Citron  シトロン
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授業が終わって、荷物を纏めていた。
「今から五分後」
瑠音がロレックスの時計を見て言った。
「何が?」
「迎えの車が来るの、」
運転手付か……流石、泣く子も黙る一条家。資産家の坊ちゃま。
「そう?」
私はそう言って荷物を手に、椅子から立ち上がった。
「そうって?」
「私は電車か、バスで帰るから、じゃ」
驚いている瑠音に向かって、そう告げると教室を後にした。
瑠音と帰路が一緒だなんて、考えただけでもゾッとする。
「お待たせ、」
私は、玄関で待っていてくれたサクラに声を掛けた。
「いいの?」
「何が?」
「瑠音が見てるよ」
「どうせ、次の悪さを考えてるんでしょ、可愛い顔してとんでもない奴だわ」
頭上では桜が舞い散っていた。
ひらひらひらと、優雅に舞っている。
「綺麗ね……初めてだわこんなの見たの、」
更にそよ風が吹くと花弁は、雪のようにちらちらと瞬いた。
「あなたの名前って、素敵じゃない?」
「そうかな?」
「そうよ、ご両親に感謝すべきね、こんなに素敵な光景見たの初めてだわ、」
「私こそ始めてだわ、名前のことで両親に感謝すべきなんて言われたの、だって日本じゃサクラだなんて在り来たりで、ともすればイージー過ぎる程よ」
「いいえ、とても素敵よ」
私はできる事なら、ここで何時間も落ちてくる桜を見ていたかった。
それほどに舞い散る桜の花びらに感嘆し、そして、足元に敷き詰められたような桃色の花びらにいたく感動した。



 夕闇が迫りくる頃、家に辿り着いた私はインターフォンを押しながら、だから金持ちの家は厄介なんだと思い知った。
いちいち名前を告げて、ゲートを開けてもらわなければならない、それが酷く面倒な事に気がついた。
瑠音が夜間に外出しない筈がない、どうしているんだろう?
そんな事をうつらうつら考えて歩いていたので、玄関のドアを開けた時、要さんが腕組みをして仁王立ちしていたので驚いた。
「確か言いましたよね、夕食は六時だって。遅れる、若しくはいらない場合は早めに連絡する事って」
ふと、奥の掛け時計を見ると、六時半を回っていた。
いけない!
「ごめんなさい!」
「私では無くて、さっきからずっと待ってらっしゃる真紀子様と瑠音様に謝って下さい」
私は慌ててダイニングルームに入って行った。
中には真紀子さんと流音、そして、その横に亜里沙がいて、みんなちゃんと着替えて席に着いていた。
三人の談笑が止み、視線が一斉に私に集まった。
「すみません!」
「新堂に伝えて貰っていたと思っていたけど?」
真紀子は格別、怒った風もなく穏やかに私に尋ねた。
「聞いてました。私がうっかりしていたんです、ごめんなさい」
「どこかに寄っていたの?」
「ええ、携帯を買おうかと思って……、でも、保証人が要るみたいなので、今日は見るだけにして帰って来ました」
「携帯ですって?確か、瑠音に渡した筈だけど?」
真紀子さんが瑠音を見た。
すると彼は微笑んで、ポケットから白い携帯を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「直ぐ使えるようにみんなのアドレスや、電話番号を入力してあげてたんだ、今日渡すつもりだったんだけど由妃が先に帰っちゃって……」
にこやかに笑い掛けるな、瞳は笑ってないくせに。
「そうだったの?」
目を細めて笑顔を向ける真紀子さんは、瑠音が可愛くて仕方なさそうだ。
携帯を開いて見ると、案の定、瑠音の待ち受け写真に、アドレス登録番号一番に瑠音の番号……こいつ……。
で、ムカツクのでバタンといきなり携帯を閉じた。
「それをお使いなさい、持ってないと何かと不便でしょう。それに、その携帯は国外にも通じる物を選んで置いたから、寂しい時はご家族に電話なさいな。それと、今日みたいに遅れるときは必ず連絡入れるのよ」
それで話は終わったと言わんばかり、真紀子さんがナフキンを膝の上に乗せたのが、合図のように夕食の給仕が始まった。


