A blue cloud
1
空に浮かぶ月
(最終章)
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19







モーブ色の光が降り注ぐ雨衣の横顔を見たのが、記憶の途切れる手前だった……。




私が再び目を開いた時、窓から差し込む夏の光が眩しい朝だった。






その明るい日差しに包まれた安堵感を今でも忘れられない……、”助かった”のだと思うと、ひとつ大きく深呼吸をした……。
そして、涙が出そうになった……、”生きている”って実感が、こんなにも嬉しい事だったなんて……。
私は密かに感動していた。


誰かが私の名を呼んで、私の意識はそちらに向けられる。
ベッドの脇には陽菜と祖母がいて、心配そうに顔を覗き込んでいたので、私は二人を安心させるように微笑んだ。
「私、助かったのね……」
「そうよ、月ちゃん……」
陽菜は泣いていたし、祖母は目頭を押さえ優しく微笑みながら頷いた。
「二日間、眠ったままだったの、お医者様は大丈夫だって言ったんだけど、心配だったわ……」
「そう……」
「傷が内臓にまでは達していなかったから助かったんだって……」
「よかった……」
私はそう言って目を閉じたまま微笑むと、安堵感の安らぎに襲ってきた睡魔と戦うことは直ぐに放棄したのだった。







ガチャリと言う金属音で目が覚めた。


見ると、側の点滴の器具に足を取られた陽菜と目が合った。
「あ、ごめん!起こしちゃった?」
「私……、あれから……」
「一日中眠ってたわ。結局、三日間眠っていた事になるかな?」
ベッドの縁に手を掛けて体勢を取り直す陽菜から、病院には似つかわしく無い程に香水が匂う。
「あんた……、臭い……、病院でその匂いは無いんじゃない?」
ひとの忠告を無視して、陽菜はクスクスと笑った。
「あ、いつもの月ちゃんだ!」
そして、嬉しそうだ。
側の椅子に座って私の顔を覗き込んでいる。
「何かして欲しいことある?喉乾いてない?」
「いいよ……、大丈夫」
「月ちゃんったら眠ったままなんだもの、最初に意識を取り戻したとき雨衣さん来てくれたのよ」
「え?そうなの?起こしてくれたらいいのに」
がっくりと気分が沈む……。
お礼も言いたかったし、何より顔が見たかったので酷く残念だった。
「私が起こすって言ったら、雨衣さんが起こさなくて良いって言うんだもの……、後で月ちゃんに恨まれそうだとは思ったけど」
私はクスリと笑った。
ホントだ、恨むよ陽菜、誰の顔を一番に見たいかって尋ねられたら、迷わず”雨衣”って言ってしまいそうだ……。
「早く良くなって欲しいから……、あ、雨衣さんの顔を見た方が早く治ったかな」
「バカ……」
私達が軽口を叩いて微笑む程に、そこにはいつもの日常が戻って来ていた。
「陽菜……私、死ぬかと思ったわ……徐々に意識が薄れていくの……」
「正直、私も……、だって血が……月ちゃんのお腹からどんどん流れて……止まらないの……、雨衣さんが必死で止血してくれてた……」
「うん……、そうね……」
「あんなに血相を変えた雨衣さんを見たこと無かったわ……、月ちゃんが倒れて真っ先に雨衣さんが駆け寄ったの、彼は医大出てるから手当は適切だったみたいだけど彼が居なかったら、月ちゃんはどうなっていたか分からないって、お医者様が話していたわ。……雨衣さん必死だったよ……」
陽菜はしんみりと話した。
……そう、私は覚えていた。
薄れゆく記憶の中で、彼の端正な顔が悲痛な顔に変わって、必死で手当してくれているのを見ていた。
雨衣がそんなに悲しんでくれているのだから、私はきっと死ぬんじゃないかと思っていたのだ、死ぬ前に彼の顔を記憶に留めようと、気力を総動員して彼を見ていた。
いや、見ていたかったのだ……。
「このオールドローズを見て、雨衣さんからよ素敵でしょ」
横を向くと、窓際には数え切れないほどの花が飾ってあり、その横には一際目を惹く大きなピンクの薔薇の花束があった。
「雨衣さん、自分で気づいてないのかな?絶対、月ちゃんのこと好きなのよ」
陽菜は泣き笑いした。
何時か、祖母が雨衣から貰って喜んでいた薔薇と同じで、本当に溜息が出るほど綺麗だった。
「でも良かった、ほんとうに月ちゃんが無事で、あの血を見たら誰だってもう助からないと思ったわ、見て、他にもママからの花束と浩二さん麻美さん麗奈ちゃんまで、こんなにみんなから頂いているのよ」
「陽菜……」
「なに?」
「ね、彼女は捕まったの……?早川祥子……」
「勿論、月ちゃんを刺した後、呆然とそこに突っ立ったままだったもの、高橋守にあっさり御用よ」
苦々しげに陽菜が言う。
「でも……、どうして私が?」
「ごめんね月ちゃん、早川祥子は私を狙っていたんだって、同じ格好をしていたから間違って月ちゃんを刺したんだって、ほんとうにごめんね」
陽菜は心底そう思っているらしく、ベットの傍らにつっぷして泣き崩れた。
その頭を優しく私は撫でた。
「ねえ、どうして早川祥子があなたを狙ったの?近藤啓太の恨みを晴らす為?」
「うん、まあそれに近いかな……、それはね、そもそも第一の殺人が原因なの。日記を見た啓太さんがゆなの復讐のため殺人を計画して、夜景の綺麗な月ちゃんの家の近くへまりを誘ってドライブに行ったんだって、元々まりは啓太さんが好きだったから、そんなこと全く思いもしないで付いて行ってしまったの、で、最初は油断させる意味もあって車の中でいちゃついていたらしいのね、するとそれを浮気だと勘違いした早川祥子が、ドアを開けていきなりナイフで襲いかかったってわけ、メッタ射しだったそうよ」
「そうね……、白いドレスが茶色だったもの……」
「彼女は今妊娠三ヶ月で、幸せの絶頂から突き落とされたみたいなものよ、で、彼女を犯人にするのを忍びない啓太さんが近くの空き家だった月ちゃんの家に死体を隠したってわけ、隠すと言っても直ぐにバレるのは分かっていたんでしょうけど、時間稼ぎだったみたい。次は、もうりかに狙いを定めて直ぐさま実行した……、最後の私の番になってやっと警察が動いて私は助かってしまった。でも、そんな復讐劇を側で見ていた早川祥子は、私だけが彼や彼女の未来を犠牲にした殺人事件の陰で、これからも普通に温々生活して行くと思うと悔しくて私に恨みを抱いたって……警察でそう供述したらしいの……」
確かに早川祥子の夢に描いた未来は無くなったかも知れないが、お腹の子供の未来は考えなかったのだろうか……?
両親が殺人者なんて余りにも不憫過ぎる……。
「あの夜、私の携帯が無くなったでしょ?あれは密かに啓太さんが私のバッグから盗み出したそうなのよ、で、私の携帯からメールでリカを呼び出して殺害したそうなの」
「近藤啓太は、あくまでも三人全員を殺害するつもりだったのね……」
「彼自身もゆなに拒絶されてからは、彼女の前でまりといちゃついたり、酷い事をしてきたから悔やんでも悔やみきれないんでしょ、それに、きっとそれ以上に彼女を愛していたんだわ……」
「なんだか、みんな可愛そう・・・早川祥子は勿論、近藤啓太でさえもね……」
「月ちゃん、良く言うよ、お腹刺されて……」
「でも、雨衣の言う通り、ちゃんとあなたを守ったでしょ」
私はにこりと笑った。
陽菜は”うん”と頷いて、器用に泣きながら笑った。


