A blue cloud
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空に浮かぶ月
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 夕刻の店内は人もまばらで、丁度窓際のテーブルが空いていたので、真昼を陽菜に預けて、私達は向かい合わせに座った。
いつも雨衣が好んで座る、海が見渡せる窓際の席だ。
勿論、店内にいた陽菜は興味津々チラチラとこちらを見ていたが、祖母に至っては素知らぬ振りをしてくれていた。
橘敦と言えば今をときめく売れっ子推理小説家だ、時々TVに出ているので芸能ニュースに詳しい人は顔を見ると直ぐに分かるだろう。
しかも、元モデルで美男子、とても今年三十五歳には見えない。
そして雑誌の撮影用みたいな、さわやかな笑顔で私の前に座っている。
「話って何?」
「冷たいなあ、久し振りに会ったと言うのに、”会いたかった”とか、”会えて嬉しい”とか無いのかな?」
「”会えて嬉しいわ”」
彼は声をたてて笑った。
「全く、つれない君だね、僕のことは既に過去に葬ったか」
聞き分け良すぎる別れといい、音信不通過ぎるのは確かに可笑しいとは思ったが、こんな風に再び私の前に堂々と現われるとは想像していなかった。
「君、僕に内緒で小説書いて、高田出版の公募に送ったろう?」
「え?」
そうだ・・・、忘れていた。
何ヶ月か前に、敦に誘発されて腕試しに、他社の文学賞に送った小説の事を・・・。
「編集長は僕の知り合いなんだけど、どこかで聞いた名前だって、僕に問い合わせて来たんだ。勿論、彼は君が出版社を辞めたって知らないから、会社にバレるとマズイんじゃないかってね、」
「どうして?」
「最終選考に残ったんだよ」
「ええー?嘘っ、」
でも、我に返ると私の脳裏に疑惑が浮かんできた・・・。
「まさかあなたが裏で・・・」
「残念でした。彼から連絡あるまで、君が小説書いている事すら知らなかったさ、驚いたよ、君がこんな才能があるなんて」
「読んだの?」
「勿論、彼に意見を聞かせてくれと言われたんでね、」
恥ずかしい。
「僕と君の恋愛小説みたいだったね、最後はハッピーエンドだけど」
「私が小説を書くとすれば総べてハッピーエンドよ、だって悲恋で終わったりなんかすると後味悪いでしょう。せっかく最後まで読んでもぐったりくるわ、悲劇的終わり方は」
「そこなんだよね、」
「なに?」
「編集長と僕の意見は同じでね、最後は悲恋で終わった方が面白いのにねって、で、残念ながら佳作となったんだ」
「そう、でも佳作でも全然良いわ、少しは認められたって事でしょう」
「当然、通常佳作は出版出来ないんだけど、君には才能があるし、僕の推薦もあるし、出版しようじゃないかって話になって」
「嘘・・・」
「確かに良い小説だと思うよ、現代の若者の群像を描いている。別に君を贔屓しているわけじゃない、僕だって腕を疑われるからね」
「それじゃあ本当に出版してもらえるの?」
「はい、それを伝えに僕が来たんだ」
きゃーと声を上げて、私は橘敦に抱きついた。
これで無職女とは言わせない。
店内の人々は一斉に私達を見た。
「いつ胸に飛び込んでくれるかと思っていたよ」
「やだ」
私は笑いながら、彼の腕をゆっくり解いた。
「まだ発表は三ヶ月も後だから、内密なんだけど、取りあえず一ヶ月後くらいには社に出向いて欲しいって、これで君も小説家だ」
「信じられない、腕試しのつもりで出したのよ。そりゃ小説家になれれば言う事はないでしょうけどと思って・・・」
「仕事だったとは言え、僕の推敲を重ねて行く内にいろいろ勉強できたんじゃないかな?

「ほんとうね、その通りだと思うわ。この場面だと私はこうするのに、とか、いろいろ想像出来たもの。本当にあなたのおかげだわ」
多分、二人とも思い出していた。
締め切り間近の原稿推敲。
より良い小説を世に出すために、何度も何度も話し合いを重ねたっけ・・・。
「いらっしゃいませ。」
訳知り顔で陽菜がコーヒーを運んできた。
その目が自分を紹介しろと訴えている。
「妹の陽菜です。陽菜は橘さんを知ってるかしら?」
「勿論です、ファッション雑誌に出ていた頃からのファンです。勿論小説も面白くて、大ファンなんですよ」
そうだっけ?
美男子の前では、調子良いんだから。
「あの・・・、姉とは?」
「恋人同士・・・だった、と言うべきかな」
「え〜付き合っていたんですか?」
「僕は今でもその気なんだけど、彼女が冷たいんだよね」
と屈託なく彼は笑った。
「でも、ご結婚なさってるんじゃ?」
「してるよ」
と言って、結婚指輪を陽菜に見せた。
ほんとに無邪気過ぎるこの人は。
言葉を失った陽菜は、彼につられて苦笑いしている。
「お祝いしなきゃね、今晩食事にでも行こうよ、勿論、妹さんもね」
「行きます!でも、何のお祝いなんですか?」
「お姉さんの小説が出版されることになったんだ、」
「えーっ、うそっ!」
疑わしげに陽菜が私を見た。
「これからは無職女とは言わせないからね」
「それには、次回作も書き始めないと、」
「え?もう?」
「何言ってんの、一流出版会社に勤めていた人の発言とは思えないなぁ、一気に売りださないとね」
「すごいね、月ちゃん」
初めて陽菜の目に浮かぶ私に対しての、侮蔑の色が取り除かれた日のような気がした。



