Citron  シトロン
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 タクシーを降りると、目の前にはどこかで見たような長い鉄の柵に囲まれた、鬱蒼と茂る木立の奧で瀟洒な洋館が見え隠れしていた。
私がインターフォンを鳴らして自分の名を告げると、柵があっさりと開いた。
エントランスまで続く石畳を、トランクを引き摺りながら歩くのは少し億劫であったが、手入れされた庭を眺めながら、しばらくここに住むのかと思うと、妙に感慨深げで少しばかり不安も募った。
 空を見上げると、抜けるような紺碧に入道雲が沸き立っていて、変化する綿毛のような純白の雲に見とれていた私は、玄関からひとりの女の子が掛けだして来た事に、気付くのが遅れてぶつかってしまった。
ガチャっと、音を立ててその娘《こ》の荷物、学生鞄の中身が溢れて辺りに散乱した。
「うっかりしてて、ごめんなさい……」
荷物を拾いあげながら、私はその娘の顔を覗き込んでハッとした。
泣き腫らした顔には止め処なく涙が溢れていたし、制服の前のボタンは外れて下着が丸見えだった。
何事?
言葉を失った私が、呆然としていると、彼女は私の手から荷物を引ったくる様に取り返すと、その場を慌てて走り去って行った。
気を取り直すようにトランクを掴んだ私は、開いていた玄関のドアから家の中を伺った。
するとどうだろう?
今度は階段の途中で、若い男女が抱き合ってキスをしていた。
何だ?この家は?
改めて、彼らに聞こえるようにドアをノックした。
すると、ふたりは漸く私に気が付いて顔を上げてこちらを見た。
さっきの女の子と同じ制服を着ている。
でも男の子は上半身裸でシャツを手にしていた。
栗色の長くウェーブした髪を掻き上げて微笑む女の子の容姿は、かなりの美貌の持ち主だったし、男の子に至ってはシャツを脱いでいなかったら、女の子とまがう程の美少年だった。
私が口を開き掛けた所に、奧の書斎らしい部屋からスーツ姿の男の人が現われた。
「運転手を空港まで迎えにやったんですよ、どうやら行き違いになったようですね」
彼は微笑んで迎えてくれた。
「ごめんなさい、もっと速く連絡すれば良かったんですけど、予定より一時間早く着いたんです、」
「由妃《ゆひ》様、元気そうですね、」
「ええ、要<かなめ>さんも」
私達が親しそうに話す様子を、階段の男女は驚いたように見ていた。
「書斎で社長がお待ちです、いらして下さい。瑠音《るね》様も亜里沙《ありさ》様もご一緒にとの事です」
彼は顔を上げると、階段で戯けているふたりを見るなり顔を顰めたが、何も言わなかった。
流石に男の子はシャツを羽織って、ボタンを閉じている。
その時、彼と目が合ったがその笑顔とは裏腹に、瞳は冷たく凍てついてるかのように思えた。




 私達が書斎に入って行くと一条真紀子は、パソコンから目を上げてこちらを向いた。
六十を過ぎたばかりには、到底見えないキャリアウーマンだ。
「よく来てくれたわ、疲れたでしょう?」
その笑顔に勇気付けられる。
「大丈夫ですよ、飛行機ではずっと寝てましたから」
私は笑って彼女とハグをした。
「瑠音、亜里沙、紹介するわ。前にも言ったけど、私の従兄弟である森下丈二さんのお孫さんの、由妃さんよ、しばらくここで一緒に暮らすから仲良くしてあげてね、」
「よろしく」
瑠音は人懐っこく、泣く子も黙るようなとびきりの笑顔を寄越した。
「瑠音も、こちらの亜里沙も私の孫だけど、瑠音の両親はアメリカに出張中でここには居ないし、亜里沙は次男夫婦とこの近くに住んでいるの、確かみんな同級生になるのよね?」
真紀子は秘書である、新藤要に同意を求めた。
「ええ瑠音様と同じクラスにしておきましたので、分らないことがあったら尋ねて下さい、ちなみに亜里沙様は隣のクラスになります。知ってますよね?真紀子様が白鳥学園の理事長なさってるのは?」
「ええ、もちろんです、よろしくお願いします」
「早速、明日から登校予定だけど大丈夫?随分、手続きが伸びたのね?」
「ええ、すみません。急に日本行きが決まったものだから、向こうの学校の書類手続きが間に合わなかったんです」
「登校は二、三日、伸ばしてゆっくりしてもいいのよ?」
「大丈夫です。早くこちらの生活にも慣れたいですし、」
「そう?じゃ、明日から頑張ってね。」
真紀子さんは穏やかに微笑んだ。
「よろしくね、由妃さん」
亜里沙がそう言って、手を差し出して来る。
「こちらこそ」
瑠音と同じく笑顔を向けてきたが、この厄介者にどう対処すべきか戸惑っているような、不可解な視線を送ってきた。