 食事が終わって、瑠音と亜里沙が部屋へと引き上げた後、書斎へと向かう真紀子さんを私は呼び止めた。
「お話があるんですが……」
「どうぞ、いらっしゃい」
真紀子さんはそう言って、部屋へと招き入れてくれた。
革張りのソファに席を勧められる。
「何かしら?」
「メトロで通っては駄目ですか?」
「どうして?面倒でしょう?あなた専用の運転手も用意するつもりだったのよ、」
「いえ、結構です。高校生の分際で運転手なんて、祖父に聞かれたら叱られてしまいます」
真紀子さんは、祖父の顔を思い出したかのようにふっと笑った。
「そうね、あの人だったら激怒するでしょう」
健全実直な祖父は、携帯電話でさえ持つことを反対するような、昔気質の古《いにしえ》の日本人だった。
「私の為に、無駄なお金は使わないで下さい」
「このお嬢さんは、お金の心配してるのかしら?」
彼女は驚いたように笑った。
「ええ、肩身狭いですから……」
「お祖父様から聞いて無いのね、曾爺様の代に遺産分けしてね、お祖父様には日本に莫大な遺産があるのよ、最も、彼は受け取りを拒否してるんですけどね、私は祖父から管理を任されているのだけれど、全く、あの頑固者にも困った物だわ」
祖父に莫大な遺産???
「驚くのも無理は無いわね、アメリカではあんなに質素に暮らしているんですもの」
「”お金は、身を滅ぼす”んですって、良く言ってました」
「それは彼の父親の事なのよ、遊びが激しくて勘当されたらしいの。それからアメリカに渡ったのよ、そこからはあなたが詳しいんじゃ無くて?」
曾爺様は風変わりな人で、場末のバーを経営していたかと思えば、劇団を主宰していたり、かと思えば旅行会社を経営していたりと……得体の知れない人だったようだ。
祖父は子供の頃から苦労したらしく、”真面目に働くのが一番だ”といつも言っていたし、彼自身かなり勉強して大学を卒業すると、一流新聞社の記者として定年まで一生を捧げた人だった。
今ではロスのビーチ近くに家を構えて、ビールと釣り三昧の余生を送っている。
「だからね私のお金を使おうが、あなたのお祖父様のお金を使おうが、どっちにしろ微々たる物でしかないの、気にすることなんてこれっぽっちも無いのよ」
「いえ、両親にも言われてますから、迷惑掛けないようにって、」
「本当に普通のお嬢さんよねあなたは、」
感心するように優しい眼差しを向けられて、私は少し照れくさかった。
「お洋服とか、日用品で欲しいものがあれば、このカードを使いなさい。これはあなたのお祖父様が孫娘の為にって、始めて遺産を使うよう言って下さったのよ、孫は誰に取っても可愛いらしいわ」
そう言ってキャッシュカードと、暗証番号を書いたメモを渡してくれた。
ただの飲んだくれの爺様では無かったのだと思うと、少しばかり胸が熱くなった。


書斎から出てきたら、丁度、要さんが帰宅する所だった。
「あ、要さん!」
「何ですか?」
「やめてよ、敬語なんて!パパに叱られちゃう。」
「だってここではあなたは、私の社長の身内ですからね、当然ですよ」
「やだぁ、絶対やめてよね、ロスの時みたいに”由妃”って呼んでいいのに、」
「ロスはロス、ここはここです」
笑っていたが、きっぱりとそう言った。
「それはそうと、私、明日からメトロで通学するんだけど、どこから出入りするの?いちいちインターホン鳴らさないといけないのかな?」
「メトロですって?又どうして?」
「お嬢様じゃあるまいし、折角の日本の景色や町並みを観察しながら通学も素敵かなって思って」
「社長がお許しになられたのなら仕方ありませんけど、入り口は表玄関と裏の勝手口、主に従業員が使う裏門があるんですよ。瑠音様とかは遅くなるとそこから入られているようです」
なるほど……。そう言う事か。
「私にも暗証番号教えて?」
彼は渋々教えてくれた。
「出来るだけ運転手を呼んで下さいね、この家に出入りするだけで、目に付きますから、由妃様の身に何かあったら……」
「だから止めてって、由妃様だなんて、」
バシッと要さんの腕を叩いて笑った。
「お転婆さんは影を潜めておいて下さいね、じゃお休みなさい」
そう言って、ウインクしながら出て行く要さんに、私は敬礼して笑った。
「お休みなさい」
彼の背後でドアがバタリと閉った。
そして私が振り向いた時、階段の上にお互いの腰に手を充てた、瑠音と亜里沙が意地悪げに微笑んで立っていた。
「要さんと知り合いだったんだ?」
亜里沙が尋ねた。
「ええ、彼留学していたでしょう?パパの同級生だったの、今でも時々ロスの自宅に遊びに来るわ、」
私は何らか思案している彼らの横をすり抜けて、自室に戻ろうとしたところ、亜里沙に呼び止められた。
「私達、あなたの歓迎会を開こうと計画しているの、今週末の土曜でいい?」
「歓迎会?いえ、いいわ。ありがとう気持ちだけ受け取っておくわ」
良からぬ気がするのは、断った後でも同じだった。
亜里沙の目が急に冷たくなり、尖った空気が肌に刺すようだった。
「だってさ、」
瑠音が私をチラリと見て、同じく意地悪な目を寄越した。
それからふたりは私の事を無視するように、お喋りしながら仲良く階段を降りて行った。
このふたりは一体どういう関係なのだろう。
付き合っているのかな?
いとこ同士で?
様々な疑問符が浮かび上がったが、ま、軈て分る事だろうと気を取り直して自室に戻った。






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