A blue cloud
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空に浮かぶ月
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9



私は岩陰で吐いた。


意外にも、背中を雨衣が撫でてくれる・・・。
現場に急行した警察官によって辺りにはこの前と同じく黄色のテープが張られ、手際よく現場が確保されて行く、そして前回も見かけた鑑識の若い男女が現われ、雨衣に挨拶をしてから、その横で写真を撮ったり遺体の様子を観察し始める。
「寝てるかと思えば、またどうしてよりによって、こんな寂しい所に来たんだ」
呆れたように尋ねる。
「散歩しようと思っただけよ・・・、私のお陰で遺体を早く発見できて喜んで貰いたいくらいだわ・・・・」
雨衣は眉尻をつり上げたが、口を拭く為に何枚かコットンをくれて、それ以上は何も言わなかった。
それからは、彼の仕事をずっと見ていた。
慣れた手つきで遺体の外傷を調べているが、既に土屋警部が現われるまでに所持品も調べ終わっていた雨衣は、彼に端的に説明をした。
「抵抗した様子が無いのを見ると、顔見知りの犯行で、死亡推定時刻は昨夜の午前二時前後、死因はナイフで胸部を五カ所刺されての失血死だと思われます、そして、被害者の所持していたバッグには財布が残っており、その中には手付かずだろうと思われる現金と免許証がありまして、名前は近藤利香、先日亡くなった田中まりと同じ大学の学生証がありました。ちなみに同学年ですね、」
この短時間によくそこまで観察できたなと私は感心したが、土屋警部は当たり前のような顔をして、頷きながら雨衣の検分に耳を傾けていた。
「この花束は何か意味があると思うかね?」
遺体の横に大きな花束が落ちているのを指摘して、土屋警部が尋ねた。
この豪華な花束、なんだか見たことがある、どこでだったっけ・・・?
「あ、そうだ、彼女は昨日マーメイドコンテストの優勝者よ、どこかで見たと思った」
「あなたもあの会場に?」
「刑事さん、私を疑っているんですか?」
「うーん流石にねぇ、あなたの行くところで殺人事件が起こるからね」
と言って、苦笑いしながら考え込んでいる。
私が犯人なんて失礼しちゃう。
「警部、昨夜彼女は飲んだくれていましたから、殺人なんて無理だと思いますよ、二時前後は既に泥酔状態でしたから、本人もきっと記憶が無いはずですよ、」
「何故、君が?」
警部は雨衣に尋ねた。
「彼女の祖母である、宗谷花さんから”月が帰って来ないんだけど心配で”と電話があったんです。近くの店を探してみたら彼女が同級生三人と飲んでいる所を見つけまして、僕が連れ帰ったと言うわけです。容疑者である彼女の叔父も行方不明ですし、いろんな意味で余り出歩くと危ないかと思いまして」
「そうだな・・・」
「すみません、久しぶりの同窓会で、友人達と二時過ぎまで飲んでたらしくて・・・、彼の言う通り、全く記憶が無いんですけど・・・」
警部は確認を取るように雨衣を見た。
彼は頷く。
「心配で、朝様子を見に行ったら、昨夜の服を着たまま出て来ましたからね、」
絶対に朝の様子を思い出している、顔がにやけて口が歪むのを手で隠しながら話している。
「そこまで言わなくていいでしょ?」
私は怒って言った。
「そこまで言った方が良いの、ほら警部の手帳から君の名が削除されたよ」
警部は咳払いをして、それ以上言わなく良いという様に雨衣に目配せをした。
雨衣は何処吹く風で、野次馬の声がざわめく頭上を見上げ、私の脳裏には祖母の心配そうな顔が掠めた。
「もう、帰っていいよ、酷い顔してる」
雨衣が気の毒そうに、その日初めて同情らしい同情をしてくれた。
ほんとうに気分は最悪・・・。
「私これから一眠りするけど、起こしに来ないでね、もう、喋ることはないわ」
「ぷーさんはお気楽でいいね、」
反論しようと、口を開きかけたが、気力も失せるほどに疲れていて、睨むだけにして私はその場を去った。







誰かが泣いていた。


時折、鼻をすすりながらシクシクと・・・誰が泣いているのだろう。


夢かと思いつつ目を開けると、見慣れた天井でカモメのモビールが微かに揺れていて、やはりここは私の部屋・・・、眠りの淵から戻ってきた私は、ベッドの左、声のする方へ向き直った。


ぎょ!


