Citron  シトロン
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15




惨めさと、悔しさの狭間で、その夜、涙が止まらなかった。
私のことを嫌いじゃなかったら、あんなキスはしないだろうと自惚れていた、私が馬鹿だった。
少しだけ、瑠音を信じ始めていた自分が情けなかった。


そして、私の心は再び閉じた・・・。



 次の朝、教室に入って行くと、案の定、昨日撮られた写真がB5サイズに印刷されて黒板の真ん中に張られていた。
池の前で二人がキスしている決定的瞬間の写真だ。
あの場に亜里沙が居たのだと思うと、ムカツいて言葉も出ない。
私を見て、みんなから忍び笑いが洩れる。
「何これ・・・、由妃・・・」
一緒に教室に入って来たサクラが、顔を顰めて写真を見ていた。
そして心配そうに私の顔を見る。
「大したこと無いから」
私は写真を剥がして、ゴミ箱に捨てた。


強がりは最大の防御だ。


嘲りを含んだ教室中の視線が痛い。
そして、席に着こうとして翠に声を掛けられた。
「由妃にもがっかりしたよ、あっさり瑠音の魅力に参りやがって」
その、翠と瑠音の横には亜里沙がいて、勝ち誇ったような笑みを私に向けながら、瑠音は自分の物だと言わんばかり、肩に手を置いて立っていた。
瑠音は黙って、私を見ていた。
「私が?瑠音が私に惚れたんじゃないの?初めてのキスじゃ無いし」
亜里沙の顔色が一瞬で変わり、瑠音を見ている。
その本人は飄々とした顔で、素知らぬ振りを決め込んでいるようだった。
周りがざわめき、翠が驚いたような顔をして瑠音を見たが、瑠音は顎に手を置いて、無表情な顔で斜めに私を見ていた。
その綺麗な手の甲には、昨日私が付けた薔薇のひっかき傷が残っている。
「確かに、始めてでは無いけど・・・」
彼は、そう静かに付け足した。
「瑠音!」
「マジかよ、」
亜里沙が非難の声を上げ、翠が目を丸くしている。
「オレ、時々、瑠音が分かんねぇ」
「私も由妃が分からない・・・」
一連の会話を聞いていたサクラも、苦笑いしている。
そうして二人が並び席で前を向くと、周りの視線は私達を避けるように四方に散った。
それから亜里沙は瑠音の頬に手をやり、耳元で何やら親密そうに話をしている。
 

昨夜、泣いた涙の片鱗を隠すのは簡単だった、瑠音をこれ以上ない位に憎んでいたからだ。
近づきそうで、近づかない私達の距離。


そして、瑠音は私の理解の範疇を超越しているって事に、気が付いたのだった・・・。








「ねえ由妃、お昼どこかで食べて行かない?」
私達は試験を終え、校門を抜けてメトロへと向かう石畳を歩いていた。
一歩後ろには拓人がいる。
「拓人もどう?」
振り返ってサクラが尋ねた。
「そうだな・・・」
「じゃ、決まり!」
サクラは嬉しそうに微笑んだ。
いつも元気いっぱいのサクラが羨ましい。
「あれ?ちょ、ちょっと待って、・・・やっぱり〜」
急にサクラは立ち止まると、バッグの中を探している。
「どうした?」
「携帯を机の中に入れたまま忘れて来ちゃった、ごめん!走って取って来るから待ってて!」
「そそっかしい奴だなぁ・・・」
「待っててよ!!!」
パタパタと靴音を響かせて、行き交う学生の合間を縫ってサクラは引き返して行った。
「いつもの事だけどね」
私達は納得したように笑った。
「天真爛漫なサクラが羨ましいな」
「君はいろいろあったからね・・・、元気出せよ」
「私は元気だよ、」
私がそう言うと、拓人は苦笑した。
塀に凭れて、空を見上げると白い雲がゆっくりと流れて行く。
この空が繋がる遠い国の、家族や仲の良い友人の事を思うと、楽しかった出来事が走馬燈の如く、脳裏に溢れ出してきて気分が沈んだ・・・。
「やっぱ、元気無いじゃん」
「そんな事ないよ、」
私は拓人を安心させるよう、微笑んだ。
「彼奴のこと好きなのか?」
唐突に聞かれて少し戸惑う。
「朝、あんな事あったからさ・・・」
「・・・わからない・・・、わからないのよ」
そう言いつつ、何故か涙がハラリと零れた。
ぎょっとしたように、拓人が私の方に向き直る。
「あ、・・・ごめん!」
私は涙を拭いて笑った。
「こっちこそ、ゴメン・・・」
「君が謝る事ないけどさ、・・・君らしくなくて・・」
「私らしいって何?強い女の子?そんな事ないよ、私だって普通の女の子なんだから・・・」
私は微笑んだ。
「ごめん、そうだな・・・」
そして、拓人の手が伸びてきて私の頭を、その胸に優しく倒してくれる。
「オレが守ってやるよ・・・、由妃は頑張ったよ」
「優しくしないで、よけい泣けてくるじゃない・・・」
私がようやく顔を上げて、拓人に微笑み掛けた時、目の前を瑠音の車が通り過ぎて行った。
一瞬だが、瑠音と目が合った気がした。
そこへサクラが戻って来た。
私の泣いた顔を見て驚いている。
「拓人!あんた由妃に何かしたの?」
凄い剣幕だ。
「違う違う、拓人はね私を慰めてくれてたの、優しくされて泣けてきちゃったのよ」
「ほんと?」
「ったく、信用ねえなぁ・・・、由妃は頑張ってるよって、エールを送ってあげたのさ」
私は涙を拭いて微笑んだ。
「サクラは良い幼なじみを持ってて羨ましいわ」
「うんうん、時々貸してあげるから、泣きやんでね」
「えらそーに言うな、」
拓人がポコッとサクラの頭を軽く小突いた。
「痛い!もう!じゃ、由妃を泣かせた罰と言うことで、食事は拓人のおごりっ!」
サクラは私の顔を覗きながら微笑んでいた。
「なんだよ〜」
「由妃、何食べたい?パスタ?それとも中華?」
「おごりなら何でもいいよ!泣いたらお腹空いちゃった、早く食べに行こう!」
「おまえらな、」
私とサクラは、文句を言おうとした拓人を無視して、笑いながらメトロへと向かった。








