A blue cloud
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空に浮かぶ月
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16






夕刻の、太陽が水平線にどっぷり浸かろうとしていた頃になって、店にふらりと麗奈が現れた。
「あら、いらっしゃい」
「こんにちは、お庭でお茶したいなと思って」
「まだ暑いですよ」
「いいんです、ゆっくり夕焼けを楽しみたいなって思ってるんですけどいいですか?」
「勿論ですよ」
私は、サルスベリの木陰がある絶景のポイントに麗奈を案内し、ハーブの蝋燭を幾つか焚いた。
「これは匂いも良いし、何より虫除けになるんですよ、夕刻になると少し虫が多くなるから」
「ありがとうございます。」
麗奈はアイスレモンティーを注文し、バッグからノートパソコンを取り出した。
「家で勉強するのも飽きちゃって、ここは素敵な景色で緑が多くてリフレッシュできそう」


それから暫く、麗奈は一人っきりで夏の庭を楽しんでいた。
時間はのろのろと過ぎてゆき、日が暮れて夕闇が迫りかけた頃、私は店内に案内するべく麗奈の様子を見に行った。
私の声に、少し驚いたように振り向いた麗奈の瞳は涙で曇っていた。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
微笑みながらハンカチで頬の涙を拭っている。
「そろそろ暗くなったから、中に入らないかと誘いにきたんだけど?ごめんなさい・・・お邪魔だったようね…」
「心配掛けてすみません、何だか景色がとても綺麗で、綺麗すぎて泣けてきちゃった」
と麗奈が笑った。
「私も、夕涼みがてらここに座るの、落ち着くでしょう?一日の疲れが取れてしまうほどに…」
「ええ、そう思います。あの、・・・兄はこちらのお店に良く来られるそうですけど?」
「私も、三週間前に帰って来たばかりなのであまり詳しくはないけど、朝晩、食事に良く来られているみたいね、確か一人暮らしされているのよね?」
「ええ…、」
「一人暮らしじゃ不便でしょうにね、でも祖母の料理は美味しいですし、食材も新鮮な物や農薬の少ない野菜とかにこだわっているので、身体には良いと思いますよ。その点は安心して食べて貰えると思ってます、それに、この庭で摘んだハーブも使うんですよ。ここで食事して頂いてる限りお兄さんの健康は保証します」
祖母の料理に自信を持って、私はにこりと微笑んだ。
でも、彼女の表情はぼんやりとしていて冴えない。
「…私のせいなんです、家を出たのは私のせいなんです」
思い詰めたような瞳が揺れている。
「え?」
「八年前の事件は知っています?」
惚けてもしょうがないので、素直に頷いて認めた。
「元々、下の兄とは年も近いし、仲良かったんですが、あの事件で私は本当に怖かったんです。それ以来、遊び、喧嘩と自由気ままに毎日暮らしている兄のせいで、こんな怖い目に合ったんだと思うようになり、兄を恨み口も聞きませんでした。勿論、両親からも、周囲からも責められた兄は家に居づらくなったのでしょう、高校を卒業すると同時に東京の大学へ行き、そして更に遠いアメリカへ留学しました。ここには一度帰って来たっきりでした。で、去年、引き抜きみたいな形でここに帰ってきたんですけど、気を使ってるのか家には帰って来ず、この上に家を建てて一人で住んでるのです。たまにエリカさんが無理矢理連れて来るくらいで、兄も私の顔を見るのが辛いんじゃないでしょうか?家には殆ど戻って来ません
彼女は、そう一気に話すと目を伏せた。」
「あなたは・・・、お兄さんを今でも恨んでるの?」
「まさか、兄はあれ以来生活が一変して、家族とは離ればなれだし、父とはまだ喧嘩状態ですし、私が言うのも何ですけど、可愛そうなんです。孤独なんだと思います」
「身の回りの世話は?」
「家政婦さんを雇っているみたいです、」
どうりでいつも小綺麗にしているはずだ。
「早く、エリカさんと結婚すればいいのに、もう六年も付き合ってるんですよ」
「頭も良くて、美人で、自慢のお姉さんになるわね」
「ええ」
麗奈は嬉しそうに微笑んだ。
きっと、兄妹、或いは家族間の不自然な状態を改善したいのに違いない、そして誰よりも彼を理解しているだろう彼の唯一の味方、エリカさんとの結婚を望んでいる。
そして、私は雨衣の孤独を理解する・・・。