「なんであんたがここにいるのよ、陽菜!」
陽菜は床の間にそのまましゃがみ込むと、子供のように膝を抱えて泣いていた。
気位の高い陽菜が、私の前で泣くのを初めて見た。
「どうしたの?」
私はティッシュペーパーの箱を、陽菜の前に置きながら繰り返した。
「何かあったの?」
「月ちゃん、私怖い!今度殺されるのはきっと私だと思う、」
そう言ってまた泣きじゃくった。
「どうしてあんたなのよ、笑わせないで」
事実、この時私は悪い冗談だと思って笑っていた。
「最初、まりこの時はそんなに思わなかったけど、利香までとなると・・・次は私だわ」
「なぜよ、何か理由があるの?」
震える手で涙を拭っている様子は、尋常じゃない嫌な予感をさせる。
「言いなさい、泣いてても埒があかないでしょ」
「近藤啓太君て知らないよね・・・、彼はひとつ上の先輩なんだけど、まりこは高校生の時から彼にぞっこんで、付き合っていたんだけど、ある日他に好きな人が出来たからって、いきなり別れを切り出されたの、相手を突き止めたらその子がクラスの中でも、冴えない原ゆなだったものだから、まりこは逆上しちゃって、ある日体育館の倉庫に原ゆなを閉じこめて帰っちゃったの、私と利香はまりこに逆らうのが怖かったものだから・・・、そのまま一晩くらい大丈夫だと思って黙ってたの、そしたら・・・」
陽菜はそこで嗚咽を漏らしながら、又泣き出した。
「泣いてちゃわかんないわ、しっかりして」
「・・・そしたら、まだ腹の虫が治まらなかったまりこは、知り合いの男友達に頼んで、夜の体育館に忍び込ませて、ゆなを・・ゆなを、レイプさせたの・・・・」
一気にそう言うと、陽菜は顔を真っ赤にして泣きじゃくった。
何てことだろう・・・。
何て残酷な娘達・・・。
その復讐を、今やっているってこと?
「誰かが・・・、いえ、ゆなちゃんが・・・復讐をしてると言うの?」
「ゆなは半年前に、死んだわ。自宅の階段から落ちてね、」
何てこと・・・、かわいそうにも程がある。
「じゃ、誰が?身内かしら、そうよね・・・」
「月ちゃんは原ゆなって、原浩二の妹だと知ってた?朝ここに配達に来てるそうね?さっき雨衣さんに聞いたけど、姉さん達仲良いんだって?」
「妹?そうなの?・・・私達は同級生だから普通にね・・・それより、その話、刑事さん達にしたの?」
「うん、言いたくなかったけど、どうしたって次に殺されるのは私でしょ?」
真っ赤に泣き腫らした目で、私を睨み付ける元気はまだあるようだ。
でも、しかしどうしてこの娘は私の部屋にいるのだろう。
「で、どうしてあんたはここに居るわけ?」
陽菜は言いにくそうに、急にもじもじし始めた。
「暫く・・・、ここに置いてくれない?」
「どうしてよ、嫌よ!」
あっさりそう告げると、わーんと子供のように大声で泣き始めた。
「じゃ、私が死んでも良いのね?」
「それとこれとは別よ、あんたには立派な家があるでしょ?」
「ママもパパも今バカンスに行って家には家政婦しか居ないの、連絡はしたけど帰って来るまでに、二日はかかるでしょ?ひとりぼっちなのよ、お願い月ちゃん、良い子にしてるから、」
これが大人の会話か?
「ここだと雨衣さんの家も近いし、彼もその方がいいって言ってくれたわ、なんでも、月ちゃんは毎日暇を持て余していて、する事も無いだろうからって、子供がひとり増えたってどうってことないだろうって、何かあったらゴルフクラブで殴ってくれるだろうって、」
彼奴・・・。
あらゆる限りの理屈を並べ立てやがって・・・。
しかし、その話が本当なら次は・・・。
大嫌いな妹であっても、今はしょうがないか・・・。
命には代えられない。
「二日よ!あんたの両親が帰ってくるまでよ、わかった?」
「うん、ありがとう月ちゃん!」
急に笑顔になって、陽菜は私に抱きついてきた。
「服に鼻水付けないでよ、」
「やだ、月ちゃんたら、」
陽菜に笑いながら、ばしっと背中を叩かれて痛かった。
本気で言ったんだけどなぁ。