 死んだように眠りこけていたので、ふと、誰かの気配に気が付いて目を開けたら、目の前に瑠音の端整な顔があり、驚いた私は悲鳴をあげて起き上がった。
「ぎゃーーーっ」
「おはよう由妃、」
彼は枕に半分顔を埋めながら、笑っている。
しかも制服をちゃんと着たまま、よく見ると靴まで履いている。
「由妃、胸がはだけているよ」
面白がって私の胸の辺りを指さした。
キャミがはだけて、胸があらわになる寸前だ。
「何やってんのよ、ひとのベッドで!」
私は枕を掴むと、まだ鷹揚に寝ころんでいる瑠音を目掛けて何度も振りかざした。
「そろそろ食事時間だからって、お婆さまが呼んで来てって言うから、呼びに来て上げたのに」
そう言いながら、まだ笑っているので、容赦無く叩き付けている所に、真紀子さんや要さんが慌てて現われた。
「どうしたの?」
戸口に現われたふたりは、ベッドの上にいる下着姿の娘と、清々しい出で立ちの瑠音が枕で殴られている構図を見て、口をあんぐりと開けて呆れていた。
「瑠音、ベッドから降りなさい、」
真紀子さんが瑠音を窘めた。
「何もしていないよ、折角親切に起こしに来てあげたのに、そんなに嫌なら鍵でも掛けとけば?」
そうするよ!
悪びれていない瑠音は、ベッドから降りるとケラケラと笑いながら部屋を後にした。
「すみません、目が覚めたら瑠音が横で寝てたんで、驚いて……」
私はしどろもどろに言訳をした。
「分ってるわ、あのこはいつもこうなのよ、人を驚かせてばかり……、だからあなたもその・・もう少し肌を見せないような服を着た方がいいと思うのよ、」
そこでハタと気が付いた私は、自分の恰好を見下ろしてシーツを引き寄せた。
「す、すみません!」
要さんは気を利かせて背中を向けていてくれたが、背中が震えているので笑っているらしかった。
やれやれ、とんだ一日が始まろうとしていた。



 どうやら瑠音は注目人物らしかった。
確かに祖母が学園の理事長で、その孫となると別格扱いなのはわかるが、瑠音と一緒に車から降りた瞬間に周りの学生のざわめきが聞こえてきた。
 理事長室で校長と担任に紹介された私は、それから教室へと続く廊下を歩いていた。
「日本語は大丈夫だって聞いてるけど、」
三十過ぎの女性教師が微笑んで尋ねた。
「ええ、日本語教室に通っていましたから」
「良かったわ、でないと授業に付いてゆくのは大変だものね、」
教室のドアを開けると、みんなの好奇な視線が私に一斉に注がれた。
「アメリカから来られた森下由妃さんよ、仲良くしてあげてね。席は瑠音君の横で良いわよね、何かあれば彼か学級委員長の、栗原歩美さんに尋ねると良いわ、」
瑠音が席で手を振ったので、私は舌打ちをして歩いて行く。
「なんで、何もかもあんたと一緒なのよ、」
「あのさ、君ぐらいだよ、僕の横に来られて怒っているのは」
再び舌打ちすると瑠音を睨んで言った。
「あんた、何さま?」
瑠音は前を向いて、軽快に笑った。
「あの・・・、学級委員の栗原です・・・」
右隣の席から、女の子が声を掛けて来た。
「あれ・・・あなた確か・・・」
「何か分らないことがあれば聞いて下さいね、校舎の案内は休み時間にしてあげます」
彼女は私と目も合わさず、言うだけ言って前を向いた。
そうだろう・・・気まずいに違いない。
昨日、玄関先でぶつかった彼女だ。
今はどう見ても優等生にしか見えないが、洋服を乱した昨日の彼女のあられもない姿が焼き付いて離れなかった。
「……だろ、」
「え?いま何て言った?」
彼女に気を取られていた私は、瑠音が何か言ったのを聞き逃した。
「胸の大きさ、Bカップだろ」
教科書で流音の頭を殴ろうとしたら、ひょいっと躱された。意外と運動神経良さそうだ。
学友が、目を丸くして私達を見ている。
「瑠音、紹介しろよ。彼女、君ん家に住んでるんだって?」
前から髪の毛が少しウェーブした男の子が声を掛けてきた。
その出で立ちから、瑠音グループの一員だって事は見るからに明らかだ、穏やかな話しぶりとは対照的に、彼らに共通の目が笑っていない。
「流石、翠《すい》は情報速いな」
「やぁ、オレ流音の幼なじみで千石翠《せんごくすい》、よろしくね」
差し出して来た手を握ると、翠は握り返して来た。
そんな、私達の様子を見ていた栗原歩美と目が合ったが、瞬間、彼女はそっぽを向いた。


