A blue cloud
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空に浮かぶ月
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陽菜がここに居着いて一週間が過ぎた。


両親はもうとっくに帰って来ていたが、ここはいつも人が沢山いて安心だと、両親を説得したらしい。
文句を言うも『月ちゃんは私が殺されてもいいのね?』と、涙目で訴えられるとそれ以上何も言えなかった。
そして、雨衣にはあの日以来会ってない。
DNAはどうなったのだろう、事件の報告も全くない。


いつもの昼下がり、私と真昼は海水浴場へと続く歩道をてくてく歩いていた。
すると、前から来た車が、後ろでUターンして私達の横で止った。
スーと窓が開く。
「海水浴場に行くの?」
雨衣だった。
久し振りで見た顔は、気のせいか青白い。
「あ、おにいちゃん!」
「お兄ちゃんも一緒に行っていいかな?」
え?
「うん」
真昼が嬉しそうに微笑んで言うと、雨衣は車から降りてきて、後部座席のドアを開け、抱えて乗せてくれた。
私が眉を顰めると雨衣が笑った。
「早く乗って」
彼を睨みつつ、仕方無いので私も一緒に乗り込む。
「何で黙りこんでるの」
ミラー越しに雨衣が尋ねてきた。
「考えていたの、私とあなたと真昼が一緒に海水浴場にいる理由、普通ありえないでしょう」
「どうして?」
「変でしょ、」
「あなたにちゃんとした彼女がいるのは、公然の話で、ま昼間からビーチで私と遊ばなきゃいけない理由は何?みんな変に思うでしょ」
「いいじゃん、別に。彼女と別れたと思うかも、」
「笑い事じゃないわよ、困るそんなの、」
「大丈夫、あり得ないし、」
そうでしょうとも、別れるなんてあり得ないでしょうとも・・・。


雨衣はサンダルを持ってきていないことに気が付き、近くの店でわざわざ買っていた。
泳ぐ気は無いらしく、薄いブルーのサングラスを掛けて砂浜に座っている。
私は水際まで行くと濡れないように真昼の服を脱がして、小さな背中に日焼け止めを塗った。
「ねえ、事件はどうなったの?」
「まだ、何も」
あっさりそう言う。
余りにもきっぱり言うので、それ以上尋ねる事を憚られる。
「陽菜が居着いて鬱陶しいんだけど、」
雨衣はクスクス笑った。
「これを機会に姉妹の親睦を諮ったら?今まで到底仲良いとは言えないだろう?」
「結構です、あの我儘娘とは水と油なの、無理」
「確かに、」
夢中で砂の山を作っている真昼に目を向けながら雨衣は笑った。
オレンジ色のプラスチックのバケツの中には、拾った貝殻とアヒル隊長が一匹、スコップがひとつ入っていた。
「おにいちゃんもいっしょにおやまつくって、おっきいの」
真昼がそう言うと、雨衣は優しい笑顔で笑った。
こりゃ駄目だ、完全に叔父化している。
マズイ前兆かも。
雨衣に喋ったのは間違いだったかも。
そんなこと真剣に考えていたら、私を見ていた雨衣と目が合った。
「どうして、そんな難しい顔してるの」
「真昼のことが知れると、ほんとに困るの、あなたそんなこと考えてないでしょ」
雨衣はふっと鼻先で笑って、真昼がビーチで友達になった女の子と、水際へ遊びに行ったのを見送っている。
真昼は大人のそんな思惑など考えも及ばず、楽しそうにはしゃいでいる。
「暑い、そっち寄って、」
雨衣は私が射しているゴルフ用の、銀傘の中に入って来た。
「いい加減暑いのに寄ってくるな、」
「それ冷たい水?」
脇に置いた水筒を見つけて尋ねた。
「一杯千円」
「ぼったくりかよ、」
「さっきの話だけど、聞いてる?」
雨衣はコップに水を注ぐ事に集中している。
「しつこいなぁ、大丈夫だと言ったろう」
「私この前、空港からの帰りに、まだ花さんが入院していると思っていて、病院に真昼と向かったの、そしたら丁度高士さんが居てね、真昼を見て私の子供かって聞くから、否定しなかったの・・・その方がいいかなって思って・・・あなたも聞かれたら、私の子供だって言っといてね」
「浅はかな嘘だな、すぐにばれるだろうに」
「いいのよ、寂しいけど真昼はやがて東京に帰るし、姉もここには帰って来るつもりはないし、」
雨衣は水を飲み干して、私を見た。
「じゃ、僕と君の子供だって事にしとく?」
ペチッとおでこを叩いてやった。
「人が本気で心配しているのに、まったくもう」
「鑑定依頼が来たときには僕が書き換えるさ。血縁関係が無いようにね、それで良いんだろう?」
彼の端正な横顔は遠い水平線を見ていた。
表情が読めなくて、私は彼の顔をのぞき込んで再び尋ねた。
「信じて良いの?」
実際、そんなことは無理だろうと思ったけれど、その言葉の真実味に嘘は見当たりそうになかった。
「いいよ」
雨衣はゆっくりとこちらを向いた。
「ありがとう・・・。でも、あなたがどうしてそこまでしてくれるの?」
「その質問は矛盾していないか?」
「かもね、でも、私真剣なのよ」
波が打ち寄せていた。
子供達の歓声、人々のざわめき。
「僕は見ていたからね、ふたりが付き合っていた頃から、母は絶対に許さないと言っていた。君の姉さんが泣いていたのも何度も見た・・・。」
「私も知ってる、姉さんは気が強くて、どんな事があっても泣かない人だったのに、あのときばかりは泣いていた、」
「うん・・・」
遠い過去を雨衣と共有しているのが、何だかとても不思議だった。
二度と合う事も無いだろうと、思っていた人だったのに・・・。
「高畑の家とはもう関わりたくないと思っていたのに、結局はこんな形で関わっている・・・」
「僕のことも含めて?」
「そうよ・・・」
雨衣も私も苦笑した。
そして、その時になって初めて気が付いた。
ふたりの顔の近さを・・・。
雨衣って睫が長いんだ・・・。