 散々、食べて、喋って、帰って来たら午後の三時になっていた。
裏門は少しメトロの駅から少し遠い位置にあったので、とぼとぼ歩かなくてはならず歩く度に少し痛みが走った。
いつものように勝手口から入って、弥子さんにレモネードを注いでもらい、部屋に上がろうとしたところで、書斎から出て来た真紀子さんに呼び止められた。
「遅かったのね、少しあなたと話がしたいのだけど、いいかしら?」
「はい」
私はグラスを持ったまま、書斎へと入って行った。
開け放たれた窓から、東屋が見えた。
そろそろ蕾をつけた薔薇が、風にゆらゆら揺れている、穏やかな午後だ。
真紀子さんはテーブルを挟んだ、前のソファ席に腰掛けるよう私に勧めた。
「足は大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
私は嘘をついた。
本当は一刻も早く部屋に帰って、湿布を貼りたいくらいだった。
心配を掛けたく無かったのだ。
「噂はいろいろ聞いていいるのよ、あなたが学園で”イジメ”を受けているとか・・・」
真紀子さんは私を真っ直ぐ見ていた。
「プールの件も、体育館の件も、総て瑠音が悪いのは知ってるんだけど、結局はいつもあの子は絡んでいながら、証拠も無いし、直接指示したわけでも無いでしょう?罰しようが無いの・・・分かってくれる?」
「ええ」
そんな事だろう・・・。
別に何も期待はしていない、第一、理事長の孫だから・・・。
「私も少し甘やかし過ぎたと反省しているの、”いい加減にしなさい”って、さっきまで叱っていたのよ・・・、分かった?瑠音、」
え?
その時、窓際に設置してある真紀子さんのデスクの向こうで、リクライニングの椅子がくるりと回転して、ゆったりと腰掛けている瑠音が現われた。
そこに居たのか・・・、驚いた。
肘掛けに頬杖を付いて、射貫くような鋭い目で私を見ている。
「はい・・・」
「いつも、返事だけは良いんだから・・・」
真紀子さんは可愛い孫に苦笑した。
どんな小言を言ったのか知れないが、その効果には何の期待もしてはいない。
「イジメなんて言語道断よ、由妃さんだって遠縁とは言え親類なのよ、亜里沙と同じくらい仲良くして欲しいものだわ、」
それは無理だろう・・・と、私は心で呟いた。
「それと、由妃さん、朝食はまだしも、どうして夕食まで別に取ってるの?」
「それは・・・、瑠音と食べるのが嫌だからです」
一瞬、真紀子さんは驚いた顔をしたが、次に笑い始めた。
「あなたってば、本当に丈二さんにそっくりだこと、嫌なものは嫌ってはっきりものを言える所は良いところだけど・・・、困ったわ、そんなに瑠音の事嫌いだったの?」
「ええ」
私は、この際、隠してもしょうがないのではっきり告げた。
「しょうがないわね、確かにあなたへの瑠音の仕打は目に余るものがあったのは事実ですものね、では、暫くは、厨房での食事を許しましょう。でも、時期が来たらちゃんと一緒の食卓に座るんですよ、」
「はい、」
そんな事は無いだろうと思った。
気詰まりな食卓より、厨房で弥子さんや兼さんと色々なお喋りを楽しみながら取る食事の方がずっと良い。
その方が楽しいし、心が安まる。