昨夜、たっぷり眠った筈なのに、時差ぼけの影響か、午前中の授業が終わっても私は爆睡していたらしく、クラスメイトに揺り起こされて気が付いた。
「ご飯食べないと、休憩時間終わっちゃうよ」
周りを見回すと教室には誰も居なかった。
目の前には、ショートカットの彼女が見下ろしていた。
「みんなは?」
「カフェテリアよ、ここの学生は全員そこで昼食を取るの、瑠音君に聞いていなかった?」
「あれ?あいつは?」
「先に行ったわよ」
「あいつ〜、」
今度は無視かよ!
「聞いていいかな?彼とはどういう関係?」
私達は、長い廊下を歩いていた。
「理事長の真紀子さんと家の祖父が遠い親戚にあたるのね、その縁でしばらくこちらで厄介になる事になったの、瑠音って最悪ね?」
「うん・・・まあ、ある意味ね」
急に歯切れが悪くなる。
「あ、私、遠藤サクラよろしくね」
「こちらこそ」
全員がここで食事を取ると言うくらいだから、カフェテリアは広大だった。
何処に誰がいるかなんてさっぱり分らない。
取りあえず適当に食べるものを見繕ってトレイに盛ると、私とサクラは窓際に席を確保した。
そこへ亜里沙が取り巻きらしい女の子を、ふたり従えて現われた。
「どうしてそんな所で食べてるの?私達のテーブルに来ない?」
見ると翠が手を振って、瑠音は薄笑いしながらジュースを飲んでいた。
誰が行くか。
「ありがとう。でもここで良いわ、」
「そう?ガリ勉のサクラと一緒だと男の子も寄りつかないわよ」
サクラは頬を染めながら、でも意外にも亜里沙を睨んでいた。
「あら、怖い。行きましょ、」
エレガントに亜里沙は身を翻して、彼らの元へ戻って行った。
無口になったサクラは黙々と食事を取っていた。
「ごめんね、」
「なぜ、あなたが謝るの?」
「何となく・・・」
「いつもああなの、彼女たちに認められない者以外は虫けら同然なの、確かにみんなお金持ちでご両親は地元でも有志ぞろいだし、家柄も良いし、当然よね・・・あなたもあちらの仲間でしょう?」
「瑠音と?止めてよ。私の実家は別に裕福でもないし、祖父は飲んだくれてるし、単に一条家に厄介になっている居候の身分なんだから、」
私は笑った。
サクラはその言葉に安心したのか、真剣に私を見ていた。
「彼らは最低よ、女の子を玩具にして遊んでいる」
「どういう意味?」
「ひとりのターゲットを決めて、女の子をその気にさせて服を脱がせる事ができたらゲームオーバー、最悪、最後までいってサヨナラ。どっちにしろゲームなの、でもそれにみんな結構引っ掛かっちゃうのよね、彼ら口も上手いし容姿も端麗でしょう?甘い言葉囁かれたらみんないちころよ、」
それが昨日の顛末だ。
瑠音、最悪!
何て奴だ。
「で、マズイのは携帯に写真撮られて、強請のネタにされるわけ、だから、彼らには誰も逆らえ無くなってしまうの、私、将来記者志望だから、いつかきっと彼奴らの素行をばらしてやるわ、」
栗原歩美の泣き顔がちらついた。
ショックで立直れないだろうに、今日は気丈にも登校している事に、驚くと同時に感心する。
しかも、瑠音と同じクラスだと言うのに……。
瑠音はいつもと変わらず呑気に笑顔を振りまいている。
何考えているんだ奴は?
「気に障った?」
サクラが心配して、私の顔色をうかがっている。
「違う違う、私、この前屋敷でその生け贄の娘とすれ違ったのよね・・・泣いていた」
「もしかして……」
サクラの視線が游いで、学級委員を探していた。
「最近、翠と流音がやけに彼女に近づくと思っていたのよ、きっとどっちが落とせるか賭けたんだわ、」
「そして瑠音が落とした……」
気の毒そうな目をして、サクラが私を見ていた。
「何て残酷なゲームなの」
「だから言ったでしょ、あの人達にとって、私たちは虫けらのようなものだって」
「それにしたって……」
「瑠音は何て言うか……、特別な存在なの、その容姿も出で立ちも、ずば抜けているでしょう?誰も逆らえないわ……」
ふと、テーブルの先に目をやると、丁度、瑠音と目が合った。
何を考えているのか、不敵な笑みを零して眉を吊り上げた。






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