A blue cloud
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空に浮かぶ月
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恋の終わり・・・?


この男は、確かに魅力的過ぎる・・・。
羽田空港へと向かうタクシーの後部座席で、どんな美女でもいちころで落とせそうな、隣の男の笑顔をぼんやりと眺めながら私はそう思っていた。
灰色のビルディングの間から、東京には珍しいくらいの入道雲が、もくもくとわき上がっているのが見えた。
十二年前に上京してきた時に覚えた、ワクワク感や、見るもの食べるもの総べてが物珍しく、どきどきして毎日が輝いていたあの頃が、今ではすっかり色褪せていて何の高揚も見いだせない。
これが女の賞味期限を表すバロメーターなのかも知れないと、この頃はずっと考えていた。
「君が居ないと僕は死んでしまう・・・、なんてことは言わないけどさ、君無しでは僕は途方に暮れてしまうよ・・・」
彼は若干、影を漂わせながらも、いつもの余裕ある大人の微笑みを、私に向けてそう言った。
橘敦(たちばなあつし)三十五歳、セレブ御用達ブランドのジャケットが似合う、モデル上がりの小説家、小説がこんなに爆発的に売れるまでは、メンズファッション雑誌で人気モデルをしていた経験がある。
大事なのは、彼が既婚者だと言うこと。
そう、私たちは不倫関係だったのだ。
「あなた、しつこいわよ」
私はもうじき三十の大人の微笑みで交した。
よりによって今日を締め切りに設定した男、葉山とは別宅の都内のマンションを仕事場としており、二人で原稿の最終チェックを終えたのが、搭乗手続き時間のぎりぎりの午後三時・・・。
苛つく私を、そのとろけるような笑顔で包み込もうとでも言うのか、最後の別れだと言うのに、私とは対照的な透き通った目でこちらを見ていた。
この人は人生が楽しくてしょうが無いだろうな・・・。
何もかもが恵まれ過ぎている。
荷物はとうに実家に送っていたので、ハンドバッグひとつで何も支障は無かった、外国に行くわけではない、身ひとつで飛行機に乗れば二時間足らずで実家に着く。
無理矢理横に乗り込んできたタクシー代金は、当然のごとく彼に払わせ、私は小走りで搭乗手続きに向かおうとしたら、追いついて来た彼に手を捕まれた。
「逃げるのかい?」
「いろいろあったけど、楽しかったわ」
精一杯私は微笑んだ。
態と腕時計に視線を落とし、時間の迫っている事を知らせる。
「嘘つき・・」
彼はそう言って、私をその広い胸に引き寄せると、公衆の面前でいきなりキスをした。
いつもなら、そのまま抱きつきたいほどに私の理性を狂わすキスも、今日が最後だとわかっているから余計辛いし、徐々に冷静になると周りの人々の、ざわめきが耳に飛び込んで来た。
小説家と言っても最近の彼はよくテレビや雑誌にも出ており、顔は結構知られているのだ。
私は思わず身を引いた。
案の定、周りの視線が痛かった。
「さよなら・・・」
私は彼と過ごした時間の重みに、少し打ちひしがれながらそう言った。
「さよなら」
彼は私の胸の内を見透かしたように、相変わらず魅力的に微笑んでいた。
どうか明日の朝、ゴシップ欄に載りませんようにと願いながらその場を離れる。
途中、一度だけ振り返ったが、彼はまだその場に佇み手を振りながらウインクをした。
もう、着いて来る様子は無かったが、私は小走りでカウンターに向かった。
何て軽率な男だろう、でも、そんな事を気にするような小さな男でも無い。


