Citron  シトロン
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「誰?誰がこんなことしていいって言った?」
静かな口調が、余計に瑠音の怒りを顕わにし、その権力でもって回りの者を完璧に威圧していた。


シーンと黙りこくって、誰も喋らない。


コウもシンも、瑠音から完全に目を逸らしている。
意外な事に、本当に瑠音は怒っているように見えた。
暫くして、亜里沙が瑠音の前に歩み出た。
「私よ、由妃が私の頭にボールをぶつけてきたから」
悪びれず、それは当然の報いだと言わんばかり、自信たっぷりに言った。
「違うでしょ、元々はあなたが私にぶつけたくせに、由妃は庇ってくれただけだわ」
サクラは涙を零しながら訴えた。
瑠音は私に近寄ると、縛ってあった紐を解き、両手で頬を包み込むと、私の顔を上に向けて覗き込んだ。
「血が出ている」
親指で口元の血を、優しく拭ってくれる。
時が止まったような静寂の中、瑠音と目が合う。
何を考えているのだろう・・・。
どう言うこと?
「瑠音、聞いてるの?由妃が悪いのよ、」
瑠音は亜里沙の声を聞いているのかいないのか、しばらく私の顔を見ていたが、いきなり手首を掴んで言った。
「保健室に行こう」
「放して、何の気まぐれよ瑠音、」
私は瑠音の手を振り払おうと藻掻いたが、彼は決してその手を離さなかった。
怒ったような顔をして私を見ている。
「付き合いきれないわ、放っておいてよ、」
しかし、彼の意志は強く有無を言わさぬよう強引に引っ張られて、体育館の外まであっと言う間に連れ出されしまった。
「ちょっと、待って、」
私の悲鳴にも似た声に、始めて瑠音は戸惑ったように歩みを止めた。
「どうした?」
「足が痛いの、引っ張らないで・・・」
その時、やっと瑠音が私の手を離した。
「どこ?」
「足首・・・、お願い要さんを呼んで」
「どうして要さんを?」
「いいから・・・」
彼は不振気に私を見た。
要さんの名が出たのが気に入らないのか、瑠音は私の訴えを聞き入れそうに無かった。
その場に突っ立ったまま、私を見ている。
「もう、いいからあっちに行って」
私は激痛をこらえて必死に歩こうとしたが、苦痛に顔が歪む。
治っていたと思っていた足の傷と、それに伴う過去の記憶が、痛みと共に一気に脳裏に溢れ出し、いたたまれなかった・・・。
その時、足を掬われたかと思うと、一気に瑠音に抱え上げられた。
ええ?


「何のつもりよ、」
「黙って」
抗議の声も、怒ったような瑠音に遮られる。
どうやら理事長室に向かっているらしい。
一階の廊下を歩いて行くと、開け放された教室の中からみんながギョッとしたように、私達を驚いて見ている。
彼らにとって崇高な王子様が、自ら”ターゲット”を抱いているのだから・・・。
真っ直ぐ前を向いて歩く瑠音の、計り知れない無表情な横顔・・・。


そして、気まぐれな優しさ・・・。


悲しい過去のキオク・・・。


何だか泣きたいくらい、心が折れてしまった。




丁度、理事長室には真紀子さんと要さんが、職員会議から戻ったばかりらしく書類を机に置いて、くつろごうとしていた所らしかった。
私が担ぎ込まれたので、ふたりは驚いて慌てた。
「どうしたの?」
真紀子さんが心配そうに尋ねた。
瑠音が喋ろうとした所を、私が遮った。
「バスケの試合中に転んだんです、」
瑠音を庇うとかでは無く、みんなに心配を掛けたく無かったのだ。
でも、真紀子さんと要さんが顔を見合わせた所を見ると、薄々は何か感じているのだろう・・・。
でも、さっきの出来事を一々説明する気力も体力も、今の私には失せていた。
「痛む?」
「ええ、この前手術した方の足が・・・」
「大変、早速病院へ行かなきゃ、要さん用意して。瑠音はいいわ、教室に戻りなさい」
私はどうしてだか、瑠音の顔を見る事が出来なくて、その刺すような視線を避けるように、俯いていたのだった・・・。






 次の日は、朝から雨が降り続いていた。
診察ではどこも悪い所は見受けられなかったが、打撲のせいで痛みがぶり返したのかも知れないと医者は言って、三日間の診断書を出してくれた。
しかも、今日みたいに雨がしとしと降る日は、足も心も痛みが増す。


繋がらない電話・・・、届かないメール・・・。
もう、吹っ切れていた筈なのに・・・。


こんな静かな朝、異国のような日本で私は何をしているのだろうかと自問自答すると、ここに居る意味さえ見失っていて、何だか悲しくなってきた。
窓を伝う滴を、飽きる事無く見ていた。