その夜は、陽菜の車を私が運転して、市内の割烹料亭まで足を運んだ。
今日はお酒を我慢して、運転手に専念するつもりだ。
敦は常時機嫌良く、陽菜も有名人と一緒だと言うこともあり鼻高々で、テンションも高い。
お料理も、もてなしも文句なく、流石老舗の料亭だ。
私はと言うと、無職から解放され、雨衣の作ったキャッチフレーズも訂正されそうで、少し良い気分に浸れた。
地元の新鮮な食材で出来た料理はどれも美味しく、それらに舌鼓をうつ敦も陽菜に酌を勧められ、頬がほんのり赤くなりいつもより更に饒舌になっていた。




そう言えば雨衣・・・。
昼間のキスは・・・、何の気の迷いだったのだろうか・・・。
楽しい宴会の席で、私はふと彼のことを思った・・・。




「敦さんて、ほんと雑誌から抜け出したみたいにかっこよくて、ドキドキしちゃった。でも、結局、バカンスとかって言いながら、もう明後日には帰っちゃうんでしょう?」
彼をホテルに送り届け、私達は自宅に戻って来ていた。
バスタブにお湯を張りながら、陽菜が声をかけた。
「そう、TVの主演があるんだって、」
「月ちゃんて、そんな人ともお付き合いあったんだ、こんな田舎じゃ有名人なんていないしね、つまんない、私も東京行くんだった。絶対刺激的よね。」
「昨日までは、”雨衣さん雨衣さん”って言ってた人が、今日は”敦さん”なの?ま、どっちも男前だけどね」
「雨衣さんは子供の頃から知ってるから、美少年がそのまま大人になったって感じ、どこか危険で憂いがあって・・・、敦さんは業界人って感じで、いつもにこにこ雑誌の表紙そのままの笑顔は素敵だし、何よりステイタスがあるわよね、どっちも良いなぁ」
そう言って少女のようにうっとり微笑むが、陽菜にしろ私にしろ、どっちの彼も私達の手には落ちない強者たちだ。


