A blue cloud
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空に浮かぶ月
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 玄関の鍵はその日の午後にはすっかり直っていた。


あれから三日立つが、警察からは何の知らせも無く、雨衣も忙しいのか現れなかった。
平穏な毎日は続いたが、犯人逮捕の連絡が無いのはどこか不安だった。
私と真昼は毎日午後になると海水浴場で遊び、麻美の店に寄って私はアイスコーヒーを、真昼はソルベを食べる、それが日課になりつつあった。
「そうだ、同窓会しようよ!月も、浩二君も帰って来た事だし、暫くやってないしね」
「やだ、そんな気分じゃないよ、無職だし、」
「無職が関係あるの?」
「暇つぶしの飲み会に、話のネタに私を引っ張るのは止めてくれる?」
「はは、ばれたか、今なら話題満載じゃん!」
「私は面白くないから、」
文句を言うも客が入って来たので、麻美は笑いながら接客をする為に席を離れた。
「あ、こんにちは」
顔見知りなのか、麻美は幾分親しげな笑みで挨拶をしている。
「ほんとうに麻美さんのケーキは美味しいわ、どこでも評判なんですよ」
この辺りでも珍しいくらいの、すらりとした美人だ。
ちょっと目を引くのは、そのヨットでも乗りに来たようなカジュアルでいて、とてもセレブな出で立ちである。
「ここのケーキじゃないと麗奈ちゃんは食べてくれないのよ」
「これからお家へ?ドライアイスはどうしましょうか?」
「そうね、雨衣の家に寄ってから行くので、少し多めに入れてくださる?」
え?
雨衣の知りあい?
もしかして彼女?
私の視線を釘付けにしたその女性は、たおやかな微笑みを浮かべて、麻美が箱に詰めているのを見守っていた。
そして、支払いを済ませると、長い髪を靡かせながら颯爽と出て行った。
すかず麻美はやって来る。
「あれが高畑雨衣の彼女。綺麗でしょ。」
「美男美女カップルじゃないの?癪だなぁ〜」
麻美は同意するように笑った。
「確かにね〜、彼女のお父様もお兄様もは弁護士だし、彼女も新米ながらも弁護士で、家柄良く、お金持ち。あの小うるさいお母さんの眼鏡に叶いすぎたような人物よ」
麻美は姉と高士さんの事を知っている、で、皮肉っているのだ。
「でもあの崇高な氷のプリンスも、妹の件ではかなり参っていたようよ」
「なんかあったの?」
「この町じゃ怖い物なしの高畑一族でしょう?月ちゃんは大学からずっと東京に居て知らなかったでしょうけど、あれからも彼はも随分甘やかされて育ったわけよ、彼が指を鳴らせば何でも言うことをきく家来は沢山いて、悪さをしまくっていたの。八年前、それに恨みを持った敵対していたグループが、当時、十二歳だった妹さんを誘拐して金を要求してきたの、勿論彼は警察よりも早く動く組織を持っていたから、先に妹を見つけたわけなんだけど、そりゃあ誘拐犯全員半殺し状態で、後から来た警察が止めなかったら殺しかねなかったって聞いたわ・・・彼はまだ高校生だったのよ」
「そこまで悪かったの・・・」
驚いたが、あの夏の中学生だった雨衣の狡猾な態度を考えると、あり得る素行かもと私は思った・・・。
「ま、自分のせいで妹をあんな怖い目に遭わせたんだから、犯人が憎かったんじゃないの?当然、全員少年院送り、雨衣たちにはお咎め無しで、事件そのものが新聞にも載らず公にもならなかったので、きっと彼の祖父が裏で手を回したんだろうって、暫く噂されたものだったわ」
「ふーん、雨衣はあんなにクールに見えるのにね」
「今はね、大人になったんじゃ無いの?それから妹や家族との関係が良くないらしいわ、だから家を出たって噂よ」
「あなた何でも知っているのね」
「この町のゴシップなら任せなさい、お客さんから毎日仕入れているんだから」
麻美は得意満面だった。
そう言う事だったのか・・・。
何となく変わったような気がしていた。
とんでもなく我儘だった幼い君は、どこかに影を潜めてしまったのだ。
真昼のことは黙っていてくれるだろうか・・・・?
誰かに知れたら大変なことになりかねない。
第一、これ以上姉を悲しませたくはなかった。








