Citron  シトロン
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16




 日曜日、私は遅い朝食を厨房のテーブルで食べていた。
隣では弥子さんがエンドウ豆を剥いていて、静子さんは誰かの言いつけか、お茶の用意をしていた。
薄い水色に花をあしらった、ウェッジウッドのティーカップが三脚置かれている。
「テストどうでした?」
「まあまあかな?歴史とかは、時々難しい漢字が解らなくて苦労したけどね」
「坊ちゃまが教えて下さるといいのにね?頭良いんだから」
そうである。
家でも勉強してるのかしていないのか、いつもフラフラしているイメージの瑠音が、廊下に張り出された中間試験の成績、トップ5に入っているのを見た時には、卒倒しそうになったものだ。
冗談で、理事長の孫だから手心加えられているんじゃないの?とサクラに言ったら、サクラ曰く、この学園に限ってそれは無い、落ちこぼれはどんどん落ちて行くし、彼の場合は授業中、真面目に聞いているからだと言う。
確かにそうだ。
まず、私語は無いし、授業中は前を向いて真剣に先生の話を聞いている。
それが、意外に私の目には写ったものだった。



 その時、外から兼さんがお茶に現われた。
「おやおや嬢ちゃまは、遅い朝食ですな?」
「おはようございます、少し寝坊しちゃった」
私はイチゴのコンポートを頬張りながら笑った。
「庭ではオールドローズが咲き出しましたよ、後で持って行きましょうか?」
「それより、一緒に行っていい?」
「勿論、じゃあ、お好きなの選んでくださいな」
私が喜んだのは言うまでも無い。
兼さんがアールグレイを飲んでいる間に、部屋に行ってラフィアの帽子を持ってくると、まだ紅茶を飲み干して無かった彼の横に座って、食卓の上のイチゴを摘んで頬張った。
「嬢ちゃまの食欲は、いつ見ても気持ちいいですね、弥子も作りがいがあるってもんですよ。瑠音様や、亜里沙様は小鳥のように、少ししか食べないからなぁ、」
兼さんが、次のイチゴに手を掛けた私を見て笑った。
確かに、彼らと食事をした時、手付かずかと思われるほどの量をいつも残していたので、勿体ないなぁと思った事がある。
実家で私がそんな事をしたら、あの頑固な爺様から拳骨が飛んできそうだ。
「だって、弥子さんの食事はどれも美味しいんだもの、太っちゃいそう」
「まあ、嬉しいことをおっしゃって下さいますね、ますます、腕の振るいがいがあるわ。私に言わせれば、嬢ちゃまはもう少し太ってもいいくらいですけどね」
穏やかな会話で、食卓は和む。
窓からはそよ風が吹いてきて、どこからかほんのり薔薇の香りがしていた。




「これはね、ヘリテージと言って丈夫で栽培しやすいんですよ、色も淡くとても綺麗でしょう?」
初夏の陽光降り注ぐ庭で、兼さんに薔薇の種類について、説明を受けながら歩いていた。
頭上では小鳥が囀っている。
「とても良い香り、」
「レモンの匂いがしませんか?」
「ほんとうだ!」
「それが特徴でもあるんですよ」
兼さんはにこりと笑って、鋏で一本切り取り、私の持っている籠に乗せた。
「このアルンウィック・キャッスルはラズベリーの香りがするんですよ、」
少し濃いピンクの薔薇に顔を寄せると、ほんとうに良い香りだ。
「兼さんは薔薇に詳しいんですね、ここには何種類くらいあるんですか?」
「うーん、もう数え切れないなぁ・・・、真紀子様に庭を任せられてから事有ることに良い品種が手に入ったら植えて来たんでね、薔薇だけでなく季節ごとに庭が寂しくならないよう、他の花も植えてますしね」
私達は広い庭を散策しながら、奧まで歩いて来ていた。
どこかで人の話し声がしている。
兼さんは時折、薔薇の剪定を兼ねながら、鋏でチョキンと枝を払っている。
 高い梢の元に小鳥の巣箱を見つけた私は、もっと近くに寄ってみようと煉瓦の小道を歩いて行くと、東屋に出てしまい、なんとそこには瑠音と亜里沙、そして何故か、真鍋省吾が長椅子に腰掛けて、にこやかに談笑していた。


 勿論、彼らが突然現われた招かれざる客を歓迎する筈もない。


「あら、驚いた!由妃さん、そんな恰好で庭の手入れでもしていたの?」
亜里沙が下げずんだように微笑む。
確かに破れたジーンズに、白いシャツ、手には籠を持って、彼らのように優雅に庭でお茶を楽しむような雰囲気では無い。
相変わらず、亜里沙は瑠音に腕を絡めて、ここに来たときは片時も離れようとしない。
明らかに見下したような二人の視線を真っ向に受け止めても、免疫が出来たのか最近ではどうって事なく感じられる。
昔から私は祖父と一緒に庭いじりを手伝ったり、釣りに出かけたり、アウトドアな人間だ。
服装だって、瑠音や亜里沙のように上から下まで、高級ブランドで揃えることなんてあり得ない。
もっとも、そんなお金など無いのだが・・・。
きっと、これが価値観の違いと言うことなのだろう。
「どこの庭師が現われたかと思ったよ、由妃」
調子こいて、瑠音も続ける。
あんた達だって、裸の王様と意地悪なシンデレラのバカ姉でしょう?と、私は彼らを見て心で呟く。
「あれ、彼女も居たんだ、一緒にお茶でもどう?」
省吾があっさり誘ってくれるも、瑠音達にも私にも、毛頭その気は無い。
「いえ、ありがとうございます。でも、今兼さんに庭を案内して貰っているんです」
そこへ、剪定鋏を持った兼さんが現われた。
「おや、その声はやはり省吾さんでしたか?お久しぶりですね」
「こんにちは、兼さんも相変わらず元気そうで」
「ええ、私はぴんぴんしてますよ、どうですか?お婆さまのお好きなポール・ボキューズが咲いてますけど持って行かれます?」
「良いんですか?」
「勿論、では少し待っててくださいな、直ぐ用意しますから」
引き返そうとした兼さんの背中に、省吾さんが声を掛けた。
「僕も庭を見に行っていいですか?」
「どうぞ、丁度、嬢ちゃまと庭を散策していた所ですから」
「よかった」
笑って省吾さんがそう言うと、瑠音も亜里沙も少し驚いたような顔をしている。
そして椅子から立ち上がると、私の方に近寄って来る。
淡い青草色のシャツを着て、相変わらず爽やかな笑顔を向けて寄越す。
私も困惑したのは否めないが、私が誘ったわけでは無いので客人を誘惑しただのと言いがかりを付けられても困る。


