたった三ヶ月よ、でも、ありがとう」
瑠衣の前の亜里沙は、屈託無く嬉しそうに微笑んでいる。
その時、書斎から要さんが現われた。
「みなさん、今日の夕食は六時だそうですよ、遅れないように、由妃さまも今日はテーブルに着くようにと、真紀子さまからの伝言です」
みんなの視線が私に集まる。
「はい・・・」
有無を言わせないよう、要さんは私の目を真っ直ぐに捉えてそう告げた。
今夜はしょうがない、どんな言訳も通用しないだろう、瑠衣が帰って来てるんだからと、自分に言い聞かせ、着替えの為に部屋に戻った。







私はなぜかプールの底に沈んでいた。
屈折するプリズムの光が、生き物のようにユラユラと揺らめいている。
あの日、サクラの体操服を掴みに行ったプールの底で、待っていた・・・、誰かが助けに来てくれるのを・・・、遠い喧噪から離れた孤独な世界で、私は探してくれるのを待っていた・・・・。
「由妃・・・、」
誰かが私の名を呼ぶ・・・。
「由妃・・・」
それは紛れもなく瑠音の声だ、助けに来てくれたの?
蒼が広がる果てしなき沈黙の世界で、彼の声がした・・・。


「瑠音・・・?」


肩を揺すられて、気が付いた。
意識が現実に引き戻される。


あ・・・、夢だ・・・。


「僕は瑠衣だよ」
目を開けると、夕闇が迫りつつある部屋で、ベッドの縁に腰掛けた瑠衣が、微笑みながら私を見下ろしていた。
瑠音の名を口に出したのが恥ずかしくて、私は直ぐに返事ができずにいた。
「夕食の時間だよ、君が降りて来ないから呼びに来たんだ・・・、夢を見ていたんだね・・・」
「ありがとう・・・、ごめんなさい・・・」
頬が赤くなって無いだろうか・・・、かなり、恥ずかしい・・・。
「まだ外は明るいし、僕は時差ボケだし、夕食取るのには少しキツイけどね、お婆さまの望みとあらばしょうがないんだ・・・、君も付き合ってくれるんだろう?」
瑠衣は話題を変えながら、微笑むと手を取ってベッドから私を降ろしてくれた。
きっとさりげなく気をつかっているんだろうと思うと、嬉しかった。
ひとつしか年は違わないのに、何だか酷く大人に感じられる。









夕食は、日本食かと思いきや、和洋折衷で、きっと瑠衣の好きな物を選んだものなのだろう。
鴨フィレ肉のスパイス風味等、お箸で食べられるよう、細かい配慮がしてあった。
瑠音と亜里沙は必ず並んで座るので、瑠音の前に瑠衣、亜里沙の前が私という何とも息の詰まるテーブル配置だ。
真紀子さんは一頻り、家族の近況を瑠衣に尋ねていた。
私はと言うと、早くこの気詰まりな食卓から解放されたくて、黙々と食事をしていたので、真紀子さんに話し掛けられた時、聞き返さねばならなかった。
「すみません、もう一度お願いします」
「ここに来てそろそろ二ヶ月になるけど、そろそろホームシックになってるんじゃない?お家には連絡してる?」
「大丈夫です、家にはたまに電話を入れてます、後はメールで近況を・・・」
でも、誰かのお陰でちっとも楽しくない報告は、省かれていると心の中で呟いた。
「夏休みはどうするの?」
「あ・・・、まだ考えていません」
「そう」
真紀子さんは微笑んだ。
このままアメリカに一旦帰国し、向こうで優しい家族に囲まれると、もうここには戻って来れないような気がした。
だから今は、曖昧に答えるしか無かった。
そんな私を瑠音が見ている事を知っていたが、私はあえて視線を合わす事無く無視をした。








食後の団らんに付き合うのは苦痛だったので、早々に部屋に引き上げた私は友人からのメールをチェックしていた。
その中に、親友のケリーからのメールがあった。
彼女からは、ほぼ毎日メールが届く。
懐かしい、LAの空気を含んだいつも楽しいメールだ。
その、添付メールをクリックして何気無く開いて見ると、そこにはあの恋い焦がれたイーサンが同級生の、サラと一緒に写っていた。


『ふたりは付き合い始めたの、イーサンを問い詰めたら、”由妃と僕はもう別れたんだ・・・”って、こんなに薄情なヤツだとは思わなかったわ、』


メールにはそう書き添えられていた・・・。

あの恐怖の事故から、私は二ヶ月、彼は三ヶ月の入院を余儀なくされたが、彼の入院している病院に何度お見舞いに行っても、彼の家族から私は拒否された。
そして、メールも電話も途切れた・・・。


私達、別れたの?
そんな言葉聞いてないし、会ってさえくれなかった・・・。
なぜ?


もう、彼の事は忘れたはずなのに・・・胸が張り裂けそうだった。
笑顔のイーサンが涙で歪む・・・。


「由妃は振られたってわけか・・・・」


頭上で声がして、ハッとした。
酷く動揺していたので、私は彼の気配に気が付かなかった。
そんな残酷な事を言うのは瑠音しかいないので、私は彼を見ようともしなかった。
何より泣いている顔を見られたく無い・・・。
「僕の由妃を振るなんて、なんてヤツだろう」
その口調から、笑っているのが分かったが、今は彼の皮肉に取り合う気力は失せていた。
立ち上がって、バスルームに向かおうとした私を通せんぼした瑠音は、何気なく私の顔を覗き込んだ。
「なんだ、泣いていたのか・・・」
そして、驚いている。
目が合わせられない、弱みを握られたく無かったから・・・。
「お願い・・・、今は、言い争う気力は無いの・・・」
「ここ、貸そうか?・・・」
瑠音は自分の胸を指さして微笑んでいる。
「なに言ってるの・・・」
そう言って、彼の横を通り過ぎようとした時、瑠音は強引に私を引き寄せ、胸に掻き抱いた。
「放して・・・」
「やだよ、今は僕がこうしたいんだ・・・。それに、由妃にゲームはもう仕掛けないから・・・」


何故だか、どっと涙が溢れてきた。
優しくしないで・・・。


私が躊躇いがちに瑠音の背中に手を回すと、答えるようにきつく抱き締めてくれた。
涙は止め処なく溢れて、瑠音のシャツを濡らす。



瑠音は時々優しい、これが本当の瑠音だったら良いのにって思えた・・・・。










                                          







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