私達がキャンドルを消して店内に戻ると、偶然、外から雨衣が入って来た。
雨衣は麗奈の姿を見ると、一瞬驚いたようだった。
「あ、噂をすれば」
どうせろくな話しでも無いんだろうと、言わんばかり左眉尻を上げて私を見た。
「麗奈さんがこれから帰るところなんだけど、ご飯食べる前に送って行ってあげたら?」
「どうして?」
何とも冷たい返答と、冷たい視線が返ってきた。
「え?冷たいなぁ・・・」
「いいんです、運転手呼びますから」
と言って麗奈が携帯を取り出そうとしたところ、雨衣が遮って言った。
「わざわざこのくらいで呼ぶんじゃない、お前も免許くらい取ったら?田舎じゃ不便だろ」
麗奈が返答に困っていると、溜息を吐きながら雨衣は身を翻して、付いてくるよう促した。
最初から、素直に送って行くと言えばいいものを・・・。
可愛気の無いヤツ。
「私も行っていい?帰りにコンビニに寄りたいの」
雨衣はうんざりした様子で私を見たが、このまま二人を行かす分けにはいかないだろう、車内で気まずい思いを麗奈がしそうだ。
自分が言い出した事だし、図々しいと思いながらも助手席のドアを開けて乗り込んだ。
暫く車は走るも案の定、二人は黙りこくっている・・・、やりづらい兄妹だ・・・。
「ね、高橋守と陽菜は付き合ってるのかしら?」
「どうして?」
「だって、この前のコンサートも誘われたって言ってたし、今日も夕ご飯一緒に食べるとか言ってたわ」
雨衣は”ふーん”と言ったっきり、考え事に没頭している。
「ま、刑事さんが一緒なら、私も安心だけど」
「二人を見張るようにって言ったんだけど、守は陽菜の面倒ばかり見ているようだな?やっぱ若い方がいいらしい」
そう言って、クスリと笑う雨衣の整った顔を見ながら、頬を抓ってやろうかと一瞬思った。
「ちょっと、それあんまりじゃない?私はどうでもいいってわけ?」
今度は、生意気そうにニヤリと笑った。
「ま、いいか。どっちにしろ、犯人の対象は君じゃ無くて、若い方の陽菜なんだから・・・」
雨衣の頬にパンチを入れようとしたところ、素速く彼に右手首を押さえられた。
「相変わらず、ムカツク男だわ、ちょっと、手を離しなさいよ」
「暴れないと誓ってくれたらね」
「前見て運転しなさいよ、危ないでしょ」
「こっちの台詞だ、ぶんぶん手を振り回すな、」
「あなたが先に、手を離しなさいよ」
丁度信号で車は止り、ふたりは暫く睨み合ったあと、急にシラけて前を向き直った。
クスクスクスと後部座席で麗奈が笑う声が聞こえた。
雨衣はバックミラーを、私は振り向いて麗奈を見た。
「ごめんなさい、可笑しくって、ふたりで漫才しているみたい、それに兄にそんなに軽々しく手を上げる人も初めて見たわ」
「あんまりムカついて、あなたがお坊ちゃま育ちだったって事、すっかり忘れていたわ」
「だろうよ」
雨衣は皮肉混じりに鼻で笑った。
「ええ、ええ、あなたは昔から捻くれていた最悪のガキだったわ」
「え?前から知り合いだったんですか?」
「喋っちゃうわよ?あなたが私にした非道なこと」
「いいよ、本当のことだし、千年も昔の話しだからね」
悪びれず余りにもあっけらかんと言うので、頭にきた私は麗奈に全部話してやった。
「それは酷いですね、あなたのせいにするなんて」
「極悪非道とはこいつの為にある言葉なの、ちょっと笑ってる場合か?」
「しつこいなあ、何度も謝ったじゃないか、おばさんになると忘れっぽくて参るな」
「誰がおばさんよ!」
手を出そうとして、また躱された。
「麗奈このおばさんを押さえといてくれよ、運転に集中出来ないじゃないか」
「雨衣兄さんは、二、三発殴られた方がいいかもよ?失礼よ」
麗奈は私の味方をしてくれているようだ。
なんやかんやと言って、騒いでいる内に家に着いた。
「月さん、今日はどうもありがとうございました。楽しかったです。雨衣兄さんは月さんに謝った方がいいわよ、でも、送ってくれてありがとう」
雨衣は素っ気なく頷く。
麗奈は微笑みながらそう言ってドアを閉めると、車が角を曲がって見えなくなるまで手を振っていた。
「あいつ何しに店に来てたんだ?」
「勉強がてら、外の空気を吸いたかったんじゃないの?暫くサルスベリの下のテーブルでぼうっとしてたわ」
心配したらいけないと思い、泣いていた事は省いた。
「コンビニで止ってね」
暫く走って、煌々と輝くコンビニ前の駐車場に車は止った。
雨衣は車で待っていると言うので、私はひとりで店内に入って行く。
人もまばらな店内は、店員も暇そうに立ち話をしていた。
切れていた牛乳とオレンジジュースを探して、レジで精算を済ませて出てきたら、外でばったり努伯父と出くわした。
うわ、最悪!
白髪交じりでぼさぼさの頭に無精髭、元は白だったのだろうか薄汚れたシャツを着て、首にはこれまた汚れたタオルをぶら下げていて、一見浮浪者に見えなくもない。
「月よ、おまえこの前はよくも殴ってくれたな」
手には酒の瓶を握っていて、酔っぱらっているのか二メートルも離れているのに酒臭い。
「あれは伯父さんが鍵をこじ開けて入って来ようとするからよ、どろぼうだと思ったの」
「あそこはずっと空き家だったんだ」
「ごめんなさい、怪我は治ったの?お酒飲んで良いの?」
「うるさい、大きなお世話だ!」
酒瓶を振り上げ、よたよたとこちらに向かって歩いて来ようとしたところ、後ろから来た雨衣に肩を掴まれ、伯父はぎょっとしたように振り向いた。
「伯父さん、話があるなら警察で聞くよ、でも、今晩は留置所で明かす事になるけどね」
「離せよ」
伯父は肩を回して、雨衣の手を乱暴に解いた。
「真面目に働かないと花さんが悲しむよ」
「高畑のクソガキに言われたくないね、お前の一族にはろくな者が居やしない」
彼の叔父である不動産会社の社長に家を取られた恨みだろうか、伯父はぶつぶつ言いながら、私達に一瞥をくれると暗闇に消えて行った。
「怖かった…」
「大丈夫か?」
どちらからともなく寄り添った。
雨衣の手が優しく私の肩に掛かり、それに甘えるように私は彼の胸に頭を預けた。
「怒らないで…、少しだけ時間ちょうだい」
雨衣は何も言わずに、私の荷物を取ると、肩を貸してくれた。
伯父は雨衣が止めに入らなければ、酒瓶で私を殴るつもりだったのだろうか?
考えるとぞっとした。 