「由妃、撃沈!」
後ろで声がしたかと思うと、ベッドの上に乗り上げてきた瑠音は、寝ている私の後ろから携帯を掲げてふたりのツーショットを撮った。
バカじゃないの?
「あ、由妃ブサイクに写ってる」
隣に寝ころんで、携帯の写真を見ながらクスクス笑ってる。
朝からハイ過ぎて、煩わしい。
従って、無視・・・。
「誰に送ろう、翠にしようかな・・・”由妃ここに眠る”って」
なんで、朝からこんなにテンション高いの?
鬱陶しい・・・。
「ちょっとー、いい加減にしてよ、煩いでしょ。早く学校に行ったら?」
「今日、休んだかも」
え?
振り向いて、後ろに寝ころんでいる瑠音を見た。
かも?じゃ無いだろう?
本当に、思いっきりロンT姿で休日モードだ。
昨日とは打って変わって、天使のように爽やかに微笑んでいる。
その理由を聞くのは止めよう・・・。
私は、今日もこうやってまとわり付かれるのかと思うと、うんざりしながら彼に背を向けた。
何考えてるんだ?
コイツは・・・。
「ねえ、何する?」
瑠音が尋ねる。
私は無視する。
「ゲームでもしようよ、」
無視する。
「それとも、イケナイことでもする?」
そう言いながら、近寄ってくる気配に私は激怒した。
「イケナイことって、何よ瑠音!うるさいから向こうへ行って、」
「リラックスすれば?怒ると身体に悪いよ」
おまえが、しすぎだ!
「お願いだから、学校へ行ってよ」
私は懇願した。
「僕の由妃がこんな目に遭ったのに、のこのこ学校になんて行ってられないだろう?」
「”僕の亜里沙”はどうしたのよ、あなたが私を助けたものだから機嫌損ねたんじゃないの?」
「大丈夫、昨夜、ひと晩中かけて謝っといたから」
そう言えば、私は痛みで眠れる夜を過ごしていたので、夜中の三時半頃、外でタクシーの止まる音がしたかと思うと、暫くして瑠音の部屋のドアが閉ったのを聞いた。
「瑠音様はあっちもこっちも、ご機嫌とらなくていけないから忙しいのね、」
「別に、君のご機嫌とってるつもりは無いんだけどな」
さらりと、そう言う。
あ、そう・・・。
「じゃ、何これは嫌がらせ?」
瑠音様は、悪戯な目をしてクスクスと笑ってる。
「もう、ほんとうに、出てってよ」
私は手で瑠音を追い出そうとするも、彼はびくとも動かない。
「足、痛いんでしょ、じっとしたら?」
「誰のせいだと思ってんのよ、あなたの顔なんて一番見たくないの知ってるでしょう?」
「だって、僕が由妃の顔見たかったんだから、しょうが無いだろう?」
意味不明!
やたらリラックスモード全開で、横たわったまま頭に手を充て、微笑みながら私を見下ろしている。
「私がどんなに傷つき、落ち込んでるか見たかったわけ?」
「どうして、そんな事言うの?僕は本当に由妃の顔が見たかっただけなのに」
あり得ない!あり得ない!
「まあ、いいわ・・・、それはいいとして、じゃあ聞くけど、昨日はどうして私を助けてくれたの?」
「外傷はマズイでしょ、お婆さまの手前・・・」
やっぱりね・・・、そんな事だろうと思った。
「って、ウソだよ。僕の由妃を傷つけるなんて許せなかったんだ」
「何が”僕の由妃”よ、それに今まで散々傷つけといて、今更何よ」
「でも本当だよ、昨日は許せなかったんだ・・・」
一日限定の優しさで、今までの悪行が消えるとでも?
「で、明日は又、GOサイン出すんでしょ、やってらんない・・・、天国と地獄は瑠音様のご機嫌次第なのね・・・」
「違うよ、君が僕に逆らうか逆らわないかで決まるのさ」
と言って、瑠音は笑った。
「逆らうに決まっているでしょう?あなたは極悪非道過ぎるもの、」
私は睨んで言った。
「じゃ、僕と一緒に地獄に堕ちる?」
「何故にあなたと?勝手にどうぞ、」
「由妃がいてくれれば、何も怖い物など無いのさ」
うーん、外国育ちの私が言うのも変だが、瑠音は時々、日本語がおかしい。
「僕と由妃、最強だと思わないかい?」
「何が?」
意味わかんない。




その時、ふと瑠音の手が伸びて来て、私の口元の傷を優しく撫でた。
さっきまでの、呑気な猫のようにくつろいでいた表情は一変していて、眉間を寄せて私を見下ろしている瞳は、深い海の海淵のように暗く陰っている。
その手を払おうとしたら、反対に捕まれた。
「そろそろ、僕の前に跪いた方がいいんじゃない?」
「誰がよ、絶対無いから」
私は毅然とそう言った。
瑠音も又、答えを予測していたのか表情を変えない。
「本当に、バカなヤツ・・・」



そして、ゆっくりと瑠音の唇が降りて来た・・・。










                     




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