A blue cloud
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空に浮かぶ月
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「いくら高士さんが退院して良いと言ったって、そんなに動いて良いとは言わなかったでしょう?」
花さんは、凡そ二年半ぶりに真昼を見て喜び、真昼が好きだと言ったミートスパゲティを作ると言って立ち上がり、台所でパスタを茹で始めた。
踝の石膏は取れたようだが、まだ湿布が貼られており、きっと動き回ってまだ痛むのだろう。

二年ぶりに帰ってきた祖母の家は、窓から手入れのされたローズガーデンが見える。夏の暑さと季節外れで、バラは殆ど見られないが、ゆずの花櫚な白い花や、あちらこちらに無造作に植えられたセージやタイムなどハーブが風に乗って香って来る。
そして何とも開放的なのは南のリビングを開けると、紺碧の海が目の前に広がって居ることだ。
結局、祖母を放っておけないので、着替えを取りに離れに行って段ボールを開けなくてはいけない。
「それはそうと、花さん、どうして私の荷物が花さんの家にあるの?私間違ってこっちに送ったのかしら?」
「間違ってないわよ、あの家はね管理がてら努に任せてあったのだけど、ギャンブルに負けて抵当に取られちゃったらしいいの」
驚くような話を、祖母は淡々と話した。
「えーーーーーっ」
努と言うのは住所不定、仕事不定の花さんの弟の事である。
父はきっとこの人の血が一番濃いに違い無い。
「許しておくれ、私もこんな事になるとは・・・」
「あのクソジジイ、今度会ったら絞め殺してやる!でも・・・・、え〜、ほんとなの?」
あまりの事にガッカリした。
祖母はパスタの鍋に視線を落としながら、諦めている、と言う風にクビを振った。
「こんな事になるなら、さっさと現金に換えておけば良かったと思ってるわ、あの家はあなたたちが育った家だし、広かったから、どっちが帰って来ても使えると思って置いておいたのよ」
涙が零れそうだ。
家族の思い出が、本当に思い出に変わろうとしている・・・。
あの家で父を待って居たかった・・・。
「でも、ここがあるから・・・狭いけど女二人で住むには十分でしょう?」
確かにここに住むのは悪くない。
しかし、切ない・・・。
「今、私はこっちで寝泊まりしているの、あなたは離れの方を使いなさい。使いよいように改造してもかまわないからね、キッチンもトイレもお風呂も使えるように直しておいたから」
私がこっちに帰ってくる理由も聞かずに即座にOKしてくれて、空家同然だった離れも使えるようにしてくれておいた。
きっとだから早めに退院したのだと思うと、踝の湿布が愛おしかった。
そう、理由は不倫に疲れ果て・・・いや違う、不毛な愛に嫌気が射した。
私も、彼も、彼の奥さんも、みんなこのままでは不幸だった。
彼はきっと奥さんと別れるつもりはない。
分かっていて付き合い、のめり込んで行った私の愛は、方向を見失い風も吹かず、どこにも連れて行ってくれない。
そんなとき、祖母が入院したと便りが入った。
もしかしたらその時風が吹いたのかも知れない。
帰ってみないかい?生まれ故郷へ・・・と、きっかけは何であれ、理由は何であれ、そう思うと、もうそこに留まっては居られなかった。
次の日には退職届けを出し、きっかり一ヶ月後に会社を辞めた。
八年間勤めた出版会社を後にする後悔は無かった。
何よりも真っ先に見たかったのは、この目の前に見下ろせる太平洋の青に癒して欲しかったのだ。




その夜は店舗を兼ねた裏の、祖母の部屋で真昼を真ん中にして川の字になって寝た。懐かしい響き。
懐かしい畳の座敷。
絵本どころではなくなるほど、眠り込んでいる真昼の寝顔を見ながら、どうしてかれんは真昼なんて変わった名前を付けたのかと私に尋ねた。
「昼間のようにいつも明るく、輝いて欲しいって、この子の頭上には暗い闇が訪れませんようにって・・・現実主義のキャリアウーマンかと思えば、以外にロマンティックなのよね」
「私は分かっていたわよ、じゃなかったら真昼を生む筈がないじゃないの、分かっていたわ・・・」
祖母はそれっきり黙ってしまい、すぐに寝息が聞こえてきた。
私にはかれんのような生き方はできないかも知れない、本当に強い女だ。
私も負けずに頑張らないといけない。
でも、待てよ、明日から私は無職だ、何から頑張ろう?
窓から、煌々と照りつける満月が浮かんでいるのが見えた。
何て明るいのだろう。
手を翳すと輪郭がくっきりと見えて不思議な感じがした。
夜の考え事は取り留めがない、しかも悪い方へ思考は引っ張られる。
明日、起きてから考えよう。
まずは、母屋の改装でもしよう、暫くゆっくりしても神様は見捨てはしないだろう。





店を明日から開けると言い張る祖母は、私に日曜品の買い出しを頼んで朝から掃除に精を出していた。
私は祖母のバンに乗って走る途中、ふと思い立って叔父が抵当に入れた我が家を、見納めるべく家に続く小道に入った。
近くに民家は無く、狭い小道も対向車の心配は無い。
懐かしい。
緑が眩しいくらいに輝いていて、蝉の声がうるさいほど私は幼い子供に返る。
目の前の、トカゲやカブトムシを父と取りに行った山は宅地化されていた。
いずれ、ここもそうなるのだろう。
玄関先に車を止めると、格子戸を開けてそっと中に入った。
庭は荒れ果てていたし、家全体が想像していた思い出の我が家と比べて、何だか褪せていた。
年月は容赦ない。
父が良く寝転がっていた庭の芝生は伸びほうだいだったし、雑草に取って変わっていた。
叔父さんはいったい何の管理をしていたのだろうか・・・、人の手が入った形跡はどこにも見あたらない。
流石に玄関には鍵が掛かっていたので、南に回り雨戸を少し開けて、昔から立て付けが悪く、鍵を掛けても何度か揺すると鍵が外れたりしていた、一番左側の窓は相変わらず簡単に開いた。
ほくそ笑みながら縁側に腰掛けようとしたが、埃に塗れていたので止めて、暗い家の中へ入るのも当然の如く躊躇い、そして何よりさっきから気になっていたのだが、変な匂いがどこからとも無く漂っていたのだった。
それは窓を開けた瞬間からさらに強烈になって、猫の死骸でもあるのではと怖くなって薄暗い中をそっと伺った瞬間、私はぎょっとした。


キッチンの椅子に誰かが座っているのが見えた。


頭は前に傾いていて、長い髪の毛で顔は見えないが黒い色のスカートからすらりとした足が伸びている。


女性だ・・・。


そして、近寄ってもっとしっかり見ようとした瞬間、女性の体が少し傾いたかと思うと、一気に椅子から転げ落ちた。
その胸にはナイフが刺さっていて、黒と思ったワンピースは血で染められた白いワンピースだったのだ。


卒倒しそうになりながら、震える指で携帯を押し、警察に連絡をした。
血の気が失せた指先の震えを止める為に、ぎゅっと手のひらを両手で結んでいた。
今見た光景が信じられなかった。
吐きそうになるのを我慢していたが、どうして良いのか検討も付かず、ただただ、そこに佇んだまま、やたら響いてくる蝉の鳴き声が唯一の現実のような気がしていた。












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