その時、ドアがノックされて現れたのはエリカだった。
颯爽と現われた彼女は、非の打ち所無い美しい容姿と出で立ちで、その場の空気を鮮やかに変えた。
「意識が戻られたと聞いて……」
そして、可憐な花びらが優しく涼しげなピンクのトルコキキョウと、薔薇のアレンジメントフラワーを陽菜に渡した。
「わざわざありがとうございます」
「大変でしたね、まだ痛みますよね?」
「ええ少し」
気の毒そうに顔を顰めたエリカに対して、私は苦笑いを返した。
そしてエリカは病室を見渡すと、ピンクの一際大きな薔薇の花束に目を留めた。
「お花畑のようですね」
「まだ、食べる物はダメだろうって、みなさんお花を下さるんです、その大きな薔薇は雨衣さんからなんですよ」
陽菜がそう答えると、エリカが動揺したように見えたのは気のせいだろうか?
「月さんと雨衣はほんとうに仲良いんですね、知り合いだったって事も知りませんでした」
「あいつが中学生で、どうしようもなく我儘で、傲慢だった頃から知っています。その時は別に友達でも顔見知りでも何でも無かったんですけどね。今でも時々そんな片鱗が見えるでしょ?ムカツクからこづいてやるんですけどね」
と私は笑った。
「私にはそんなところあまり見せないんですよ、」
寂しそうにエリカが言うので私は慌てて付け加えた。
「気どってるんですよ、本気で好きな女の人の前では格好付けたがる、まるでガキじゃないですか」
そんなところじゃないかと思った。
雨衣が何を考えているのかなんて、本当のところは分かりはしない。
でも、もう誰にも傷ついて欲しくない。