しかし、更に近づいて行き私達はどちらからともなくキスをした。


うだるような夏の、子供の歓声が、波の音が・・・、一時消えて、私は雨衣を近くに感じた・・・。


ふと我に返ったのは私の方だった。
お互い、目が離せなかったのは、その瞳に戸惑いが浮かんでいたからであって、何が起こったのか思いを巡らせているようだった。
「何・・・?」
先に口を開いたのも私だった。
「何となく・・・」
雨衣にも衝撃だったのか、前を向いたまま呟いた。
何だかドキドキしている、なぜ?
突然のキスに戸惑いと、ときめき・・・、トキメキ・・・?


思い出せ、雨衣には彼女がいるんだぞ。


ぐだぐだ考え込んでいると、真昼が帰ってきた。
お友達が帰ったそうだ。
「・・・じゃ、そろそろ私達も帰ろうね」
良い頃合いだった。
私の頭はさっきのことで一杯だったし、黙りこくった雨衣と一緒なのも息が詰まりそうだった。
真昼にシャワーを浴びさせて、着替えを澄ませて出てきたところで、店頭にいた麻美に手招きされた。
「新しいケーキの試食してって・・」
と言いかけて止めたのは、私の後ろの雨衣に気が付いたからである。
浮き袋とバケツを持っている雨衣を、驚いたように目を丸くして見ていた。
「え?雨衣君じゃないの?驚き!さ、入って入って」
麻美は嬉しそうに私達を招き入れたが、その瞳は”どうして雨衣と一緒なの?”と答うていた。
その、悪戯な目を無視して私はテーブルに着いた。
「いつも、エリカさんにはごひいきにしてもらってるの、」
と、私達の目が覚める様なことを、水の入ったグラスを置きながら言ってくれる。
私と雨衣はアイスコーヒーを、真昼はグレープフルーツジュースを頼むと、ひとときの静寂が訪れた。
「何か喋って、どうしてそんなに黙りこんでるの?」
「君はどうして公共の場でキスをする癖があるんだろうって、思ってただけさ・・・」
ぶっと水を吹きそうになった。
「え?」
「空港でも・・・」
雨衣は言いかけて止めた。
「見てたの?」
「たまたまね」
「あれは・・・」
「顔が赤い、」
やだ思い出しちゃった。
誰かに見られていたとなるととても恥ずかしい。
その誰かが雨衣だとなると、何となく腹立たしい。
「真昼も焼けたね、」
こっちが舞い上がっているうちに、雨衣はさっさと話題を変えると、手で真昼の前髪をかき上げながら優しい眼差しを向けていた。
長い睫に、鼻筋の通った細っそりした顔は、お日様を受けて真っ赤になっていた。
で、ふと気が付いた。
「も、もしかして似てるかも」
「え?」
「あなたたち似てる!」
真顔で雨衣が真昼を見た。
「そうかな?」
「そうよ、もう絶対一緒に来ない」
雨衣が口を尖らせて、何か言いかけたところで、麻美が飲み物を持ってきた。
「雨衣君は甘い物大丈夫だって聞いたけど?ビターなチョコを使ったタルトはいかが?」
「ええ、頂きます」
「え?以外、甘い物好きなの?」