どのくらい経ったのだろう、少なくともこの肩の持ち主が私の物では無いことに、気づくような冷静になれる時間が過ぎていた。
「ごめん…」
私はそう言って、徐に雨衣から離れた。
「こっちこそ、ごめん」
「どうしてあなたが謝るの?」
「なかなか犯人を捕まえる事が出来なくて」
雨衣は心からそう思っているらしく、瞳を曇らせ溜息を吐いた・・・。
「いいよ、今日みたいに守ってくれれば、」
「僕はいつもあなたの側にいるわけじゃないからね、あなたはいっそ彼と東京に戻た方が良かったかも」
現実に目が覚める。
思わず雨衣の瞳を見やった。
「嫌なこと思い出させるわね」
「嫌なこと?」
「そうよ、一生懸命忘れようとしているのに」
「どこが?あんなに堂々と熱烈キスをしながら?」
ふたりは見つめ合ったまま黙り込んだ。
雨衣が何を考えているのかは分からないが、確かにここに居るよりは東京に居る方が安全ではある・・・とは、思うけど・・・。
「赤くなってんの、」
指摘されて更に頬の熱が上がりそうだった。
「ちがっ、…今頃になって奥さんと別れるなんて言い出すから、私は自分の気持ちを確かめたかったの、」
「で?」
「お別れのキスになったわけ…、もう、私は誰も傷つけたくないし、私の心はもう彼の元に無いって…そう確信したの。でも、確かに、いろいろな思い出は沢山あるから時々切なくなるけどね…、って、どうしてそんなことまでぺらぺらあんたに話さなきゃいけないのよ」
「自分から喋っといて」
その顔は、呆れつつ眉間に皺を寄せて私を非難している。
「流石警察ね、誘導尋問が上手いわ」
雨衣は癖であろう左眉を上げる。
「ここには、祖母や頼りにならない妹、友人、知人、それにあなたもいるでしょう?何かあったら助けてくれるんでしょう?」
「仕事の範囲でね、僕はあなたの彼氏ではないから…」
「でも、この前は直ぐに来てくれた」
「仕事だから」
「次もきっと来てくれるでしょ?」
「仕事ならね…、」
私はクスリと笑った。
「仕事、仕事って、誘惑されるとでも思ってんの?おばさんはガキに興味無いから安心して」
チッと雨衣は舌打ちした。
「こんな時は”おばさん”なんだ?それに、この前はビーチで誘惑して来たじゃん」
どきっ!
どうして今頃その話を蒸し返すかなぁ…。
「あんたがでしょ?」
「いいえ、あなたです!」
「ほら、また赤くなってんの、思いだした?」
雨衣は意地悪気にクスリと笑った。
うわっ、綺麗な顔した男の上から目線ってかなりムカツク!
「絶対、あんたよ!」
「あなたの方だって」
「ちがうっ!」
私たちは恐ろしく、下らない言い争いをしながら車まで並んで歩いた。


何だろう、この安心感は・・・、彼が警察の者と言うだけでない、何かが私達の距離を狭めていたのかもしれないが、その何かが今の私には解らなかった。

 














 









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