陽菜が身の回りの物を家に取りに行くから付いて来てと言うので、渋々ながらも付いて来た。
家は瀟洒な家が建ち並ぶ一画にあって、緑も多く静かな町並みだ。
「暑いのに、中に入れば?」
「やだ、ここで待ってるから、早くしてね」
母の家になんて死んでも入りたくない。
心の中では関係を切った人だ。
この際、陽菜はしょうがない・・・命に関わることだ。
しかし暑いな、私が車を降りて辺りを散策しようとしていたとき、上の方からコーギー犬がリードを付けたまま歩いて来た。
その雄犬は人懐こく、近寄って来ては手を嘗めて去っていった。
しまった、きっと主人の手を離れたんだと思い、捕まえようと追いかけていた時、前を歩いていた中年の男性が、驚いた事に足にじゃれ付いてきたその犬を蹴ったのだった。
犬は甲高い声で泣き叫び、その場にうずくまってしまった。
「ちょっとあなた、酷いじゃない動物虐待で訴えるわよ、」
男は睨みながら振り返り、私はしまったと思ったけれど、口から先に出た言葉は引っ込めようがない。
「なんだと?俺は犬が嫌いなんだよ、放し飼いにしているそっちが悪いんじゃ、ないのかよ、え?」
と反対に凄まれてしまった。
確かに、それはそうだ・・・。
「でも、こんな小さな犬を蹴る事ないでしょう、」
「何だと!」
男はゆっくりと歩いて近寄って来る。
体格は良いが、人相は悪い、到底素手で適う相手では無い。
ど、どうしよう!
「月ちゃん、」
その時、ひながゴルフクラブを持って現れ、一本私に渡して寄越した。
「何よ、やる気」
ひとりやふたり殴ったって、この際、どうって事は無いだろうと自棄になっていたので、調子づいてクラブをぶんぶん振り回していたら、以外にもその剣幕に男は戦いたのか、逃げ出してしまった。
「やったぁ月ちゃんこれで2回目」
「怖かった〜〜」
外見とは裏腹に、気分は恐ろしさでへなへなと萎えてしまった。
そこへ飼い主らしい女の子が駆け寄ってきた。
「助けてくれてありがとうございました、私がいけないんです、ついリードが手から離れちゃって、この子をこんな目に・・」
犬はどこか怪我をしたのだろうか、蹲って動かない。
「お家はご近所なんですか?」
「ええ、この上の家です、あ、失礼しました。高畑麗奈と申します」
「高畑?もしかして雨衣の妹さん?」
私と陽菜は顔を見合わせ驚いた。
何という偶然、会ってみたかった深窓の令嬢。
そう言えば何となく似てるかも、髪を長くして薄化粧なんかすれば・・・、うぇ、雨衣の顔を想像するとちょっと気持ち悪かった。
「兄をご存じで?」
なぜか彼女は瞳に警戒心を宿らせながら、こちらの意図を計っているようだった。
「うん、ご存じと言うか・・・、世話になってると言えばなってるんだけど、偉そうな態度で時々ムカツクヤツよね?」
「月ちゃんたら、」
陽菜に窘められる。
「ええ?」
深窓の令嬢は驚きつつ、クスリと笑った。
陽菜はこんなに近くに住んで居るのに見たことないのだろうか?
「私はこの上の娘で野町陽菜、こっちは姉の月、よろしくね。近くの病院に連れてってあげる、乗って乗って、」
急に態度を変える陽菜は、いつの間にかトランクに荷物を積み込んでいて、準備は整っていた。
犬をそっと抱きかかえたが鳴く様子もなく、ただただ震えていて、後部座席の彼女に頭を擡げて悲しそうな目でじっと遠くを見ていた。