その日から退院するまで、祖母や陽菜は勿論、母、麻美、浩二と、いろんな人が出入りしたが、何故だか雨衣だけは現れなかった。
お礼だけはちゃんと言わなくてはいけないと思っていたのに、一向に彼が現れないのでしびれを切らして、陽菜に高橋守を使って動向を探って貰うよう指図したら、午後になってひょっこり高橋守が祖母の店に現れた。
「アメリカに出張中ですよ」
「えーっ、いつまで?」
酷くガッカリしたのは言うまでもない。
陽菜が可笑しそうに笑いを噛み締めている。
「一ヶ月間……だったんですけど、でも、月さんが意識を取り戻したと、陽菜さんから連絡があった次の日に立ちましたから、実質あと一週間ちょっとでしょうか?」
「そんなに?」
「月ちゃんがっかりしてる、ま、ある意味喧嘩友達だもんね」
意味ありげに陽菜は笑う。
「怒らないで下さいね、先輩あれでもあなたの意識が戻るまでぎりぎり出発を延ばしたんですから、余程心配だったんでしょう、仕事が立て込んでいたんですけど、夜中にラボを抜け出して、ここへ様子を見に来てましたよ。大きい声では言えませんが、ある意味、近藤啓太が二人を殺したって言う、自供を鵜呑みにしていた警察にも、多少なりとも落ち度がありますから、僕は勿論、先輩はとても責任を感じておりました。警察関係者が二人も一緒に居ながらこんな事になってしまい、本当に申し訳ないと思っております」
高橋守は真剣かつ、真面目な顔して頭を下げた。
自供もあり、あの状況では他に犯人が居るなんて誰も思いはしなかっただろう……、高橋守の実直な態度はとても好感が持てて、私の気分も心なしか軽くなるのだった。








傷もやっと癒えて、少しだけ秋の気配が迫ってきた頃になって、漸くかれんから連絡があった。
何でも、出張中だったアメリカの現地で仕事のトラブルがあって、帰国が遅れたと言う事だったが、それならそうと一言言ってくればいいのにと思いつつも、かれんは私達に真昼を預けてすっかり安心しているのだろう、そう思うとその信頼も悪い気はしなくもないが、こちらもバタバタしててかれんに連絡を取れなかった状況だったので、お互い様か…………。
今度会う時に事件の顛末を聞かせてあげようと思う、驚くかれんの顔を想像するだけで密かな楽しみが生まれる。
雨衣から”命に別状はない、大丈夫きっと良くなるから”と聞かせれていた祖母は、その言葉を信じて、遠い国でヤキモキ心配掛けるのは可哀想だからと、私が刺された事は報告しなかったと後で聞いた。
きっと、異国で悲しい事件を聞くとかれんは飛んで帰ってくるだろう……、命も助かった事だし事件も解決して、もう心配な事は無いのだから、かれんには余計な心配掛けずに、一生懸命仕事に励んでいて欲しいと私も思った。
それで良かったのだ。






時が過ぎて、私の方も出版社に出向かなくてはならず、真昼も一緒に連れて帰ることにした。
雨衣はあれから一度も連絡をくれず、何度か携帯とにらめっこをしながらも、意地を張ったように、私から連絡することは無かった。


……でも、この空の続く、遠いどこかに雨衣はいる。






「ここでいいよ、時間ないし」
車で送ってくれた陽菜に、空港の玄関口で別れを告げた。
陽菜の支度が遅かった為、私達は搭乗時間ぎりぎり間にあった。
「真昼ほんとに帰っちゃうのね、寂しくなるわ」
「バイバイ」
完全に情が移っている陽菜の気も知らないで、車から降りた真昼は呑気に手を振った。
「さ、早く行って、後ろで車が待ってるわ」
陽菜は真昼に渋々手を振り車を発進させた。
私達は搭乗手続きを済ませ、二階へと上がるエスカレーターに乗った。
一瞬、エリカに似た人を見かけた気がするが、こんなところにいるはずがないだろう。気のせいだと思い、出発ロビーへと入って行く。
中は団体旅行客でごった返しており、彼らの間を縫って迷子にならないよう真昼の手を引き、ゲートへと歩き出したその時、ガラスの向こう側に駆け寄って来る雨衣を真昼が見つけた。


「あ、お兄ちゃんだ」


え?
……ほんとうだ、雨衣だ!




心臓が高鳴る。




壊れるんじゃないかと思う程に……。


向こうもこんな所で会って少し驚いているらしい、戸惑ったように目を見開いてこちらを見ていた。
足下には今帰って来たばかりなのか、スーツケースが置いてある。
声が聞こえないので、彼はジェスチャーでお腹は治ったのかと腹部を指射した。
私は指でOKと合図を返す。
涙が出そうになる。
あんなに会いたかったのに、こんなところですれ違うとは……。
せめて、もう一分遅ければゆっくり話しも出来ただろう、神様を恨んだ。
でも、雨衣の後ろで手を振っているエリカが見えて、そんな図々しいお願いは却下されたのだと納得をする。
結局、何も変わりはしないのだけど、彼が街に帰ってきたんだと思うと嬉しかった。
それでいいじゃないのと、自分に言い聞かせ立ち去ろうと背を向けたが、何故かもう一度振り向いてしまった。




雨衣と視線が合う。
お互いの心を見透かしたように、一瞬、時が止まる……。




そして、その時、始めて彼は微笑んだ。




ポケットに両手を入れたまま鷹揚に、口角を上げて不適に笑った。




年下のくせに少し生意気……。
彼を睨んで舌打ちをすると、私は零れる笑みを隠すようにゲートに向かった。

              














 
終わり


















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