私は真昼の歩調に合わせて、家へと続く緩い歩道を歩いていた。
「つきちゃん、つきちゃんのママはどこにいるの?」
真昼が私を上目使いで見ていた。
こんな時、ほんとに可愛いと思う。
「つきちゃんもママいないの、でも、真昼がいるから全然さみしくないよ」
「ぼくとおんなじなんだね。ぼくも、つきちゃんがいるからさみしくないよ」
にこっと、天使のように真昼は笑って屈託がない。
ふと、国道を走る車を見やると、雨衣がさっきの美女を助手席に乗せて走り去っていった。
一瞬目が合ったような気がしたが、雨衣は真昼を見ていたに違いない。
家に帰るそうだが大丈夫だろうか・・・約束は守ってくれるのだろうか?
私は急に不安になった。










 雨が降っていた。


夏の雨は湿度をもたらし不快でしかない。
私と真昼は顔を洗い、てっ取り早く真昼を抱っこすると、傘を差して母屋に朝食を取りに向かった。
お客様の目に付かないよう、こっそりと遠回りして裏から入る。
基本的に食事は総べてこちらで取っているので、祖母たちの邪魔にならないよう、隅でパンを焼いてハムエッグを真昼の為に作る。
ジュースをコップに注いで見渡したところ真昼がいない。
「あれ、真昼知らない?」
菊野さんに尋ねたら、お客さんと喋っていると言うではないか、私は慌てて店に迎えに行った。
するとどうだろう。
隅のテーブル席で、真昼と差し向かいに座っているのは雨衣ではないか。
「真昼、こっちいらっしゃい」
「別にいいよ・・・」
私の声に雨衣は一瞬顔を上げたが、テーブルの上にパソコンを広げて、キーボードを叩いていた。
「お仕事の邪魔になるから」
「もう終わったんだ、食事が来るのを待っているだけさ」
そう言って、雨衣はパソコンを畳んだ。
「ぼくもここで一緒に食べていい?」
何よまったく、この急な仲良しぶりは。
雨衣は私の戸惑いを、絶対に面白がっている。
「心配なら君もここで食べれば?」
「結構です!」
裏から真昼のために食事を運んで来て、それをテーブルに並べていると、丁度、雨衣にも食事が運ばれてきた。
オーソドックスな、卵焼きと焼き魚の朝定食だ。
「なんだか意外、朝はパンとコーヒーってイメージがあるけど?」
「いつもだと飽きるでしょ?それに徹夜明けで昨夜から何も食べてないの、ちょっと、突っ立ってないで座ってくれない?」
上の空の私は、そう言われて何となく素直に椅子に腰掛けた。
昨日、あれから実家に帰ってどうなったか聞きたいけど、聞けないジレンマと私は闘っていた。
”まさか、約束を破って無いでしょうね?”って・・・、言葉が喉で痞えている。
「何?」
雨衣は怪訝そうに私を見ていた。
「え?何が?」
「何か言いたいことがあるんじゃないの?」
「なんで分かった?」
「顔に書いてある、」
思わず頬に手やった私を見て、雨衣は呆れた顔をして寄越した。
うーん、どうして私が家に帰ったことを知っているか、聞かれたらどう答えればいいのだろう。
情報屋の友人に教えてもらった、もとい、綺麗な彼女がそう言っていた・・・、どこで?
ああ、説明が面倒だ。
そんな事をくだくだ考えていたら、それを知ってか知らずか雨衣は眉を顰めて、溜息を吐くと話題を変えた。
「それはそうと、叔父さんは今日釈放だって」
「え〜〜〜うそ!」
一気に目が覚めた。
「アリバイが取れたんだ、飲み屋に入り浸っていて、そこの女将が証言してくれた」
「本当なの?」
「気っぷのいいおかみさんだよ、悪い人じゃない。彼女が身元引受人にもなってくれるらしい」
「ここに来るかな?仕返しをしに」
ゴルフクラブで殴った事を恨んでなければ良いが・・。
雨衣は名刺を取り出し、テーブルの上に置いた。
「そんな大それたことをしでかす勇気のある人とも思えないけどね、ま、何かあったら携帯に電話して、」
「ああやだ、又一つ悩みの種が増えたわ」
私が頭を抱えると、真昼が心配そうに顔を覗き込んだ。
「つきちゃん、あたまいたいの?」
「ううん、大丈夫よ。」
「でも、きょうは雨ふってるからうみいけないね」
「うみ?」
「海水浴場の砂浜で遊ぶのがかなり気に入ったみたいなのよ、もう、毎日の日課ね」
「おにいちゃんもいっしょにいこうよ」
ギョッとした私の顔を見て雨衣は又、鼻で笑った。
「そうだね、」
「だ、だめよ。絶対駄目」
「どうして?」
「変でしょ?何の面識もない私とあなたが、真昼を連れて海水浴場にいるなんて」
「面識あるでしょ、警察と殺人容疑者」
そう言って、雨衣は意地悪そうに口角を少し上げた。
「ねえ、ちょっとからかってるでしょう?ちっとも面白くないから」
「海に行きたいのは結構本気なんだけどな、もう何年も行ってないような気がする・・・」
遠い目をして雨に煙る外を見やった雨衣の瞳は、長い睫に隠れて陰っていた。
その時、店のドアが勢いよく開いて、今日も上から下まででデコライティブな陽菜が現れた。
「きゃーやっぱり、雨衣さんじゃない!車が見えたからそうだと思った!」
で、横に座っている私達を嘗めるように見た陽菜は、不満そうにどうして一緒に座っているのかと問い詰めた。
「一緒に海に行く話をしていたんだ、」
「え〜、どうして月ちゃんと?陽菜も行く〜」
「私じゃ無くて真昼とよ。でも嘘よ、冗談に乗らないで」
「なんだ、冗談なの?そうよね、あんなに綺麗な彼女がいるんだもの、月ちゃんと行くはずないわよね」
陽菜、いつか殺す!
一瞬の沈黙が息苦しかった。
  陽菜は周りくどく”あんなに綺麗で、家柄も良い素敵な彼女がいるのに、家柄も悪く(指名手配犯の叔父を持つほど)器量も並の月ちゃんなんかと行くはずがない”と、言 いたかったに違いない。
目尻を吊り上げて、私を見下している。
「いや、本気だよ。」
雨衣が真顔で言った。
「まだ犯人が捕まった訳じゃないから、あまりひとりで出歩いて欲しくないんだ」
上手い言訳を考えたものだ。
これじゃ雨衣は何て良い人だって、事になるではないか?
実の所は”叔父心”が芽生えてきて、真昼と遊びたいのだろうけど・・・。
でも、確かに雨衣の言う事も一理ある、一体誰が何の目的で、私の家で殺人を?
しかも、その遺体は全く面識がない。
「そうだ、月ちゃん叔父さんをゴルフクラブで殴り倒して、捕まえたんですって?」
大袈裟な!噂ってのは恐ろしい、こうやって内容を少しづつ変えながら湾曲して行くのだ。
「その叔父さんはどうやら犯人じゃなさそうだから、安心してとあの人に伝えて、」
「違ってたの?じゃあ一体だれよ」
「あんたの”雨衣さん”に聞きなさいよ」
私は立ち上がると真昼の食べた食器を片付けた。
ふん、毎度のことだけど、この娘と話していたらムカついて来るので、会話から降りるため真昼にビデオを見ようと誘い出す。
「ぷーさんの?」
「うん、ぷーさんの見よう。今日は海行けないものね、おいで」
私は真昼を抱きかかえた。
ずっとこちらを見ていたふたりの目線は気になったが、あえて無視して店内から出て行った。