 部屋に戻って足に湿布を貼ろうとしたら、使い果たして切れていた。
悪態を付きながら静子さんに何か持って来て貰おうかと悩んでいたら、ふらりと戸口に瑠音が現われた。
手には湿布とスプレーを持っている。
「どっちがいい?」
しかも、微笑んでいる・・・。
戸惑うなぁ・・・。
「いらない」
「嘘だね、さっき階段を上がる時、びっこを引いていたじゃないか、」
見ていたのか・・。
瑠音はソファに腰掛け、側に来るよう催促をした。
「いいから、そこに置いといて」
「由妃、」
どうも私の足に湿布を貼るなり、スプレーするなりしない限り部屋から出て行ってくれそうに無かった。
渋々、ソファへ行き隣に座る。


時々、瑠音が理解できない。


いや、全然、理解できない。
でも今の私は、その術も、そうするつもりも無かった。


俯いて湿布の袋を開けている端正な顔を、長い前髪が隠していて、彼が何を考えているのか表情さえ伺えない。
昨日からのあんな酷い仕打ちをしといて、今は足の心配をしてくれているわけ?
真紀子さんに叱られたから?
形の良い唇も、今はその意図を語らない。
そして、ふと顔を上げて私を見たので、何故か私はドキッとした。
「ほら、足出して」
私は素直に従った。
瑠音の手で、湿布がぺたりと足に貼られる。
「今日は大人しいね」
「あなたこそ、今日はどうしてそんなに親切なの?」
「だって、早く良くなって貰わないとイジメがい、無いじゃないか」
そう言う理由か!
「前に言ったじゃないか、”君を追い出すまではやめない”って」
何も今そんな事言わなくても・・・。
「あなた、本気で私のこと嫌いなのね」
「由妃は僕の言った事、ちっとも聞いてないね、僕は由妃が好きだって言ってるじゃないか、でも由妃はいつも僕の忠告を無視するから、自分で自分を窮地に追い込んでいるんだ」
い・・・、意味わかんない!
「瑠音、世間ではそれを”嫌い”と言うんじゃないの?あなた日本語の使い方可笑しいわ、」
「僕の日本語は間違ってないよ、君の解釈の方が間違っているのさ」
どうにも、頭が混乱する。
「嫌いじゃなかったら、どうして昨日みたいな事できるの?」
「キスのこと?」
全く、悪びれずに言う。
「違う、亜里沙と共謀して写真撮るなんて・・・あなたって最低」
「君が僕に盾突くからに決まっているじゃないか、まんまと引っ掛かってくれたね。僕の前に跪けば、すぐにゲーム・オーバーにしてあげるのに」
そう言って笑ってる・・・、ムカツク!
「寂しかっただけよ・・・、あなたはイーサンの代わりに過ぎなかったわ」
思いつきにしては、良い口実だ。
その結果、瑠音の顔から笑みが消えて、私はほくそ笑んだが、少し危険なゲームを仕掛けている事に気が付いた。
まさか自分が普段犯している罪の、被害者になるとは思いも寄らぬ事だろうし、まして彼のプライドが許しはしないだろう。
「僕が身代わりだって?あり得ないね、」
しかし、流音は微笑さえ浮かべて、自信たっぷりに言った。
「自信過剰なんじゃない?」
「本気でそんなこと言ってるの?」
こっちが聞きたい!
その自信たっぷりの根拠は?
もしかして、私がつい彼のキスに答えてしまったから・・・?
あれは、誰にでもある過ちだ!私は頭の中で、そう繰り返していた。
彼との不毛な会話を打ち切るために、ソファから立ち上がろうとして腕を捕まれる。
「なに?」
「君は気付いて無いんだね、」
「何を?」
「僕を、好きだってことに」


彼はそう言って、鷹揚に笑う。


どうか捕まれている腕の、脈の速さに瑠音が気付きませんように・・・、私は心でそう呟いていた・・・。 














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