「全然大丈夫、」
「おこちゃまだ。真昼と同じだね」
「うん」
真昼が嬉しそうにそう言った。
その口元にクリームが付いていたので、拭おうと手を伸ばしたら直ぐに雨衣が気づいて、ナフキンで拭いた。
一連の自然な動作に目を丸くして見ている麻美は、質問を頭にどっさり用意しているようだったが、客が数人入って来たのでやむなく接客する羽目になり、しぶしぶ私達の席を離れた。
「今度は東の海水浴場に行こうか真昼?砂浜が白いよ」
「ほんと?お城つくれる?」
「もちろんさ」
「わーい」
嬉しそうにプリンを掬ってる。
「聞いてなかったのかなぁ?言ったでしょ、あなたとは絶対に来ないって、」
「どうして?確かにさっきのキスは衝動的だったけど」
惚けた振りして、ムカツクったらありゃしない。
「あれは・・・私も悪かったけど・・・、あなただってその気がなかったとは言わせないわよ・・・」
次第に声が細る。
「だからって、僕が君を好きだと勘違いしないで」
凍てつく返答をしてくる男だ。
ええ、ええ、経験上、男が簡単に浮気をするのは知ってますから。
「それに、僕は彼の叔父だし」
「やめてそんなこと言うの」
私は賺さず雨衣を睨んだ。
「誰も聞いていないよ」
「あなたに喋ったこと、時々、すごく後悔するわ」
「そうかな?僕が一番最初に気づいて、君らは幸運だったと思うよ」
こいつが天使なのか悪魔なのか、まだ正体があやふやで、私は信じ切れなかった。





雨衣の車で家の前に帰ってきたとき、玄関先に黒いスポーツカーが止っているのが見えた。
私達が車から降りると、そのドアが開いて中から橘敦が現れ、私は心臓が飛び出るほどに驚いた。
「やあ、元気そうだね」
「あ、あつしおにいちゃんだ!」
真昼が嬉しそうに駆け寄ると、脇を抱えて抱っこした。
「うわ、焼けたね真昼、男の子っぽくなったな」
私と雨衣は憮然と突っ立っていた。
敦は私の手を取ると、指先にキスをしようとしたので、つい引っ込めてしまった。
こんな所で・・・、雨衣の前で・・・、何を考えているのだろうこの男は。
いえ、あまり何も考えていないかも・・・。
「会いたかったよ」
ぬけぬけと、そう言って笑っている。
「どうしたの急に、こんな所まで」
「君に話しがあってね、会いたかったし、丁度休暇にも良いかなと思って」
そうするうちに、雨衣はバケツと浮き輪を私によこして、敦に軽く会釈をすると帰って行った。
「今の誰?もう新しい彼氏できたの?」
「やめて、冗談でしょ。」
彼の笑顔は以前と少しも変わらず、屈託がない。
「話って何?」
「こんなところで?」
それもそうだ。
「じゃ、祖母のお店に行きましょ、」




意外な人物登場で、何だか心が揺れた・・・。
どうして今頃・・・?










 










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