まるで夜空に浮かぶ月のように、手を伸ばしても絶対に届かない煌々と光る月だ・・・。





この町は初めてだと言う敦を連れて、翌日の午前中は、近くの天然記念物である鍾乳洞へ遊びに行った。
秋吉代と比べるとかなりちっぽけではあるが、道が狭い分鍾乳洞も手の届く程近くに見えて、それなりに臨場感があって面白い。
なんと言っても天然のエアコンは気持ちよい。
陽菜は敦にも慣れて、きぁあきゃあ言いながら腕に抱きついている。
お昼は祖母に頼んであった地元料理をお店で堪能すると、午後はせっかく海の近くに来たんだからお泳ぎたいと敦が言うので、真昼と陽菜も一緒に海水浴場に出かけた。
いつもは歩いて行くのだが、陽菜が嫌だと言うので、彼女の車に乗り込んで駐車場に向かう。
そして、あまりの車の多さに、今日が日曜だと言う事に気づいた。
「それだけじゃないんだよね、夜はコンサートがあって、会場を作ってるから駐車場のスペースがいつもより少ないんだよ」
と、日に焼けて真っ黒になった駐車場のおじさんがそう言った。
「なんのコンサート?」
「レゲエのコンサートらしいわ」
陽菜が言う。
「高橋守が行かないかって、チケットくれたのよ。あいつしつこくって」
「へぇ、そうなんだ」
「僕たちも来ようよ、もうチケット無いのかな?」
私は携帯を取り出して、麻美に電話して聞いてみようとしていたら、前から来た原浩二にばったり出くわした。
「おう、月!元気か?」
「あ、浩二良いところに来た。今晩のコンサートのチケット余ってない?」
「それがさ、評判良くてとっくに売り切れちゃったんだ、でも、入りたいならここに来るとこっそり入れてやるよ、大きな声では言えないけどね、俺が門番してるから」
「ありがとう!お金は払うわ」
「良いって良いって!それより月、話があるんだ」
そう言って、浩二はチラリと陽菜を見たが、何も言わずに私を建物の裏に案内した。
「この前、警察が来たんだ。俺の妹の一件で・・・」
浩二は私が知っているのか知らないのかあぐねているようだった。
「ごめんね浩二、私もついこの前陽菜に聞いたばかりなの、全然知らなくって・・・。陽菜も友人がふたりも殺されたわけだから、次は自分だと思ったんでしょう、私にも、警察にも白状したらしいのよ」
「だから俺のところに警察が来たんだな・・・、どうしてなんだろうと思ってたんだ」
「あなたは妹さんの一件は全く知らなかったの?」
「それが・・・いじめを受けていることは知っていたが、その・・・レイプのことは全く知らなかったんだ、俺たちには体育館に一晩中閉じこめられて酷く怖かったと、それだけしか言ってくれなかったんだ・・・。」
「ごめんね・・・謝って済む問題ではないけど・・・」
「おまえのせいじゃないよ。でも、この二人の殺人事件が、俺の妹と関わりがあるのか無いのか、俺にはわからない」
「そうよね、それに、どうして今なのかしら?」
「そうなんだよ、その当時だったら、俺だって黙ってはいないだろうけど・・・、ごめんな、お前の妹も首謀者では無いにしろ、関係してるらしいんだ。正直な所、許せないものは許せない、」
浩二は苦渋の表情を浮かべて私を見ていた。
雨衣は麻美や店のマスターからの証言で、彼のアリバイは取れたと言ったが・・・。
彼はあの夜、確かに私達とずっと一緒に居た・・・、私達は久々の再会に調子づいて、千鳥足になるまでかなり飲んでいたので、彼がその場を抜けて殺人を犯すなんてあり得ないと思うし・・・・、あの泥酔状態は余程の演技力が無い限り、演じるのはどんな名優でも無理だと思う・・・、でも、悲しいことに私の記憶は曖昧だ・・・。
「いいのよ、本当に残酷な娘たちよね」
「だけど、妹が亡くなってもう一年がくるし、親は病気がちだし、会社は継がないといけないし、俺にはすることが山ほどあって、正直、妹の復讐どころではないんだ、立ち直って前を向いて行こうと思ってるんだよ、月には俺が殺人なんてやってないって信じて欲しいんだ」
浩二は真っ直ぐ私を見て正直に言った。
その目に偽りは無いように思えた。
「ええ、そうよね、信じるわ」
「ありがとう」
ほっとしたように浩二が微笑んだ。
「じゃ、今晩ここで待ってるよ!」
手を振ると、そう言ってさっさと行ってしまった。
そう言えば青年団の団長だっけ?
商工会とかも手伝って浩二は大忙しだろう。
「何か言ってた?」
陽菜が不安気に私を見て言った。
「え、何も?それより今夜タダで入れてくれるって」
私が陽菜の不安を取り除くように微笑むと、陽菜も安心したように笑った。
「やったね月ちゃん、儲けたじゃん」
「同級生なの」
「いいね、なんだかんだ言って最近の田舎は活気があるよね、都会の方が何だかくたびれている」
「都会で最前線を走っているあなたには、似合わないわ」
橘敦はどんな女性でも虜にしそうな笑顔で、にっこりと微笑んだ。
陽菜は高橋守と約束していたのか、ひょっこり彼が現れると、二人してどこかに行った。
私は橘敦が一緒に海に入ろうと言うので、仕方なく水着に着替えて日焼け止めを全身隈無く塗った。
「塗ってあげよう」
彼が背中にクリームを塗る。
懐かしい感触。
彼の手の平の温度・・・。
「前は?」
と悪戯な目をする。
「いいから、あなたこそ塗らないと真っ赤になるわよ、TV写りが悪くなっちゃうわ、」
彼が顔を差し出すので、丁寧に塗る。
ほんとうにハンサムだわ、と感心していると後ろから声を掛けられた。
「こんにちは、」
振り向くと、水着を着た東条エリカと雨衣が手を繋いで立っていた。
「驚いた・・・、」
言葉どおり、ほんとうに私は驚いていた。
東条エリカは眩しいくらいの笑顔だったが、雨衣は無表情で心が読めない。
「橘敦さんでしょう?私ファンなんですよ」
「ありがとう」
彼が微笑みながら手を出し、エリカは握手を交した。
「月さん、お知り合いだったんですか?」
「ええ、私出版会社に勤めていたの、彼とは昔からの知り合いよ」
「そうだったんですか、驚きました。こんな所で橘さんに会えるなんて、」
本当にファンなのだろう、いつもはおとなしい彼女が何となく浮ついて見えた。
でも、それは隣に雨衣がいるからかも知れない。
そして、雨衣は軽く会釈をしただけで、エリカの手を引いて海へと入って行った。
背も高く、すらりとして、お似合いの二人だ。
沖では仲間だろうか、バナナボートのような大きなチューブに跨り、数人が彼らに向かって手を振っていた。
「さ、僕らも行こう。真昼、海に入ろう」
真昼は嬉しそうに微笑んだ。
小さな手と、小さな浮き袋を持って、敦は海に向かって歩いた。
そう言えば彼らには子供がいない。
できないのだろうか?
作らないのだろうか?
そのせいか、昔から真昼を可愛がってくれた。




もし、出会ったとき彼が結婚していなければ、私達の間には真昼くらいの子供がいただろうか・・・・、そんな取り留めのない事をぼんやりと考えていた。




輝く太陽が眩しくて・・・、私は酷く切なかった・・・。















 









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