良く言えば天真爛漫な男だ・・・。


そんな事を考えながら歩いていたら、バックの中で携帯が鳴った。
それを取り出そうとバックの中を混ぜくり返していたら人にぶつかり、その人が持っていた書類と、多分話し中であったろう携帯電話が床に散乱した。
「あ、・・・すみません!!」
落とした書類をかき集め渡そうとすると、彼は壊れて機能しなくなったであろう、携帯電話の電源を何度も入れ直していた。
近くにあった椅子にでも当たったのだろうか、一部が欠けて破損しているようだった。
「本当にすみません!壊れたんでしょうか?弁償しますので・・・」
「いいです」
そのとき初めて彼と目が合った。
はっとしたのは彼がかなりの美男子だったからなのか、それとも、どこかで合った事があったからだったろうか、どこかで見たような気がする・・・。
誘い文句じゃあるまいし。
「前を見ていなかった私が悪いんですから、弁償します。」
「悪いのは、あなたですけど、別に弁償はいいです」
冷静で真っ直ぐに私を見ている目は、氷のように凍てついていて、かなり冷たかった。
だから、私は次に出てくる言葉が見あたらなかった。
どうしよう・・・。
「月ちゃん!こんな所で何やってんのよ!早く搭乗手続きしなくちゃ」
聞き慣れた声に振り向くと、二つ上の姉、かれんがそこに三歳の息子と一緒に立っていた。
どう見ても私より洗練されていて、どう見ても美人の姉は、隣の男に、私がしたかった質問をいとも簡単にしてしまった。
「あれ?あなたどこかで・・・確か・・・」
姉を見た男は、警戒を緩めたように、少し微笑んで言った。
「雨衣ですよ、かれんさん。高畑雨衣(たかはたうい)です。久しぶりですね」
「やだーやっぱり?どこかで見た顔だと思ったの、」
姉は私の方を向いて説明をした。
「あなたも覚えてるでしょ?高畑高士(たかし)の弟、十年前にゴルフ場であなたを首にした。高畑雨衣よ」
昔の彼氏の話題に触れられたくないのか、姉はげらげら笑いながら、忘れていた私の痛い過去の思い出をほじくり出してきた。
十年前の、まだあどけないが意地悪な少年の顔が、今やすっかり成長した青年の顔とダブった。
「あの時の?どうりで見たことあるかなと思っていたわ・・」
私は冷静を装ったが内心はムカムカしていた。
彼は私と最初から気づいていたのか、動揺する様子も、顔色ひとつ変える訳でもなく、ただじっと私の顔を見ていた。
「あの時はすみません。僕はどうしようもない子供で、幼稚でした」
本当に思っているのだろうか?今、目の前に居る彼は確かに成長して背もすらりと高く、あの頃も女の子のように華奢で可愛かったが一層、男前に磨きが掛かっている。でも、その目は笑っていない・・・。
その時、最終手続きのアナウンスが鳴り響いた。
「あら大変!月ちゃんたらいつもこれなんだから、早く手続きしなきゃ」
と言って姉が付いてくる。
「何?かれんも一緒に帰るの?」
「私じゃ無いわよ、真昼(まひる)を連れてってくれない?私今週から出張なの。ちょうど夏休みに入るし、あなたも暇でしょう?暫く預かってくれる?そのうち迎えに行くから。真昼だって花さんに会いたいわよね?」
三歳になったばかりの真昼はこくんと頷いて、月ちゃんと行くと言い、手を広げてだっこのおねだりポーズをした。
「あれ?あなたは?」
ふと思い付いたように姉が高畑雨衣に訪ねる。
「僕もこれから帰る所です。搭乗手続きをします」
「出張か何か?」
「ええ」
姉がそれ以上尋ねなかったので私は肩透かしを食らった。
少しだけ、彼が何の仕事をしているのか興味をもったからである。
彼に続いてカウンターに向かう私の腕を姉が掴んだ。
「残念ね、彼はきっとビジネスクラスよ。」
「何言ってんの?まさか私が彼をどうこうしようと?あんな嫌な思い出があるのに?」
「あんたは、男前に弱いから」
姉は私をマジと見て苦笑した。
敦のことを言っているのだ。
「あの一族はね、エコノミーには乗らないの、学生だった頃の高士も行き帰りは必ずビジネスだったもの、むかつくでしょう?」
かれんは笑いながらさらりと言った。
姉が言っていたとおり、彼は颯爽とビジネスクラスの座席へと消えて行った。
高畑一族は地元の名士ぞろいで有名だ。
今は隠居の彼の祖父は官房長官も務めたことがあるし、叔父は県会議員で不動産も手がける勇士で、父親は医師で何件も病院を手がけている。
かれんと同級生の雨衣の兄は当然その跡継ぎで、出世街道まっしぐらのサラブレッドだ。
何を血迷ったかその昔、姉と付き合っていた高畑高士は一族怒濤の猛反対に合い、姉との結婚を破談にさせられた。
ケラケラ笑っている姉も、実は高畑一族に痛い目に遭っている。


笑っていられる程、そんな遠い過去でも無い筈なのに・・・。


かれんは強い女だ・・・。




















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