そんな顔で、瑠音が私を見ていた。


「籠は僕が持ってあげよう」
そう言って、省吾さんは私の籠を取ってくれた。
「ありがとう」
そうして、奇異な目を向けている二人をそこに残して、私達は兼さんの後を追った。
「良い香りの薔薇だね、」
屈託無く微笑む、省吾さんは瑠音より年上だけあって、落ち着いていて大人っぽい。
「瑠音の兄、瑠衣がいたときには良く遊びに来てたんだけどね、彼がアメリカに行ってから始めてここに来たんだ、今日は祖母の用で真紀子さんに会いに来たんだ、君に会えて良かったよ」
朝の清々しい庭で、数羽の小鳥が舞っていた、蔓薔薇で覆われたアーチを抜けながら、ゆっくりと私達は歩いていた。
時々、立ち止まっては兼さんが薔薇を摘んで籠に入れて行く。
「瑠音のことについては本当に申し訳ない、いつも注意はしているんだけどね、あの性格だろう?奴は捻くれているからね・・・」
「小さい頃からの知り合いだとか?」
「元々、祖母同士が学校の親友で、幼い頃からここには遊びに来ていたし、瑠衣は勿論、瑠音とも小学生の時から同じ学園だしね、彼奴は僕に取っても弟みたいなものなんだ」
「瑠音は、昔からあんな性格だったんですか?」
省吾さんは笑った。
「やんちゃだった事は確かだね、で、可愛い顔しているだろう?みんながチヤホヤしすぎたのかも知れないな、結構、我儘だし」
「やんちゃだなんて、言葉が良すぎますよ、最悪なんですから・・」
「そうだね・・君にしてみればそうだよね」
気の毒そうに私を見たが、彼は苦笑していた。
笑いごとでは無い・・・と、思いますけど?
「何かあれば学園全体を揺るがすような事を起こしておいて、本人はいつも知らんぷり、でも、あれで結構女子に人気あって騒がれる。不思議な奴だよね」
そうだ廊下を瑠音が歩いただけで、下級生はざわめき、ある者は物陰に隠れて携帯に写真を撮っている。
まるで、アイドルだ。
「僕も出来るだけ気を付けるようにするよ、でも、何分二年と三年じゃ階が違うんで総てには目が行き届かないんだ、だからこの前みたいな事件が起こってしまって・・・、ごめんね。」
「とんでも無いです、そう言って頂けるだけで、とても嬉しいです、」
彼の真面目そうな態度に好感が持てたし、何よりその言葉がとても心強かった。
そして、ふと立ち止まると、何か思い入れでもあるのだろうか、省吾さんは遠い目をして、池の方を見ていた。
風が通り抜ける薔薇ガーデンを走り去る、幼い頃の瑠音や省吾さん達の姿が思い起こされた。
うねる小道や生い茂るハーブの花壇の一画は、彼らの恰好の遊び場だったろう、手作りの小鳥の巣箱や、池のメダカ、四季折々の花々に囲まれた贅沢な空間がここにはあった。




 省吾さんを見送った後、二階に上がってきた私の前に、瑠音が立ちはだかった。
「省吾さんを味方に付けたようだね、」
「だから何?」
瑠音との会話が煩わしく、端的に終わらせたかった・・・。
「君には僕がいるのに・・・」
そう言って、私の持っている薔薇の束を取り上げた。
そして、私を見ながら薔薇の匂いを嗅いでいる。
「ヘリテージだ・・・」
「今、何て言った?」
「ヘリテージ」
「違う!その前!・・・だ、誰がいるって?」
「僕、」
平然と、澄ました顔でそう言う。
聞き間違ったか?私?
「なんで、あなたが”いる”のよ、”いる”のは”諸悪の根源”としてでしょう?笑わせないで、」
「でも、僕のこと好きでしょ」
「誰が?」
「由妃」
また、この前の続きか・・・。
余りにも当然のごとく言うので、アホらしくて会話を流してしまうつもりで、私はドアノブに手を掛けた。
そのドアが開かないよう、瑠音は手で押さえつける。
「いい加減にして!どいて、」
私は瑠音を睨み付けた。
「まだ、話は済んでないよ」
「私は無いから」
そう言って、再びドアを開けようとする腕を捕まれた。
「僕があるんだ、」
「ウザイ瑠音、もう私にからまないで」
「まったく、その唇から出る言葉は刺だらけだな・・・、でも僕はそんな由妃が好きだけど」
微笑みながら、私を見下ろしている。
そして、瑠音は私の腕を掴んでいた手を少し緩めて、耳元で囁いた。


「由妃、僕の彼女になる?」



当然、私は目眩がしそうになった・・・。






















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