「ねえ、どうしてゴルフクラブなんて持って来たの?」
たった二日の為に・・・。
「用心にこしたことないでしょ?現に役にたったじゃない、」
「私のクラブがあるのに、」
「じゃ、一緒にゴルフでも行こうよ、雨衣さんも誘ってさ、」
麗奈がどういう関係なんだろうかと、訝しげに顔を上げて私達を見ていた。
「それだけは勘弁して、」
「なんでよー、雨衣さんが一緒だったら安心できるもの、家の中にずっと居るなんて耐えられない、」
この妹は、麗奈が殆ど外に出ないことを知ってか知らずか、デリカシーのかけらもないことを平気で言う。
「あの、兄とは・・・?」
「海水浴場の上にある喫茶を祖母がやってまして、よく雨衣さんが食べに来てくださるみたいなんです、」
私が説明した。
「ああ、あのローズガーデンで有名な喫茶店ですか?」
「ご存じでしたか?」
「ええ、一度テレビで拝見しましたけど、素敵なお庭ですよね、」
「祖母の趣味なんですよ、あまり綺麗に植え込まないで乱雑に、自然に、ってのがポリシーらしいです。」
「羨ましいです、私、マーサー・チューダーさんにあこがれて、この犬も買って貰ったんですよ、可愛そうにこんな事になってしまいましたけど、」
麗奈の声のトーンが下がると同時に、車は動物病院に着いた。
十分くらい待って診察室に入ると、更に十分くらい静かな時が流れて、麗奈がコーギーと一緒に出て来た。
まだ、腕に抱かれている。
「レントゲン取ったんですけど、どこも異常なくてほっとしました。ただ、人に蹴られたことがショックだったようで、二、三日様子を見ましょうって先生が、」
「そう、怪我が無くて良かったわ、」
私がそう言うと、彼女は緊張が溶けたように初めて心からの笑顔が戻ったようだった。
それから私達は再び彼女と犬を、家の前まで送り届けてさよならを言って別れた。
なんて大きなお家なの、頑丈そうな塀にぐるりと囲まれ、敷地は広く入り口は日本建築らしい木の格子戸で閉ざされていて、監視カメラが侵入者を簡単に中へ寄せ付けそうに無かった。
そんな玄関先に立って高畑麗奈は私達の車が、カーブを曲がりきって見えなくなるまで手を振っていた。
「あなた見かけたことなかったの?こんな近くに住んでいるのに」
「彼女、八年前に不幸な事件があってから殆ど外に出なくなってしまったの、外出は運転手付きの車だし、事件の話聞いたことある?」
「うん・・・、怖かったでしょうね」
「みんな、サイテーよね、」
陽菜は私を見ながら、口元を歪めて笑った。
あの雨衣でさえ、大事な妹を恐怖に陥れた人達を半殺しにしたのだから、それに”レイプ”と言うおぞましい事件が絡んでくるとなると、彼女の兄でさえ黙っては居ないだろう。


原浩二は犯人なんだろうか?


「私、嫌だからね、あんたの死体発見するの、」
陽菜はギョッとしたように私を見た。
しばし、考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「月ちゃんがゴルフクラブで撃退してくれるでしょ?」


陽菜は笑って、運転に集中しようと前を向いたが、目には涙が溜まっていた。














  





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