そして帰り際、庭から眼下に見える灰色に煙る海を見ると、何だか息がつまった・・・。




離れに帰ると、私はご飯を食べ損ねた事に気が付いた。
まず、真昼の希望どうりぷーさんのDVDをセットしてあげる。
子供って同じDVDを、どうして何度も飽きずに見ることができるのか不思議だ。
こっちは助けるけど・・・。
何か食べる物は無いかと探してみたが、クッキーとカップ麺とコーンスープくらいしか無くて、しょうが無いので取りあえずクッキーとスープでお昼まで我慢することにした。
それから、ポケットから取り出した雨衣の名刺をしばし見る。
英語と日本語で書かれたシンプルな名刺、携帯に登録しようか止めようか考えた挙げ句、彼は私と言うより自分と血の繋がった真昼を心配しているのかも知れないと思ったし、本当に何かあったらどやされそうなので、怖さに負けて取りあえず登録することにした。
”氷の皇子”良いネーミングだ、ぴったりではないか?
ひとり悦に入っていたら、いきなり着信のベルが鳴ったので驚いた。
「おはよう麻美、どうしたの?こんなに早くから」
「昨日言うこと忘れてたけど、明日、早速、ここのレストランでプチ同窓会しようって、浩二が言うの、行くわよね?」
「昼間は何かイベントがあるのよね?よく、予約取れたわね」
「昼間は恒例の”マーメイド・コンテスト”があって、夜はカラオケ大会があって夜店も出るの、賑やかよ。みんな地元の人間だもの、予約なんて何とでもなるわよ」
麻美が得意気に言った。
「真昼と一緒に夜店にでも行ってみようと思っていたけど」
「なに言ってるの、一日くらい花さんにお願いしなさいよ、私達には賞味期限が迫ってるのよ、楽しい思い出は少しでも若い内に作らなきゃ、どんどんおばさんになっちゃうのよ」
ごもっとも・・・・。
返す言葉がない。




それ以上に、久しぶりの夜店が懐かしい。
大勢の人混み、甘い綿菓子の匂い、赤い金魚、なんて懐かしいのだろう・・・。 














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